Gift [市橋織江写真集]
市橋織江さんの写真は色々な雑誌や広告などで見ていていいなと思っていた。ファースト写真集が出たということで思わず購入してしまった。
Gift [市橋織江写真集] (大型本)
彼女の写真は「カメラ日和」とか「LOVEカメラ」などの雑誌がメインターゲットに据える「かわいい」「ゆるい」スロー系写真のお手本みたいなものかもしれない。
彩度が低めの淡いトーンに少し間の抜けた構図。1枚1枚がお洒落でかわいい。
こういう写真を撮りたいと思う人もすごく多いのではないか。
市橋さんの作品が好きな人ならその世界はぎっしり詰まってるので充分楽しむことができる写真集であることには違いない。
ただ、この手の写真を写真集という形でまとまって見ると、どうもやっぱり飽きるなぁというのがボクの個人的な感想だ。写真集を最後まで見ていくような緊張感を持続できないのだ。
これらの写真には、写真を見て何かを考えさせれたり、何かわからない感情に突然襲われたりみたいなことがない。かわいくて、キレイで、和めてというただそれだけだ。
それが必ずしも悪いことだとは思わないけれど、ボクには合わない。
1枚1枚の写真としての面白さや美しさみたいなものでは、目を惹かれるのだけれど、写真集というようなまとまった形で提供されると、あまり面白くない。まぁこのへんは単純に好みの問題なのだろう。
同じタイミングで、またまた佐内さんの「message」という写真集を買った。これもオークションで落としたのだが、こちらの写真集も同じように「風景」ばかりが納められている。殆どが東京のどこにでもあるような裏道や町角の写真なので、海外が中心の市橋さんの写真集と較べるのも変だけれど(そもそもスタイルも違うだろうし)、やはりボクが好きななのは佐内さんの方だ。
message (大型本)
佐内さんの写真集は何度でも見返すけれど、市橋さんの写真集はたぶん、ほとんど見返すことがないんじゃないかと思う。
佐内さんの風景写真は、あらゆる意味を取り除こうとしてる。写真として撮られ、選ばれた風景としての何かしらの意味や意義みたいなものがそこには全くといっていいほど感じられない。どの町でもどの都市でも見られるような匿名の風景。でも、だからこそその写真に見る側は色々な想いや感覚を重ねていける。
川内倫子さんとかも「ゆるい」とか「スロー」とかそういう文脈で語られたりすることもあるだろうけど、川内さんの写真集も市橋さんのとははり違う。川内さんの写真集が持つ、圧倒的な悲しさとか寂しさは、1枚1枚の写真というよりは、写真集全体として滲み出てくるものだ。佐内さんの写真集とかでもそうだったけど見開き写真での左右のはっとするような対比の妙だとか、何の変哲もないものをあるモチーフによって積み重ねていくことによって生まれるポエジーみたいなものとか。むしろ1枚1枚の写真では表現できないものが、写真集という一塊の形式を通じて表現されている。
市橋さんの写真はどちらかというと名作主義というか1枚ごとの緊張度が高いということなのだろうか。(川内さんや佐内さんの写真の緊張度が低いという意味ではないけど)