最近DVDで観た映画数本

ここ何回か毎週、西院のTSUTAYAで大量にCDやDVDを借りてきて、翌週返しに行くというのが続いてる。CDはとりあえずiTunesに取り込めばいいけど、映画の場合はそうも行かない。借りる時は平日の夜でも何本かは観られるだろうと思いつつ借りるのだが、なんだかんだと平日はそんな時間は確保できず、結局、金曜日の夜か土曜日にまとめて一気に見るという習慣になっている。ただ、観た映画はどれもこれもけっこう面白いものばかりなので備忘録も兼ねて紹介しておこうと思う。

B0001LNNFCマグダレンの祈り」(監督:ピーター・マラン)
アイルランドのマグダレン修道院を舞台とした実際の話の映画化らしい。こんなことが実際に行われていたかと思うと、ぞっとするが、実はそんな昔の話でもなく、マグダレン修道院自体は1996年まで存在したとか。理不尽な理由で修道院に送り込まれた3人の女性を中心に、修道院のおぞましい光景を描いている。修道院での不条理な規律や、その差別的な扱いなど、目を背けたくなるシーンが続き、だんだんと気分が悪くなってくる。なかなかヘビーな映画だ。そういう現実があり、そういう境遇に何年も苦しめられた女性たちが実在したということにただ驚く。



B0002XG8KQエレファント」(監督:ガス・ヴァン・サント)
なんだかんだと、この人の映画はけっこう観ていて、どれもけっこうそれなりに心に響く。でも、どれも優等生的というか、無難な作りで失敗しようがない映画作りがうまい感じがしていた。でも、この作品はちょっと違う。ある意味野心的な作品というか。大失敗する可能性もあった、一種の賭けにでた作品とでもいうべきか。
1999年4月20日にコロラド州で起きた、コロンバイン高校銃乱射事件をテーマにした作品だ。題材があまりにも劇的すぎるので、盛り上げようと思えばいくらでも盛り上げられそうだが、映画はその真逆を行き、淡々とある高校での1日を色々な高校生の視点から描く。そこにあるのはどこの国のどこの学校にでもありそうな日常の風景だ。クラブ活動に勤しむ者がいれば、いじじめを受けるものがいる。女友達同士の微妙な関係があり、くだらない会話がある。
それぞれの風景をカメラは決して、その内実にまで迫ろうとはせず、あくまでも「風景」として捉え続ける。人々は構内を歩き、様々な場所に行き、さまざまな場所に集う。人々の移動をカメラはたんたんと背面から捉え、いくつかのシーンで時間と空間が交差し、様々な人達やグループが、同じ学校という空間、同じ時間に共存しているという様を描く。

映画では、事件の最も悲劇的なところをドラマチックに演出したり、犯行を犯した少年たちの内面や心情に迫ろうとはしない。ある事象を背後から周辺からただ捉えるだけだ。こんな陰惨な事件を起こした犯人たちだ、さぞかし深い闇を抱えているのではないかと勘ぐってしまうが、犯人たちも犯行を犯す前までは、どこにでもいる普通の高校生として描かれる。そこには何の暗さも、深い憎しみもない。確かに、犯人は学校でいじめを受けてはいた。しかし、そのこととと、この事件の大きさとはあまりにも程度が違いすぎる。その程度の違いが犯人たちにはわからない。その不条理さこそが、若者たちの抱えてる最も大きな問題であり、闇なのではないか。


B004MMETOKペルシャ猫を誰も知らない」(監督:バフマン・ゴバディ)
妻が映画館で観て、ものすごくハマった映画。サントラも買ってよく聴いている。
映画は、ロックやポップミュージックなどの規制が激しいイランを舞台に、そんな国で音楽を志す若者たちの姿を描いている。警察などの取締に終われて、練習場所を転々と移動せざるをえないバンド。牛小屋で練習するハードロックバンド。厳しい規制にも負けず、好きなものに取り組む若者たち。
実際の撮影の大部分はゲリラ的に行われたそうで、まさに撮影そのものも、この映画の主人公たちと同じように命がけだったようだ。その凄みは映画から溢れでている。こういう映画を観ると、ボクたちが何気なく享受できてるこの環境や状況が、いかに恵まれてるのかということを思い知らされる。そして、何かにここまで心を込めて、あるいは人生を賭けて挑むということが果たしてあったろうか、ということを考えさせられる。


B00005FPTS出発」(監督:イエジー・スコリモフスキ)
ヌーヴェルヴァーグ映画ではお馴染みのジャン=ピエール・レオが主演してる。妻が「アンナと過ごした4日間」を観て、スコリモフスキに興味を抱き、借りてきた作品だ。ボクは一作も観てない。初めてのスコリモフスキ作品。
主人公の青年の「車キチガイ」ぶりと、素直に恋を打ち明けられない不器用さぶり。映画全体にみなぎる疾走感と虚しさみたいなものが、そのまま「青春」という言葉を感じさせる。
映画の背景はあまり知らずに観たのだけれど、第一印象は、あー、すごくヌーヴェルヴァーグっぽい映画だということ。荒削りな感じや、適当さ、そして映画らしさみたいなものへの反抗心、ボクがヌーヴェルヴァーグ映画を観て感じるものが、この映画にはあって、最近久しくこの手の映画を観ていなかったので少し懐かしく思えた。でも、後で調べると1967年の作品なので、もうヌーヴェルヴァーグも後半というか終盤、その影響力が薄れきた頃の作品だったようだ。
こういう映画はある程度、歳を重ねてから観たほうが色々と感じるものがあるんだろうなと思う。


B00005HARNB00005HAROミツバチのささやき」と「エル・スール」。どちらも孤高の映像詩人ビクトル・エリセの作品だ。とにかく素晴らしい。大傑作だと思う。どのシーンを切り取っても全く無駄なものがない。それがエリセが、映像詩人と呼ばれる所以だろう。
ミツバチのささやきの、あの荒野のくたびれた感じや、そこを懸命に掛けて行く少女のバックショットなど、詩的な映像がいくつも心に響く。どちらの作品もたいしたドラマ性も観るものを惹きつけて離さないようなストーリー展開があるわけでもないけれども、観る人を映像から引き離さない強烈な引力を持っている。
とにかく観たことない人は観るべきだと思う。


B002M7OHWGブリキの太鼓」(監督:フォルカー・シュレンドルフ)
ノーベル賞作家ギュンター・グラスの長編小説を映画化したものだ。ボクはグラスの小説を読んだことはないのだけれど、この映画は好きだ。この映画の何が好きかと問われると答えに窮してしまうのだけれど、あえて言うとすると、「気持ち悪さ」というところに尽きるかもしれない。この映画を観たのは今回で2回目だけれども、前回観たのは、大学の頃なので、もうかれこれ20年前のことだ。それでも、当時観たときに感じた生理的な気持ち悪さ、気分の悪さみたいなものは痛烈に記憶に残っていた。今回見なおしてみたけれども、やっぱりその気分の悪さ、気持ちの悪さというのはそのままだった。
とにかく気持ち悪い。映画は全編を通じて、人間のいやらしいところ、醜いところがあらゆる場面で繰り広げられる。物語は、三歳で成長を自ら止めたオスカル少年の目を通じて語られるのだが、このオスカル少年がまた輪をかけるように、いやらしい子供なのだ。なにせ、自ら成長を止め、子供の身体のままでいることを選んだ少年だ。子供であることを武器に、家にきた女中を犯したり、実の父を死に追いやったりと、このオスカルこそが、実は一番いやらしく、悪意に満ちているのかもしれない。

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