クルーグマン教授の経済入門

クルーグマン教授の経済入門

クルーグマン教授の経済入門

アマゾンの書評を見ていると、評価が低い人のほとんどが「山形口語訳」に反応しているのが面白い。この手の本には、この手の本に共通の語り方ってものがあって、それら一般的な語り口に比べれば、山形さんの訳というのは、確かに特異なものだと思う。僕は原書にはあたってないので、クルーグマン自身の文章がどのようなものかわからないのだけれど、語り方や文章の構成を読んでいると、原書ではおそらくこう書かれていたんだろうなと想像できるところがあって、それは極めてロジカルで標準的な英語の特徴的な文章だ。実は、山形さんの訳というのは、ニュアンスも含め実は原書に忠実なのではないかなという気がした。

さて、この手のいわゆるマクロ経済学の本は、なかなか流通しにくい難解さを纏っていることが多いけれども、本書は実に分かりやすく、ロジックも明快だ。読むと、「アメリカ経済」の問題の大部分がわかったような気になってしまう。これだけ見通しの良いマクロ経済本は僕は読んだことがない。(といってもジャンルとしてはあまり読んじゃないジャンルだけれども)

読んだことをスグ忘れてしまうので、勉強のためにも内容についてまとめてみようと思う。

いきなり第1部で、著者は「経済のよしあし」は3つしかない、と断言する。それは、生産性、所得分配、失業だ。そして、この3つについて、今のアメリカが良い成績を上げられていないことを問題とし、それぞれについて実にわかりやすく問題の根拠と、それがもたらす害について語る。

生産性成長
「ある国が長期的に見て、生活水準をどれだけ上げられるかを決めるのは、ほどんどすべて、その国が労働者1人あたりの産出をどれだけ増やせるかなんだ」(P.29)

生産性を考えるうえで著者はまず、「アメリカがほかの国といっさい貿易しない」という極端な状況を設定して考える。
(他のところでもこういう方法は頻繁に出てくるが、著者は問題の核心、輪郭を浮かび上がさせるために、あえて極端な状況やモデルから考えてみる、とういことを行う。)

この状況では、「消費するものはすべて、アメリカ国内でつくんなきゃならない」そして、このような状況で、生活水準(人口1人あたりの消費額)を上げるにはどうしたら良いか? 


生産性を上げて、各労働者がもっと財やサービスを生産できるようにする。


総人口の中で、働く人の割合をもっともっと増やす


産出の中で、将来に向けての投資用にとっておく部分を減らして、今すぐ消費するための財やサービスをつくるほうに生産能力をふりむける。

ハは将来消費できる量を犠牲にするため長期的には生活水準を上げないし、ロはすでに総人口の中で職に就いている人の割合は増えているし、これは100%以上にはなりえない、ことから、結論として「イ」しかないと説明する。

じゃぁ、貿易が行われる世界。
産出の一部を輸出して、国民が消費するものの一部を輸入する。
「輸出を増やさないで輸入を増やせば、消費量も増やせるようになる。だったらつまり、1人あたり消費量を増やす方法が2つ増えたわけだ」(P.33)


外国に売る量を増やさずに、もっと輸入すればいい──ということはつまり、増えた輸入代金を支払うために借金をするか、あるいは手持ちの資産を売るしかないってことだ。


輸出品をもっと高く買ってもらえるようにして、借金しなくても輸入を増やして支払えるようにする。

ニはハと同じ。長期的には使えない。借金はいずれ返さなきゃならない。ホはじゃぁ、どうやって「高く買うよう説得するか」ということ。これは結局、生産性の向上ということ。

80年代以降、アメリカの生産性成長は著しく低下した。それは諸説あるけれど、実のところ「だれにもよくわかんないのだ。」

どうしたら生産性成長を加速させることができるのか? これも実はよくわからない。「たとえば教育水準の向上を奨励したり、産業研究コンソーシアムを支援したり。いくつかは試されるだろうし、なかにはちょっとうまくいくヤツだってあるだろう。でも基本的な政治上のコンセンサスでは、低い生産性成長はなんとか我慢できなくもないってことになってる。そのうち何かが起こって、生産性成長が勝手に加速してくれるのを祈りましょう、というわけ」なんて述べる。 

生産性と生活水準の関係を説明したもので、こんなにわかりやすい説明はないんじゃないだろうか。貿易赤字や国際競争力や、そういったものは瑣末な事項にすぎず、貿易が一切行われてない状況だろうが、貿易が行われている状況だろうが、結局は「生産性」を上げなきゃ、生活水準はあがらないわけだ。

所得分配の問題では「金持ちは、ずっと金持ちになった一方で、貧乏人はとてつもなく貧乏になっちゃった」(P.46)状況を統計データなどを紐解き説明するものの、ここでも「なんで不平等が拡大したのか、だれもちゃんとわかっていないこともあ」り、また「このトレンドをひっくり返す手段ってのが、どれも政治的に手の出ないものだ」ということを、こういう施策を講じたらどうなるか、という例をひとつひとつ潰し説明していく。

