宇宙創成/サイモン・シン

宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)
宇宙創成〈上〉 (新潮文庫)Simon Singh 青木 薫

新潮社 2009-01-28
売り上げランキング : 92

おすすめ平均 starstar主人公は「科学的方法」
star「 ビッグバン宇宙論」の改題・文庫化。「ビッグバンって何?」という方は是非。

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宇宙創成〈下〉 (新潮文庫)
宇宙創成〈下〉 (新潮文庫)Simon Singh 青木 薫

新潮社 2009-01-28
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先日「フェルマーの最終定理」を読み、そのあまりにもの面白さに舌を巻いたばかりなのだが、本屋に立ち寄ると、平積みの文庫本にサイモン・シンの名前が。なんとタイミングが良いのだろうか。すぐさま購入し、そして一気に読んだ。面白すぎる。寝不足になってしまう。
この人は本当にサイエンス・ノンフィクションが巧い。巧すぎる。
難解で、一般人にはなかなか理解できない立ち寄りがたい科学や数学の世界も、彼の手にかかると極上のエンターテイメントに変わる。

「フェルマーの最終定理」よりも、「宇宙」というテーマはより身近で、誰もが一度は疑問を抱き、興味を馳せたことのある分野であろう。しかし、一方でそのテーマの壮大さや難解さ、スケールは途方もない。少し考えを巡らせるだけでも、その世界に飛び交う数字の単位の大きさや小ささを知るだけでも、胸苦しささえ覚えるほどだ。
深く知るためには、前提とされる科学や物理、数学の知識が必要だし、浅く浅く知るだけでは、その深みにこそ広がる宇宙の謎に歩み寄れない。

しかし、危ぶむことはない。仮に、科学や物理といったものに嫌悪感を覚えるような人であっても、本書を読む時間は至極の読書体験になるだろうし、また、そこで得られる知識は、受験勉強にありがちな「ガリレオ」「コペルニクス」「ハッブル」「ホイラー」「ビックバン」「相対性理論」といった上辺の言葉をなぞって覚えるだけで得られるような知識や世界観とは異なる次元の深みを与えてくれる。
(もちろん、それにそれで宇宙論の本当の「深い」部分に到達できるわけでは当然ないことはもちろんだけれども、その面白さ、面白みの一端を知ることができるレベルの知識を得られるという意味では、一般素人には十分ではないか)

基本的には、宇宙論そのものの歴史を丁寧に辿りながら、その都度現れた理論や批判、そしてその理論や批判を支える科学的・物理学的な発見や発明といったものを中心に書かれている。なので、読めば宇宙論がどのような変遷を辿って、現在の「ビックバン宇宙論」(という言葉だけはやたら敷衍している)に行き着いたかということがわかる。
各章のまとめには授業の講義ノートのようなチャート的なまとめも付いているので、読んだ箇所を俯瞰的に眺めてより立体的な把握がしやすくなっているし、後で読み返すときも、このチャートから遡って読みたいところを探せるのは便利だ。

現在、明らかになっている宇宙のモデルを、多少なりとも知っているボクらにしてみれば、紀元前6~17世紀までに展開された宇宙論は一笑に付すような内容だろうけれども、この時代でも、現在につながる観測や数学を用いて科学的、論理的に事象を捉える仕方を発見していくその様子は刺激的で面白い。

序章は、神話的な科学的根拠に根ざさない世界把握の仕方から、数学や物理学といった、今につながる背景に潜むロジックや根拠の発見といったところが紹介される。
エラトステネスが地球の周囲の長さを求めるために、シエネの井戸の底まで太陽光線が届くタイミングでアレクサンドリアで棒を立て、そこにできた影との角度から測定したその考え方や方法で得た数値が現在わかっている実際の数値を15%上回っていたに過ぎなかったという逸話などその知恵や想像力に驚かされる。

