「ペット・サウンズ」ジム・フジーリ

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ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)

ブライアン・ウィルソンの人生って何だったんだろうと思うことがある。
何も知らない人から見れば、カルフォルニアという土地が呼び起こす陽気で快楽的なイメージと、ビーチボーイズという組み合わせは、それだけで物凄く幸せな感じがする。少なくとも「カルフォルニア・ガールズ」を歌うブライアンには不幸なんてイメージを重ねる人はいないだろう。

どこかの神様がひょっとしてこんなことを言つたのではあるまいか、とあなたは考えるかもしれない。

「多くの人々に対して、多くの大事なものを与えることのできる人間を私は創ろうと思う。人々の心を豊かにし、人々の人生に陽光を送り、人々が自らを表現し、また自らを理解するすべを示し、この世界における自分たちの居場所を見つけだすことができるようにする、そんな作品を生み出せる人間を。しかしその本人は、とことんつらい目にあうように設定しておこう。彼の与える恩恵が自らには決して及ばないようにし、自分が向上させてきた世界が本人にとってはあくまで陰鬱な独房であるようにしておこう」


まったくだ。ブライアンの音楽は人々を幸せにしてはくれたけど、当の本人は実はずっと不幸だった。
もちろん、人の人生を傍からみて幸せか不幸かなんて判断するのもおこがましいということはわかっている。でもだ。それにしても、どう贔屓目に見ても、ブライアンの人生は苦しみの連続だった。それが本人のあまりにも繊細な神経がもたらしたものであったとしてもだ。
父親との確執、兄弟が故の気遣い、レコード会社からのプレッシャー、自身の才能への不安。彼の繊細な神経は、これらに耐えきれなかった。
そのことを考えると、ボクは胸が締め付けられる。「ペット・サウンズ」を聴きながら、ブライアンのことを考えると、そういう才能や人生がはたして彼にとってはどうだったのだろうと。

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ペット・サウンズ

「ペット・サウンズ」は多分、ボクが一番繰り返し聴いてるアルバムだと思う。
「ペット・サウンズ」ぐらい何度聴いても新しく、そしていろんな感情を揺さぶるアルバムは他にはない。
そして多分、これからも幾度となく聴き続け、その地位を他のアルバムに譲り渡すことはないんだろうなぁと思う。
それはボクの物心ついてからの音楽体験すべてが詰まってるからというのも大きいのだろうけど、やはりなんといってもこのアルバムに納められた楽曲の素晴らしさだ。

「ペット・サウンズ」の1曲、1曲をよーく耳を凝らして聴いてみるといい。そこにどれぐらい複雑な音が配置されているか。
そして様々な楽器が放つ1音1音を取り出してくまなく検証してみると、なぜその音が、その楽器が、この場所に、こんな音で配置されたのか、配置される必要があったのかと不思議に思うところがいくつも出てくるだろう。ブライアンは、なぜこれを思いついたんだろう?と。

本書の中でも、ブライアンのこの才能についての記述は何度も出てくる。
ブライアンの指示に従って演奏しているミュージシャンたちにも、自分たちが弾いてる音がよくわかっていなかった。こんな音を、こんな楽器をここに入れてどうなるんだろうか。不安に思うミュージシャンたちもいたという。
しかし、楽曲が出来上がって統合されたものを聴くと、皆はその完成度に驚く。すべてがもともとそこにあるべくしてあったかのようにおさまっていて、それが当たり前のように響き合う。ブライアンの頭の中では、音の重なりやハーモニーの完全な設計図があった、ということに気づき、誰もがブライアンに畏敬の念を抱くのだ。

確かに、「ペット・サウンズ」はとても複雑だ。わかりやすいポップソングやアレンジではない。にもかかわらず、ポップソングとしての必要なものをすべて兼ね備えている。楽曲の素晴らしさ、美しいコーラスワーク、もうそれ以外のアレンジが一切想像できないような楽曲の世界と完全にフィットした複雑なアレンジ、そして若さや青春の痛み苦しみが詰め込まれた歌詞。今、聴いても、これほど独創的で、色々なものが詰め込まれたポップスアルバムは他にはないと思う。

本書はなんと紹介するのが適切なのだろう。音楽評論でもなければ、私小説でもない。もちろんドキュメンタリーやルポタージュの類いでもない。「ペット・サウンズ」という1枚のアルバムを巡って、ビーチボーイズ、とりあわけブライアンの人生を追想しつつ、著者自身の心境や思い入れを吐露しつつ語った、極めて私的な「ペットサウンズ」「ブライアン・ウィルソン」の案内書、ガイドといったところだろうか。
この手の文章では、あまりにも書き手の思い入れが強すぎてしまうと、読み手にとっては何が面白いのか、さっぱりわからないようなものになってしまいがちだけれども、本書ではそのあたりはギリギリのラインでバランスが保たれている。それは著者が、きちんとした音楽的な知識も持ち合わせ、詩的な語り口と共に、音楽的な裏付けを添えてるからだろうと思う。
もちろん、楽曲に対しての著者の好き嫌いにすべて同意できるわけではないけれども、これだけの思いを込めて語られたら、そこに何か反論し
ようという気も失せて、逆に、そこまで言うなら、そうなんじゃないかと思いそうになってしまう。

「ペット・サウンズ」を聴いたことない人や、聴いていてもそれほど何度も繰り返し聴いたわけではない人が読んで面白いかどうかはわからない。多分、何度も何度も聴いて、そこに個人的な思入れやそれを聴いてた時の心境やノスタルジーを持ってる人の方が愉しめることは間違いないだろう。でも、本書をきっかけにビーチボーイズや「ペット・サウンズ」を聴いてみるというのもまた面白い聴き方になるかもしれない。「ペット・サウンズ」というアルバムは、ただその音楽をあるがままに受け取るのもいいけれども、やはりビーチボーイズというバンドの複雑さや、バンドとブライアンとの関係、そしてブライアンの孤独や悩みみたいなものもひっくるめて聴くと、また違った味わいが出てくるアルバムだと思うからだ。

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