雇用と失業
失業率の問題は、失業率を下げてしまうとインフレになってしまうこと。「政府がインフレをおさえようとすれば、それは需要をおさえることになって、結局はその水準以上に失業率を上げるしかない。」(P.61)

アメリカの失業率は2000年に3.8%を記録して、その後上昇。2003年3月で5.8%(4月には6.0%)になっているけれど、インフレ率は1.9%におさまっている。本書ではアメリカのNAIRU(インフレをおさえられる最低の失業率)の推定値は5~6%だろうと考えられている。

つまり、「雇用と失業」という分野に関しては、アメリカはインフレを抑えつつ、失業率も6%に抑えているわけで、むちゃくちゃ悪い成績ではないということになる。

相も変わらぬ頭痛のタネ──貿易赤字とインフレ

第1部では経済のもっとも重要な問題を扱っていたけれど、実際はその3つに対して、政府が何かできるかというと、あまり出来ることがない。ということで、2部以降では今の政治上の関心時になる問題が採りあげられる。

アメリカの頭痛の種である「貿易赤字」。日本にとっても他人事ではない問題だ。

「貿易赤字」の何が悪いかと聞くと「アメリカの職が失われるから」と答える人が多い。しかし、実は「貿易赤字」と「職」は何の関係もないと著者は断言する。たとえば90年にアメリカは980億ドルの赤字を出していて、これはGNPの1.8%に相当する。「もしこれだけのドルを国内にとどめておけたら、追加の需要でたぶんあと労働者200万人ほど雇えたって計算になる」(P.73)
ここから、「貿易赤字」が「職を失わせる」と考えてしまうのは無理もない。しかし雇用の問題でいくと、アメリカはむしろ「仕事をつくりだすのを制限している」(P.75)と述べる。
なぜか? それは「インフレ」を招いてしまうからだ。
雇用を促進して、失業率を下げようとすると、物価が上昇しだす。物価が上昇しだすとインフレになる。インフレはさらなるインフレを生み、結果的に、それはアメリカの競争力を低下させる。

そもそも貿易赤字はなぜ起きるのか?

いい例が、アメリカの80年代前半の経験だ。国民貯蓄が低下──つまり国の総収入に占める商品の割合が増えた。でも、国内貯蓄が下がってお金のフローが減っても、それを外国からの資本が穴埋めしてくれたので、投資支出はぜんぜん下がんないで高い水準のままだった。だから、アメリカ経済の総支出は、総収入よりも急速にのびたわけ。でも、ある経済が稼ぐよりたくさん支出するには、輸出するよりたくさん輸入するしかない──つまり、貿易赤字になるということ。(P.87)

 
このへんの語り口は実に明快だ。極端な状況や例、過去の考え方を持ち出しつつそれらの一つ一つを検証し、それらは実は根本的な問題ではなく、結局「総支出が総収入よりも多かった」という当たり前のところに帰着する。

そして、貿易赤字は解消しようと思えば、どんな国でも解消できると、著者は語る。

貿易赤字削減の解決には、2段階必要になる。支出を切り替えて、同時に減らさなきゃダメ。切り替えるというのはつまり、なんとかしてみんなに、外国製品よりアメリカ製品を買ってもらうように説き伏せること─これはドルを切り下げるとか、関税の輸入枠の設定なんかで可能だ。でも、これだけじゃ足りない。こういう政策がたんにインフレを加速するだけになんないよう、国内需要を減らす手だてが必要になる。(P.89)

じゃぁ、国内需要をおさえるにはどうするか?

国の財政を収支トントンにするか、あるいは財政黒字に持っていくことだ(P.89)

「外国製品よりアメリカ製品を買ってもらう」のは、ドル安施策や輸入制限などの保護貿易政策で可能なわけだけど、国内需要を減らさずにこれをやってしまうとどうなるか?
ドル安を起こすためにはドルを刷ればいいだけ。でも、ドルを刷ると「インフレ」が起きる。インフレは競争力を下げる。問題は同じところに落ち着く。

インフレの害は「経済の効率が下がること」と著者は言う。そして「ハイパーインフレ」などの特異な状況による購入意欲の低下や、インフレによってもたらされる税金システムの歪みといった、インフレの害をあげつつも、実際はインフレ率が「10%になったところで、そのコストはたかが知れている。」(P.100)とし、最も重要なのは、「みんながインフレはよくないものだと思っている」(P.100)ことだと論じる。
「インフレ5%がしばらく続くと、労働者はこのインフレが続くものと期待するようになって、それを上回る賃上げ要求をするようになる。企業も、来年の価格改定までにいろんなコストや競争相手の価格も5%上がるだろうってことで、それを含めた値段をつけるようになる。」(P.62)
ということが続くと、インフレがどんどん進行していくことになる。それは結果的に経済の効率を下げ、「競争力を下げる」ことにつながるわけだ。

これだと「インフレ」だけが残って、貿易問題のほうは解決しない。

保護貿易施策で輸入制限をかけたとしても、「アメリカの貯蓄が増えなければ、輸入が減ったら外為替市場に流れるドルが減っちゃうので、ドル高になる。ドル高は輸出にひびいて、制限のかかっていない輸入品はどんどん増える」(P.90)
(保護貿易の害は、「市場がこまぎれになっちゃうから、企業や産業がスケールメリットを活かせなくなる」(P.194))

