暗闇の中で子供—The Childish Darkness

暗闇の中で子供—The Childish Darkness (講談社ノベルス)
暗闇の中で子供—The Childish Darkness (講談社ノベルス)舞城 王太郎

講談社 2001-09
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言って見るもので、スタッフの机にあったので「ちょうだい」と御願いしたら、すんなり「いいっすよ」という返事。

煙か土か食い物」の続編が出てることも知らなかった。


舞城は、このブログでも何度か取り上げているが、彼の描き出すどうしようもない暴力と、あまりにも幼稚でくだらないカリカチャー的の世界の空虚さってのは何なのだろうか。その世界に自分がなぜこんなに惹かれてしまうのか。不思議でならないのだが、本作も読んでみて、やはり舞城は最強だと思った。物語はハチャメチャだし、最初からリアリティとかをあざ笑うかのように漫画的世界のオンパレードだ。なのに圧倒的に「重い」。この「重さ」は何なのだろうか。こんな「重さ」を若手の作家の誰が持ちえてるだろうか。見渡してもすぐに思いつく人はいない。

メフィスト/「講談社ノベルズ」という出自から舞城をいわゆる「新本格」の一人として捉えられてしまいがちだが、それは全然違う。村上春樹が一流のミステリー作家であることと同じ意味で舞城は純文学の作家だ。「現代」を小説という表現形式においてしか捉えられないような仕方で捕まえることができる稀有は作家なのだ。


さて、前作は奈津川家の中でも最も頭が切れスマートな四郎が主人公だったが、今回は常に逡巡する男三男の三郎が主人公だ。兄弟の中でも取り立てて喧嘩に強いわけでもなく、奈津川家、奈津川兄弟という超ど級の暴力と狂気の血が渦巻く中にあって、最も頼りなく、凡庸といってもいい三男。迷い続ける「子供」が三郎だ。



今回は、タイトルにもあるように「子供」が大きいキーワードとして全体を貫く。「子供」が持つ幼稚さと、幼稚であるがゆえの無邪気でとりとめもない暴力。そして、相手を奪ってしまわなければ成立しない純愛の形。こうったものを、舞城は前作と同じ福井を舞台に、いくつもの現実離れした猟奇的殺人事件に絡めて描き出す。もちろん「三郎」も父丸雄や、兄・失踪した次郎から見れば「子供」である。登場人物は時間を超えて錯綜し、それぞれの関係において子供であるが所以の拘りや残虐さ、憤り、迷いが、この福井の町に不吉な影を落とす。


事件は前半からものすごいスピードで発生して、同時にまるで読者を先回りして肩透かしを食らわすことだけを目的としたかのようにスグに解決に至る。事件発生⇒解決を繰り返しながら、三郎とユリオ、三郎と楓、それぞれの愛のありさまが描かれ、究極の愛として禁断の「家族」の根幹に踏み込んでいく。

物語自体の疾走感の清清しさや、あまりにも直向で不器用なユリオの魅力、そして逡巡を繰り返しては、奈津川家の三男としての不安定な自我に苦しめられる主人公三郎。物語中盤からエンディングへの疾走。その残酷さはここ最近読んだどの小説をも飛び抜けている。物語は作品中に何度も登場する「羊達の沈黙」「レッドドラゴン」のレクター博士を換骨奪胎するかのごとく、あらゆるものを飲み込み、食い散らかし、そしてなんとも言えないカタリシスを用意する。



前作を読んでない人は、多分、いきなり読んでもこのスピードや、あまりにも現実離れした背景や人物設定といったものになかなか付いていけないだろう。しかし、はまってしまうとこれはなかなか病みつきになる爽快感と疾走感、そしてある種の愛がここにはあり、抜け出せなくなること請け合いだ。ぜひ、舞城ワールドへ。

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