熊の場所

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熊の場所

今もっとも、時代とシンクロしている作家じゃないかと勝手に思ってる舞城王太郎の短編集だ。表題作は三島賞候補にあがったが惜しくも落選。その後、昨年「阿修羅ガール」で三島賞を受賞し、名実ともに現代日本文学を代表する書き手になったことは、以前のblogでも書いたとおりだ。

本書におさめられている短編の「熊の場所」と「バット男」は「群像」で既読だったが、「ピコーン!」は書き下ろしということで、改めて読み直そうということで購入した。

舞城の作品を昨今頻発する少年犯罪と絡めて考えたり論じたりするのは、僕は正直あまり意味ないんじゃないかと思っている。「熊の場所」の「まー君」は酒鬼薔薇事件の加害者を安直に呼び寄せてしまうかもしれないが、舞城はまったくといっていいほど「まー君」のプロフィールや出自や思考を描いていない。それを描くことは類型化の道を辿ることになるからだ(柳美里が犯してしまった間違いのように)。だからこそ主人公「僕」の視点を通じて、この不条理な世界や暴力や性について、そんなものはたいしたことじゃないや、考えてもよくわからないや、とにかく「恐怖」の源、それが発生した「場所」に戻るしかないや、というような思考を連ねさせるだけなのではないか。

書評については、舞城王太郎、村上春樹、法月倫太郎を横断しながら、いかにして現代における「親」(小説的規範や社会通念、そして「村上春樹」)を乗り越えるか?を論じた優れた評論「僕たちよ、「熊の場所」へ戻れ」(書評パンチ)を引用しておく。

舞城王太郎は、あきらかに父の世代である村上春樹を乗り越えることをスタートラインとして書きはじめた作家だ。舞城の作品では家族というテーマが、なんども繰り返し描かれる。80年代以降に山ほど描かれた、単純な家庭崩壊劇はもうたくさんだ、俺は家族を崩壊させないままで、暴力に満ちたリアルな世界を生き抜くための倫理を描く、という彼の叫びが聞えてくる。そのためには、子どもはまず、みずからの内なる恐怖心を乗り越えなくてはならない。そうすることが、親を乗り越えることなのだ。


さて、少し視点を変えて、僕が舞城王太郎を現代の書き手だと意識するのは、その文体のスピード感だ。
そのスピード感を生み出しているのは、安直な喩えだけれども、「手紙」と「Eメール」との差異のような気がする。現代を生きる作家であっても、そのほとんどが前時代的な「手紙」的な重量と密度を持って、テクストは綴られるのに対して、舞城の文体には「Eメール」の軽さがまとわりついている。その「軽さ」が極めて現代的なんじゃないかと思うのだ。
それはたとえば、女子高生の間で大流行して、とうとう出版までされてしまった「携帯ノベル」の文体などとは全く異なる。「携帯ノベル」は、単に携帯で読みやすいように書かれているだけであり、その文体はやはり「手紙」の持つ価値や希少性みたいなものを意識している。
ところが舞城の文体には「希少性」が欠けている。文章というものが必然的に持ってしまう「質量」を極力そぎ落とそうというような意識が見える。

「(^^)」や「(^^;」といった顔文字を使うことで、硬くなる意見や主張を和らげたり、恐縮したりしていることを表現するというのは「Eメール」に限らず、チャットや掲示板などでもインターネットにおけるエクリチュールでは頻繁に利用されるだろう。インターネットの世界においては、意味的な厳密さや強度をいかに上げるかということよりも、顔文字のような記号でごまかすことでスピードを上げることのほうが重視されている。

小説技法において、このスピード感は、一種の「逃げ」であり、筆力のなさの裏返しとして捉えられるような風潮があるが、舞城はあえてそこに挑んでいる。なぜなら、そのスピード感こそがリアルだからだ。無為に言葉を積み重ねるよりも、「ララー」「ガツッ」「うふふ」というような感嘆表現や、感嘆符による「驚き」「発見」の表現のほうが、大袈裟な比喩を持ち込むよりもずっとずっとリアルに主人公たちの心の動きが見えるからだ。もちろんこの手の技法はたんなる「技法」としてすぐに朽ちてしまう可能性があるわけだけれども、今、現在においては、小説の「薄っぺらさ」、主人公の思考の「薄っぺらさ」を十分に表現することに成功しているのではないかと思う。(そもそも「内面」みたいなものが重視されること自体が、小説的な形而上学主義ではないか…?)

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コメント

  1. yuuka より:

    Hi!
    私も「熊の場所」好きです。
    舞城王太郎で最初に読んだのがこれで、なんだコレ?!すっごくカッコイイって思った。文章にグルーブがある。
    次ぎに読んだのは阿修羅ガール。途中文脈ないとこはついてくの難しかった。おセンチな文脈がないと私には難しいようです。
    森の描写が好き。S・キングみたいで。
    煙りか土か食い物か、も面白くて。「酔いどれ船」の短編の空気に似てる気がしました。文章かっこいい。
    「好き好き大好き超愛してる」を読んだのはこないだ。ロマンチック。
    けど、熊の場所が一番好き。読んで以来、私は極力熊の場所に帰るようにしています。なるべくだけど。

  2. ゆで麺 より:

    コメントありがとうございます。

    ボクも「熊の場所」がすごく好きです。
    下手な説教、教訓を聞くよりも、「熊の場所」を読むほうがずっとずっと心に迫ってくるものがありますね。ボクも時々、逃げようと思ったときに、「熊の場所」に戻らねば、なんて考えたりすることがあります^^;

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