ゲーム理論で勝つ経営 競争と協調のコーペティション戦略

ゲーム理論で勝つ経営 競争と協調のコーペティション戦略 日経ビジネス人文庫

ゲーム理論で勝つ経営 競争と協調のコーペティション戦略 日経ビジネス人文庫

ゲーム理論の応用ってのも一種の流行みたいなものか。

「コーペティション(co-opetition)」とは、「競争(competition)」と「協調(cooperation)」を同時に扱うコンセプトのこと。
たいていのマーケティング理論や、経営戦略論は、この二つをトレードオフ関係にあるという前提のもとに論じられる。勝つものがいれば負けるものがいる、という単純な構図だ。
しかし、本書では、「両者も勝つ」ということだって十分にありえるのだ、ということを実際の事例から示す。
コーペティションコンセプトで最も重要なのは、「補完的生産者」の存在だ。現在のビジネスは「補完的存在者」なしに存在できない。補完的生産者とは、たとえば、ゲームのハード機器メーカーにおける、ソフトウェアメーカーだ。魅力的なソフトがなければゲーム機は売れない。しかし、ゲーム機が売れてなければ、ソフトウェアメーカーはソフトを開発する気にはならない。この両者には相互補完的な関係がある。

補完的生産者の定義は、「自分以外のプレイヤーの製品を顧客が所有したときに、それを所有していないときよりも自分の製品の顧客にとっての価値が増加する場合、そのプレイヤーを補完的生産者と呼ぶ」としている。
逆に、「自分以外のプレイヤーの製品を顧客が所有したときに、それを所有していないときよりも自分の製品の顧客にとっての価値が下落する場合、その自分以外のプレイヤーを競争相手と呼ぶ」

補完的生産者と、競合相手は、対極に位置しているわけだ。
この定義はよくよく考えると当たり前なのだけれど新鮮ではないだろうか。

今までの認識は、「競合相手」を同じ業界に属する自分以外のプレイヤーと見なしていたわけだけれども、ゲームの場がかわれば、実は今まで競合相手だったところも補完的生産者になることもある。また、補完的生産者が競合相手になる場合もある。つまり、プレイヤーの役割というのは、固定的なものではなく、ゲームを見る位置や場面によって変わるということだ。

本書では簡単に、MoMAとグッゲンハイム美術館は、会員や見学に来る人をめぐっては、競争相手になっているけれども、いくつかの美術館を訪ね歩くことができれば、週末にニューヨークに行く人も増えるだろうという例から、MoMAとグッゲンハイムは、競争相手でありながら、補完的生産者でもあると説明してる。

ほとんどの場合、競争相手だと思っているところは補完的生産者でもある。そして、競合を打ち負かすことばかり考えるのではなく、補完的生産者として捉えることで、その市場自体を広げる、開発して、お互いが利益を得るシステムをつくりあげられるかどうかを考えることも重要なのだ。(秋葉原に電気屋が集まっているのは、それぞれは競合関係でありながら、補完的生産者としての関係をつくることで得られるメリットを考えているということですな)

個人的には面白くなくはない本だけれども、
「競争」の場のモデルが、ほとんどの場合、価格競争面から語られるのが気になった。

特に、「ルール」とうい章で、最優遇条項やテイク・オア・ペイ契約によって各プレイヤーにはどのような強制力が働くのか、誰がどんなところで有利になるのかといったことを説明しているのだけれど、そのほとんどが、「顧客は価格を気にする」という前提にたって書かれているような気がした。もちろん「価格」は気にするだろうが、価格を軸として競争が行われるモデルが多くとりあげられているのが違和感がある。それはあまりにも単純すぎるだろう。モデルを単純化するために、ある側面だけをとりあげたのだろうけれど、読み流してしまうと、価格のことばかり気になるんではないかと、ちょっと心配になった。

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