明け方の猫

保坂和志の「明け方の猫」を買ってしまった。というか、群像に掲載されたやつ読んでるし….併載の「揺藍」もホームページで読んだし。よく調べて買えばよかった。ここ最近、保坂和志の書くものは無条件で信じてしまっているので、ついついBK1で買ってしまったのだ。しかし「明け方の猫」なんて掲載された群像もまだ持っているというのに。
でもまぁ、せっかく買ったんで、読み直してみるが、やっぱり面白い。
「揺藍」は彼のデビュー前の作品で、ホームページではいろいろと語っていたが、やはりこの語り口ってのは単純に田中小実昌の影響がもろにでているという感じがする。
「明け方の猫」のほうは彼の哲学的思索を小説に束ねた感じがする。ここに登場するモチーフは、自己同一性とか、身体論とか、まぁあげていけば現代思想のひとつの象徴的な題材ばかりなのかもしれないけど、あれは思想を、そこにあるものとして書くのではなく、あくまでも思考の道筋として示そうとしているところが面白い。現代思想はけっきょくのところカラタニ氏が言うように、自分がのっかっている枝を自ら切るというようなことをしているだけなのかもしれないが、僕が常々いやらしいなと感じていたのは、なんだかんだいっても、思想は、たいていの場合、ぽん、とそこに投げだれて、もともとあったかのごとく語られるということだ。このニュアンスを語ることは難しくてうまく表現できないけど。散文という形式でも、島田雅彦とかになっちゃうと、ぐんと思想が「ある」ように扱ってしまう。保坂和志という人の散文は島田雅彦なんかよりもずっとずっと自由だし、力強いんじゃないかと思うんだな。何をいってるのかよーわからんようになってきたけど。

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