ユニコーンを久々にテレビで見て
昨日はユニコーンミュージックステーションに登場するということで妻に録画しておいてもらった。
帰って早速見たのだが、なんとも言えない不思議な感覚に襲われて、一瞬ほろっときてしまった。
15年ぶりに再結成したと思いきや、その再結成第一作が、阿部ちゃん(と勝手に親しみをこめてあえて呼ぶ)作品というところがいかにもユニコーンらしい。楽曲もユニコーンらしく、いろんな要素を詰め込みつつ、シンプルなロックチューンに仕上がっている。
アルバムも出るそうで愉しみだ。ボクはもちろん初回生産限定版をAmazonで予約済みである。全国ツアーのチケットはプレオーダーでなんとか末席は確保できたけど、もっと良い席があればちょっと無理してでも手に入れたいと思っている。(プレオーダーの抽選はひじょーに当選確率は低い。周りの友達なども軒並み外れた。ボクは妻がセゾンカード限定プレオーダーのほうで申し込み、なんとかチケットを確保した)
ユニコーンはバンドブーム期に登場してきた多くのバンドの中では、かなり異色のバンドの一つだ。メインボーカルはいるものの、基本、全員が作詞作曲を手がけ、手がけた人間がボーカルをとるというスタイル。それが他のバンドなら、アルバムの中でメインボーカル以外が歌う楽曲がおかず程度のものにしかならないところ、ユニコーンの場合はメンバーそれぞれの個性が反映されて、どの楽曲もある一定水準をクリアして楽しめるようになっている。ビートルズ的といえばビートルズ的だ。
一般受けを無視したようなマニアックなアレンジや、愛だ恋だ「等身大の自分」や「青春」といったありきたりなものを排除したシュールな歌詞。多くのバンドが目指していた方向にあえて背を向け、徹底した天の邪鬼ぶりと、肩すかしを戦略として、一般人よりもむしろ業界関係者やミュージシャン仲間からの方が高い評価を得ていた彼ら。
良いおっさんになった彼らが、今後どんな面白いことをしでかしてくれるのか、非常に愉しみで、目が離せない。
ボクは民生がつくる楽曲がとても好きだ。それは彼がビートルズという王道を愛しつつも、「ポール&ジョン」よりも、どちらかというとジョージ。ジョージからELO、ELOからジェフリンへ。彼らが得意とする半音階進行&転調の作曲、楽曲構成を意識しているように思えたからだ。(あるいはスライドギター&ELOキラ星サウンドとでも言うべきか。) ボクもELOとジェフ・リンは、ビートルズという玉座をとる存在をのぞけば最も好きなロック&ポップミュージシャンの1人である。
民生本人自身、ジェフ・リンをフェイバリットミュージシャンとして上げており、ジェフ・リンの「“アームチェア・シアター” (ジェフ・リン)」を好きなアルバムの1つとして上げていたこともある。
ちなみに「Armchair Theatre」はほとんど話題にもならず、セールス的にもたいした成績を残せなかったジェフ・リンのソロデビューアルバムなのだが、ボクはこのアルバムは大傑作アルバムだと思っている。このアルバムを聴くと、ビートルズ路線の王道を引き継ぐのはやはりこの人なんだろうなぁと思わずにはいられない。まさに一人ビートルズ。なので、彼がビートルズの「Free As A Bird」や「Real Love」をプロデュースするというのはある意味納得なのだ。まだ未完成の楽曲のピースを新曲として構成しなおすという仕事は、ジョージ・マーティンよりもジェフ・リンのほうが適役なのではないか。
脱線したけれど、ソロになってからの民生はジョージハリスン的なものよりも、もう少しシンプルなロックものを意識していたように思える。ハリスンやELO、ジェフ・リン的な世界はどちらかというとpuffyのほうでやってる感じか。ユニコーンならば、個人趣味たっぷりの50’s世界からジョージ・マーティン的なものまで幅広い楽曲が書ける阿部ちゃんや、ストレートながら得意の泣き進行を持つテッシー、独自の世界観をつくりだすEBI、ロック大好き川西くんと、非常に幅広いジャンルや楽曲を各自が持ち寄って一つの世界観を作り出すことができた。その雑多な世界観があるから、民生は民生で自分の好きな世界を躊躇することなく披露することができたのではないか。ソロではアルバムにしてみても、どうしてもある程度のバラエティを無理にでも作らなければならない(デビューから数作まではそのあたりは意識していたような気もする)。ソロの民生が嫌いなわけでもないが、ユニコーンという舞台の上で、自分の好きなものを前面的に押し出すことができるようになる民生が、どんな曲を書いてくれるのかはとても愉しみなことの一つだ。
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