2006年04月06日

情報共有のスタイル

社員がどんどん増えてきて、それを取りまとめるために自然と階層が生まれていき、グループやユニットができあがり、それぞれが情報共有しなければという恐怖心からあらゆる接点、階層、ラインで情報共有を目的とした会議ばかりが行われる。

情報共有を否定するわけではなく、情報共有は絶対に必要なのだが、情報共有を目的とした会議に莫大な時間がつぎ込まれ、共有すべき内容自体を生み出すところに避ける時間がどんどん減っていくのは、なんとも矛盾しているではないか。

Web進化論のなかで、梅田さんは、電子メールは情報の送り手が受け手を選ぶ仕組みに支えられていて、それは従来の組織構造を支援するシステムだ、みたいなことを書いていて、この部分にすごく共感を覚えた。「電子メール」という1つのツールの話ではなく、今までの組織における情報共有という考え方の前提には、情報の送り手が、情報の受け手を選ぶという前提があるということだ。逆に、情報の受け手は、情報の送り手から情報が送られることを当たり前として、情報が共有できないことを情報を発信してくれていない、という不満に転嫁する。

ものすごく単純なことなのだけれど、新しい情報共有のスタイルとは、そもそも情報の受け手が情報を選ぶものにならなければならないのではないか。グーグルやはてなでは、それが出来ているということなのではないか。自分が興味ある範囲、自分の時間内で、必要な情報を見つける。誰も関心を示さない情報は自然と淘汰される。
こういう情報共有に関するパラダイムシフトは、前提としてみんなが自身がやってることや持ってる情報を、とにかくオープンにする、という原則がなければならない。

本で読んだレベルなのでわからないが、TSUTAYA(CCC)なども、会議が全部録画されていたり、社員の机に引き出しがない(情報をクローズドにしない)など、個々人が持つ情報はとにかく、全員が閲覧、参照できる状態にし、欲しい人が自らアクセスする、という環境を整備していると耳にした。知ろうと思えば誰もが知ることできる。興味がなければ、あえて知ろうとしなければいい。

グーグルでは、この環境を支えるのは採用とテクノロジーだと言い切ってる。採用とはいかにして優秀な社員を雇用できるかというところ。優秀な社員は自分をコントロールできる。そしてそこに情報公開、共有のためのインフラ、例えばブログのようなものであったり、プロジェクト管理システムであったり、優秀な検索システムであったりするのだろうが、これらが組み合わされば、「情報共有」は実現できるということだ。

私たちの会社も社員が増えてくると、誰が何をやってるかわからない、情報が下りてこない、というような不満がでてきて、それを解決するために、情報共有の場が頻繁に持たれていくのだが、そもそもこのやり方で解決できるのだろうか。「情報が下りてこない」というような言い回しに端的に表れてるように、情報は一方方向的なものとする前提では、どれだけ頑張っても真の情報共有など可能になるわけがないのではないか。
「情報共有」という言い回しも、「共有」という言葉に引き面れて、あらゆる情報をあらゆる人が同じように知る必要があるように思えてしまうけれども、本来の情報共有ってのはそうじゃないだろう。必要な情報を必要な人が知ることができる環境があればいいのではないか。

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categories [ マネイジメント ] 2006/04/06 11:04