そして、よく知る「地球中心説」と「太陽中心説」の長い論争と戦い。
ボクはガリレオは太陽中心説を唱えたことで、死刑にされたのだと勝手に思い込んでいたのだが、本書を読んでそれが間違いだということを初めて知った。恥ずかしい限りだ。
ガリレオは単に幽閉されただけだったそうだ。コペルニクスからケプラー、そしてガリレオへ。太陽中心説は、それまでの地球中心説では説明しきれなかった事象や現象を解明し、よりシンプルな理論によって、プトレマイオスの「アルマゲスト」の世界観を打ち破っていくことになる。

中盤からはいよいよ、本書を貫く一大テーマである「宇宙は過去のある時点で創造されたのか?」それとも「永遠の過去から存在していたのか?」という問いに対しての科学的な解明の取り組みに主題が移っていく。
アインシュタイン、ハッブルというボクのようなド素人でもよく知るスターが登場する。アインシュタインが当初現在の主流である「ビックバン宇宙論」ではなく、「定常宇宙論」を支持していたことは初めて知ったし、権威を持ってからの彼が彼が一番嫌悪してた権威を盾に偏見を持ち込む人物になってしまったエピソードも、主テーマとは外れるが面白い。(アインシュタイン自身は、そのことを自分で認めて反省していて、その意味では、他の「権威」に胡坐をかく人たちとは違うようだが)

赤方偏移が発見され、ハッブルの法則が見出され、宇宙はどこかの時点で「始まり」を迎えたという「ビックバン理論」が現実味を帯びてくる。

後半は「ビックバン宇宙論」に対しての「定常宇宙論」の立場と、この両陣営の相譲らぬの戦いの歴史が記されている。宇宙に重い元素より軽い元素が多い理由や、宇宙のほうが宇宙に含まれる星よりも若いという逆転現象…等など、ビックバン理論を実証するには多くの疑問が残されていたが、これらは放射能の研究や原子モデルの解明、電波の研究など、物理科学分野以外の分野による研究や発見などを下敷きとして、徐々に解明されていき、結果的にほぼビックバン理論で間違いないだろうというところに決着する。

両陣営の科学者達のプライドを賭けた戦いの様も面白いのだが、なによりも皮肉なのは、「ビックバン」という言葉をつけたのが、実は定常宇宙論を支持し、ビックバン宇宙論の最大の批判者・攻撃者であったフレッド・ホイル自身であったということではないだろうか。ストーリーとしては出来すぎなぐらいだ。

しかし、最も驚くのは、なんといっても「宇宙」そのものの奇跡だ。
宇宙の成り立ちそのものは偶然と幸運と奇跡に支配されている。宇宙がまるで、そういう仕方に落ち着くために何らかの配慮や意志を持ったかのように。

英国王室の天文学者であるマーティン・リースが調べたところによると、現在の宇宙が誕生する際に重要な働きをしたパラメーラーは6つ(例えば「重力」など)らしい。
仮に、この6つのパラメーラーが今とほんの少し違っていたらどうなっていたか?
ε(イプシロン)は、リース自身が名づけたパラメーターの1つであり、これは陽子と中性子を原子核につなぎ止めている強い核力の力のことを意味する。
測定によると、この宇宙ではε=0.007だが、仮にこれが0.006なら宇宙は水素ばかりの世界になり生命が生じるチャンスはなく、0.008なら水素は重水素やヘリウムになってしまい、水素がビックバンの初期に使い尽くされてしまい、この場合でも生命が生じる可能性はなかったらしい。

偶然にしてはあまりにも奇跡的すぎる。何かしらの意志がそこに働いたと考え、神や宗教や形而上学的領域で納得したくなってしまうぐらいの偶然だろう。

本書では「ビックバン宇宙論」が宇宙論としての支持を得たところまでを範囲としてるが、当然、問題はより哲学的な領域であるビックバン以前というところに向かう。今は、ビックバン以前を科学として扱うことの不可能性や矛盾といったものも懸念されているようだが、本書内に登場するような科学者達の不断の努力や世界を識ろうとする欲望などは、いつか必ずこの答えへの回答も用意することになるのだろう。
その時には、また著者に本書の続編を書いてもらいたいものだ。


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