とうことで、保護貿易施策を打っても貿易赤字の解消にはつながらない。
著者が言うように、貿易赤字問題の解決には、「国内需要を減らすような政策をもってくること」が必要となる。

国内需要を減らすには、「財政赤字の削減」しか方法はない。
しかし「財政赤字」解消はきわめて難しい。著者はここで「医療費」の問題やアメリカの総貯蓄低下の問題を絡めて、それを解決するには、結局、連邦政府として「支出をカットするか、税金を上げるか、その両方をやるしかない」(P.153)と説明する。

つまり現実問題として、支出を減らして赤字解消するには、主に中流層のためのプログラムに手をつけなきゃならないってことだ──特に社会保障、そしてメディケア。(P.154)

著者は、アメリカは貿易赤字を削減する気はないんじゃないか?と問う。
最初に説明したように貿易赤字は雇用には影響しない。「唯一の害は、外国から借金を増やして、今日のツケの支払いを明日の世代にまわしちゃうって点だけ。」(P.177)

著者は最後(5部)で、「シナリオであって予測ではない」としながら、アメリカの未来を3つ容易する。(4つ目のシナリオは問題を先送りせずに、責任ある行動をすぐに決然ととる、というシナリオだが、このシナリオはどう考えてもありそうにもないということで、書かれていない)

第1のシナリオはハッピーエンド。アメリカの生産性成長が復活するというシナリオ。生産性が拡大すれば、「この本で議論してきた問題の多く(全部じゃないよ)はあっさり消えちゃう。」(P.352)
「全部じゃない」というのは、たとえば「失業率」や「インフレ」の問題だ。これらは生産性拡大では解決されないし、また、他にも「金融危機のリスク」も解決できない。
でも、このシナリオで進めば、アメリカは極めてハッピーだ。著者はこのシナリオ確立を20%と見積もっている。

第2のシナリオは「急降下不時着」。
つまり、何をやってもうまく行かず、「大経済危機」が訪れるってもの。
しかし、まずアメリカでは1929年の大恐慌のようなことは起こらないと言う。これまた単純な理由で「ぼくたちは29年依頼ちゃんと勉強して、そして連邦準備銀行はその勉強の成果をうまく活用」(P.357)できるから。例として87年のブラックマンデーがとりあげられている。ブラックマンデーは、実は29年の暗黒の木曜日よりもひどかった。でも、87年では株式の暴落にたいして連邦準備銀行はベースマネーの供給を急いで拡大して、金融パニックを防げた。
(が、「帰ってきた大恐慌経済」では、その説をひっくりかえしている)

じゃぁ、どんな「経済危機」が起こりえるのか?
これはイギリスが80年代に招いた危機と同じようなものだと説明する。それは、失業率が低下して、インフレが加速。その結果、とんでもない不況に陥ってしまったというもの。
また、インフレ不安のせいで国債の満期が短くなると、債務危機を引き起こす可能性もある。短期の負債をかかえると、政府は投資家の不安に翻弄される。要は。満期が短い国債が多くなると、政府は毎月のように満期を迎えて、それを払わなきゃならなくなる。つまり手持ちの現金が枯渇するという不安がでてくる。単純な話。借金を返してもらえなくなるかもしれん、という不安が貸してる側(投資家)に広がる。
この手の不安は、「不安が不安を呼んで本当にそれが現実の事態になっちゃう」(P.364)可能性がある。
こうなると、政府は最悪の事態に追い込まれる。金融危機だ。
(前例は94年末のメキシコ。最近じゃアルゼンチンもでしょう)

最後のシナリオは、「経済政策はこれまでとほとんど変わらない状況で、大きな変化なしに続く」(P.367)というもの。これは著者も「予測に一番近い」としている。
このシナリオでは失業率とインフレ率は低いまま。貿易赤字や財政赤字も続くけど、それほど悲惨な状況もならない。

この本は97年6月に上梓されているわけだけど、一番最後で

これを書いている時点では、アメリカの政治で「長期的な」というとき、それは7年ということだという不文律がある感じだった。それ以降に何が起こるか、誰も話そうとしない。するとこれは、アメリカ経済政策についての世論が2004年くらいにいきなり現実味を持ってくる、ということかもしれない。あるいは、見て見ぬふりや逃げ腰が、その後でさえも続くのかもしれない。2010年より手前のどこかで、押し寄せる年齢的な危機は、だれにでもはっきり見えるようになってくるはず。
人口高齢化の負担が無視できなくなったら、何が起こるんだろうか。現実味のあるシナリオを考えつくのはむずかしい。(P.372)

と語られている。
2004年。まさに今年だ。97年から2004年まで、アメリカはどうだったろう? ブッシュは派手な戦争をはじめたり、減税したりで財政赤字は拡大してるし、(クリントン時代のツケがまわってきたという説もあるが) どう考えても状況はハッピーエンドへは進んでいない。
その意味ではアメリカはかなりバカな大統領を選んでしまった、ともいえるかもしれない。

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