段取り力
著者は人間の能力や才能には大きな差はなくて、あるのは「段取り力」の差だ、とまで言い切る。著者に掛かれば、すべてのことは「段取り」というプリズムを通して語られる。イチローの練習方法も、リタヘイワース刑務所からの脱獄も、料理の鉄人も、鉄道のダイヤグラムも、すべて「段取り力」なのだそうだ。つまり人生がうまくいくかどうかは「段取り」にかかっているというわけだ。
確かに、「段取り」という言葉には、事がうまく運ぶように手順をととのえることといった意味があるわけで、段取りがうまくいけば、うまく事が運ぶのだろう。しかし、どうも本書のなかのたとえ話には飛躍がありすぎて、それも「段取り」なの?と突っ込みたくなるところが満載だったりする。
「段取り力」をつけていくには、スケジュールを管理しなければならない。その管理方法として、90分を1ブロックとして1日の予定を3色ボールペンで手帳に書いていくというような方法を解説しているのだが、そんなところでいきなりこんな一節。
そう考えると、時間割はなかなか優れた考え方だ。私たちは学校教育でずいぶん鍛えられているが、時間割は馬鹿にできないパワーを持っている。たぶん時間割を持っている民族と持っていない民族が戦争したら、持っている民族が勝つのではないかと思う。
段取りってのが凄く重要だということを強く強く訴えたいのだろうけど、これはいくらなんでもなぁ…
具体的に「段取り」とはこうする、ああするというような解説本というより、「段取り」がいかに大事か、そして「段取り力」というのは、個々人が自分にあわせた方法でつけて行くことができるのだということを訴える側面が強く、実践書というよりは啓蒙書だ。
最近、個人的に予実管理というものを始めた。
これも一種の「段取り」なのだろうか
ある会社では、退社前に必ず明日、何を何時間やるという予定を入力しなければならないらしい。そして、その予想と結果がどうだったのかを把握して、ズレがあった場合には、そのズレになった「原因」、その「原因」を解消するために、次からどうするか、ということを書き入れていかなければならない。これを毎日繰り返しているそうだだ。
明日何を何時間やるか、とプランを立てるのは、段取りの基本だろう。これを毎日やり続けていれば、おそらくその会社のスタッフは相当な「段取り力」を持っているのだろうと思う。
この会社のやり方を知ってからずーっと気にはなっていたのだけれど、まずは個人レベルでやってみて、それが有意義だということがわかれば会社への導入を提案してみようかと考えている。
段取り力をよくするためにも、動機付けの目標はある程度厳しさがあったほうがいいだろう。納期もなく、コストパフォーマンスもない設定では、段取りがよくなるはずもない。
とうように、多少厳しい目標をたてて、それをどうやって達成するかを考えるということも「段取り力」の強化につながるだろう。
本書でも例にあげられていたが、10%のコスト削減方法で悩んでいた技術者に対して、松下幸之助は、「いっそのこと50%の削減方法を考えてみろ」というようなことを言ったそうだ。つまり、5%、10%をどうするかと考えているときには、「現状」をベースとして、そこからの発想で物事を組み立ててしまう。しかし、50%削減ともなれば、たとえばそのものの素材や、組み立て工程といった根本的なところから見直さざるをえない。そういった視点の導入が、逆にブレイクスルー的なアイディアの発見に役立つのだ、ということらしい。
自分で立てる予定や目標というのは、ついつい余裕をとってしまいがちだが、いっそのこと到底無理だろうと思われるような設定をしてみて、そこから考えることを始めても良いのかもしれない。会社に予実管理を導入するなら、このへんの意識の問題もきちんと説明する必要はあるだろう。てきとうに「予」と「実」が合うように、大雑把にやってもあまり意味はない。
予定より早く業務が終わりすぎることだって、決して良いことではないのだろう。
「裏段取り」を考えてみるというところは面白いなと思った。
「段取り力」をつくるには、すでにある優れたヒット商品やアイディアを元にして、それがどのような「段取り」でつくられたのか、生み出されたのかを考えてみるということをする。
どの領域にも言えることだが、総じて完成形がシンプルに見えているほうが、裏の仕込みは複雑であることが多い。
WEBサイトの構築にせよ、プロモーションプランにせよ、同じことは言えるのではないか。そのシンプルさに落ち着くまでにどのような工程があったのか、どのような段取りがあったのかということを追想することは、単なる想像の世界でしかないとはゆえ、非常に良い訓練になるような気がする。