フェルマーの最終定理/サイモン シン

読みたいと思いつつも手がでてなかったの本の一冊「フェルマーの最終定理」。
評判に違わぬ面白さだった。一気に読み切ってしまった。
本書にでてくる方程式や証明法のほとんどは微塵も理解できないのだが、それでも圧倒的に面白い。フェルマーという偉大なる数学者が残した大いなる謎。その謎との数学者の戦い。下手な冒険活劇やサスペンス、推理小説よりも面白い。

フェルマーの定理の解読という300年の歴史と、数学という特殊な世界のおける完全性への取り組みと挫折や問題(ゲーデルの不完全性定理)、それに絡めて読者にはわかりやすい数学パズルや証明問題が配置され愉しみながら読み進めていけるように配慮されている。どの章にも退屈なところが一つもなく、にも関わらず、ワイルズがフェルマーの定理を証明する、というその最後の解決の日、手法に向けて興味が途切れることなくぐいぐいと引っ張っていかれる。
神が配置したかのような偶然の一致や伏線が収束していきすべての問題を解決し定理の証明を終える。その瞬間のカタルシスや。胸に熱いものが込み上げてくる。


“フェルマーの最終定理 (新潮文庫)” (サイモン シン)


フェルマーの最終定理とは、
3 以上の自然数 n について、
xn + yn = zn
となる 0 でない自然数 (x, y, z) の組み合わせがない
というものだ。

この文章だけ見れば中学生にでも理解できる内容ではあるが、これの証明には希代の数学者たちが挑戦して跳ね返されてきたという歴史がある。
n が3の場合、4の場合、5の場合と、順番にそれを証明していけば、今ならコンピューターもあるわけだし無限に検証できるじゃないかとボクなどは考えるのだが、数学の世界ではそれでは許されない。

たとえ1,000,000,000まで証明されたとしても、1,000,000,001も真だと言うことはできないし、1,000,000,000,000まで証明されたとしても、1,000,000,000,001が真である証拠にはあんらない。これが永遠に続くのだ。コンピューターを使って力づくで数を切り崩すだけでは、無限を手に入れることはできないのである。(P.255)

この300年の謎に終止符を打ったのはアンドリュー・ワイルズという数学者であった。
彼もまた少年時代にこの謎を知り、以来、この問題に興味を突き動かされていく。何十年にもわたってワイルズは先人たちがどのような手法でこの定理に挑んだのか、そして破れさったのかを研究する日々を続ける。
しかし、ワイルズは、ケンブリッジ大学の大学院生になり指導教官の薦めにより「楕円曲線論」と呼ばれる分野での研究課題を与えられ、一旦はフェルマーの問題を棚上げをする。が、この棚上げと見えた「楕円曲線論」への研究が、結果的にフェルマーの定理解析に繫がる大いなる一歩になったのだ。なんという運命。

「楕円曲線論」とフェルマーの最終定理の証明をつなげるのに一役かったのが日本の数学者である志村五郎、谷山豊が提示した「谷山=志村予想」と呼ばれるものであった。これは楕円方程式とモジュラー形式は実質同じものではないか、という予測であった。それらは厳密に証明されたものではなかったが、モジュラー形式と楕円形式という数学の世界では交通のない離れ小島にあった2つの世界をつなぎ合わせる画期的な発見であった。
1984年、また一人の数学者が大いなるミッシングリングを発見する。
数学者ゲルハルト・フライは「谷山=志村予想」を証明することがそのまま、フェルマーの最終定理の証明につながるという論拠を掲げたのだ。ここにワイルズが研究していた「楕円曲線論」が「谷山=志村予想」をブリッジとして、フェルマーの定理と繫がったのだ。
ワイルズは自身が研究していた「楕円曲線論」の世界が、少年のころからの夢であるフェルマーの最終定理証明に繫がることを知り、以降、取り憑かれたように「谷山=志村予想」の証明に取り組む。
数学の世界では情報を共有しあい、色々な研究者の見解や意見を聞くことでロジックを検証したり、強化していくという文化が形成されているようだが、ワイルズは、この証明への取り組みを誰にも漏らさず、ただ1人孤高の戦いを続けた。それは、フェルマーの定理の証明という地球規模の賛辞を独り占めしたいという独占欲と、研究を公表することでそれがヒントとなり、他の人に出し抜かれてしまわないようにという猜疑心と名誉欲に支配された結果であった。

フェルマーの定理が証明されたということは世界的なニュースとなったが、それが証明されたというのは、裏側では「谷山=志村予想」が証明されたということでもあり、数学世界ではこの証明のインパクトも強烈なものであったということなどは、本書では初めて知った。
フェルマーの定理が証明されようが、それが何かに役にたつものでもない、なのに偉大なる頭脳をもった数学者たちは、なぜ人生を棒にふるようなことまでして、それに挑むのか。それが数学者の好奇心や挑戦心を満たすものだからだ、と多くの数学者たちも考えていた。
しかし、フェルマーの定理の証明は、結果的には「谷村=志村予想」という、現代の数学の定理において、極めて強力な定理の証明をもたらし、それは「楕円曲線論」や「モジュラー形式」といった異なる数学の世界を大統合し、新たなテクニックや考え方を拡張していくきっかけをあたえたというのも出来過ぎじゃないだろうか。




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