是枝監督「奇跡」は大傑作だと思う

映画「奇跡」
いやぁ、ほんとにいい映画。もう絶対に観たほうがいいと思う。
この映画をストーリーで説明しても、多分、何が良いのかはさっぱり理解できないだろう。でも観ればわかると思う。この映画が持ってる美しさや、チャーミングさは筆舌に尽くしがたいものがある。

新幹線がすれ違う瞬間に奇跡が起きる…? 両親の喧嘩別れが原因で、鹿児島と福岡で離れて暮らすことになった兄弟がそのことを知り、もう一度、家族四人で暮らすという夢を叶えようと、小旅行の計画を立てる。映画は、それぞれの兄弟を取り囲む家族や親類、友人や学校での様子などを断片的に取り込みながら、小旅行計画を着実に実現化させていく少年少女の姿を描いている。

(以降、ネタばれ要素が含まれている。)

実は、映画では「奇跡」は起きない。むしろ、子供たちの夢や企てのほどんとは否応なく現実的な解を受け入れざるをえないものばかりで、必ず「挫折」することが決まっている。

兄側の友人の一人は亡くなった最愛の犬の復活を夢見るが、当然そんなものが叶うはずもない。子供たちもそれを熟知している。ついさっき新幹線がすれ違う轟音に、大声で愛犬が生き返りますようにと叫んでいた少年は、帰り際に、あっさりと家に連れてかえって庭に埋める、と言い放つ。

また、もう一度家族四人で暮らすことを「夢」見て、桜島の大爆発という「奇跡」を起こそうとする主人公の兄は、その瞬間、結局、自身の夢を叫ぶことはなく、後で弟に、「家族よりも世界をとる」と宣言をする。自分勝手の都合のいい「夢」ではなく、兄自身もまだよくわかっていないけれども「世界」の方を重要視しなければと考えるのだ。
女優を夢見る少女は、旅から帰って母に「女優になるために東京に行く」と決心を固める。漠然とした夢と不安から、一歩具体的に足を踏み出す決意を固めたのだ。

そう、それぞれの子供たちは、「奇跡」を起こすための企てと、その小旅行の中で、いつの間にか「現実」を受け止め、それに対して、現実的な一歩を踏み出すことを始める。これは見方によっては、子供から大人への第一歩/成長とも捉えられるだろうし、現実を受け入れること=妥協として見る人もいるだろう。しかし、映画は、その子供たちの姿がとても清々しく描かれており、現実を受け入れることが決して妥協や後ろ向きな事象としては扱われてない。

糸井重里さんが「日本版スタンド・バイ・ミー」とつぶやかれた意味はすごくよくわかる。「スタンド・バイ・ミー」でも、少年たちはあの冒険を通じて、現実を受け入れ、大人になることに踏み出す。あの映画が多くの人々の心を捉えたのは、おそらく、子供から大人へなる、その過程、その瞬間に、子供であるからこそ得られた奇跡的な時間や空間みたいなものがあって、それを見事に描き出していたからではないだろうか。そして、その「奇跡的瞬間」というものは誰もが一度は経験していて、だからこそ、あの映画にノスタルジーを感じずにはいられないということだろうと思う。
そう、そして「スタンド・バイ・ミー」と同じように、この映画にもそういう「奇跡的瞬間」が凝縮されているのだ。

また、この映画では、この少年少女たちを取り囲む家族も、誰も順風満帆とは言えない色々な問題を抱えながらも、自暴自棄になるわけでもなく、何かを諦めて途方にくれるでもなく、自分たちが出来ること、自分たちの出来る範囲で、少しづつ「何かに取り組んでいく。母はパートタイムの傍らで祖母が愉しむフランダンス教室に自らも参加し始める、祖父は「ぼんやりした味」だと皆に揶揄されながらも、九州新幹線開通にあわせて軽羹作りに再チャレンジする。そして、ノーテンキは父は、日雇い仕事をしながら、バンド活動を続け、何か有名なフェスティバル?への出場権を掴む。映画的なドラマチックな展開も、ハラハラドキドキもなく、そこにはリアルな人々の姿が描かれている。
それらの姿はどれが正しく、どれが間違っているというわけでは決してない。それをまったく教条的にならず、また教訓っぽさや説教臭さも感じさせずに描かれているのだ。
観終えたあとは、ほんとに晴れ晴れとした気分になったというか、何か前向きな気持ちになれる映画だ。

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