葬式のマナーをこの際だから覚えなければ

親戚に不幸があり、本当なら週アタマから東京出張だったはずがすべてキャンセルし、葬儀への参列となった。
けっこう重要な予定が入っていたのだけれど、これは仕方ない。新幹線は直前だったのでキャンセル費が500円ほど発生したが、ホテルは当日だったが大丈夫だった。いくつかの予定についても一人で参加するものがなかったので、基本お任せすることにした。なんとかなるものだ。

親戚や身内では近いところでは祖父が亡くなった1999年1月以来だ。あの時はおそらく葬儀に出た弁当の牡蠣に当たって、東京に戻った後4〜5日ほど下痢と嘔吐と高熱で動けなくて会社を休んだ。まだ家賃5万円の狭い高円寺の6畳一間のアパートの時代だ。あれからもう10年近い時が流れたのだと思うと不思議な感じがする。その間にボクは東京では江戸川橋に1年半暮らし、その後再度高円寺に戻り、その後京都で約3年、東京で1年半、再度京都で2年と京都と東京を2往復している。当時東京の社員は未だ20名にも達していなかったはずだ。と思うと、おそろしく前のことのように思える。

親戚の人達のほとんどは、こういう場でしか顔を合わせることもなく、誰が誰かまったく覚束ない。なにせ考えて見れば、祖父の葬儀に顔を合わせたぐらいで、ここ20年とか30年で1〜2回しか顔を合わせていない人達が殆どなのだから。(めでたい席でたまに顔を合わせるなら良いものの、不幸な席でしか顔を合わせないというのも少し哀しいが)

月曜日がお通夜で、火曜日に告別式、火葬、骨あげ、還骨勤行から初七日法要という順番。こういう順番や役割や作法みたいなものってのは、あんまり詳しくなりたくはないけれど、やはり知っておかないとダメだと痛感した。

そもそもボクはお焼香の回数とか手順とかも実はよく知らなかった。ネットで調べれば宗派によって回数やら方法が違うようだが、マナーブックなどでは1回か3回と書かれてある。2回は「重ねる」みたいな意味があるから避けたほうが良いとか。

うちは宗派としては珍しい黄檗宗。黄檗宗のサイトでは、

焼香は礼拝する仏様に対して背筋を伸ばし、合掌礼拝をして香を自然に親指・人差し指・中指の三本でつまみ、反対の手のひらを添えながら顔の高さまで頂き香炉にくべます。

とし、回数については強くこだわらないとしながらも、

葬儀の時は仏教的には「一に帰る」(帰真・帰元ということ)、俗説では「別れの一本線香」と言われるように焼香も一回のみする事が多いようです。特に多くの方々が焼香をされる事を考えると、マナー的にも一回の焼香に心を込めて丁寧にお供えしたいものです。

FAQ(仏壇・仏事等に関して) : 臨済・黄檗 禅の公式サイト
なるほど。親指、人差し指、中指の3本か。知らなかった。親指と中指でつまんでいたなぁ。

葬式の諸々の儀式や、その順番にはきちんと意味がある。それは親族たちが故人を偲びながら、その死をきちんと現実のものとして受け止め、処理していくための手続きであり、これらの儀式を通じて、親族、親戚は悲しみを共有していく。また一方でただ辛い辛い現実から逃げたいという気持ちから徐々に現実へ馴れさせていくためのステップみたいなものでもある。儀式を通じて、涙を流し、悲しみをぶちまけていくことで、徐々に気持ちが納まっていくのだ。やりきれない思いや辛さ、痛みは少しづつ儀式を通じて和らいでいくのではないだろうか。

初七日法要は本来は、は亡くなった日を含めて七日目に行われるものらしいが、最近は略式なのか還骨勤行の後にそのまま行われたりということが普通になりつつある。
49日までは7日周期で追善供養が行われる。昔は49日までは線香の火を絶やしてはいけないとかがあって、ボクの母などもそういう経験はあるようだが、さすがに今はそこまで厳密に儀を執り行うところもないようだ。

その後、百ヶ日、一周忌(ここまでが喪中)、三周忌(2年目)、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十五回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌と、没後、49年目の祥月命日まで年忌法要が続く。つまり、故人の供養を50年続けなさいということだ。

最近では、こういった法要などもだんだんと執り行われなくなってきているというか、途絶えてしまっているところも多いだろうと思う。少し寂しい気もする。こういう文化けっこう大事なのだ。ボクらの世代がこういうものを受け継がなければ、おそらく、こういった伝統は完全に形骸化していってしまうだろう。

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