うまくいってるプロジェクトを評価することの難しさ

プロジェクトの評価


うまくいってるプロジェクトってのは、プロジェクトをうまくいかせるための色々な準備やら手続きやら心配りやらというものをしていたりする。PMBOKやCMMIやといった、ああいうプロジェクトマネジメントの体系を学んで、あの体系に書かれてあることをキチンとしっかり実績することが、そのままプロジェクトの成功に繫がるわけでもない。

もっとなんというか泥臭くて、細かくて、属人的で、それ故に、他の人から見たら、それがプロジェクトの成功要因とは思えないような些細な行動や意識の積み重ねというか、そういうものが案外、プロジェクトの正否を大きく左右してたりするんじゃないかとボクは思っている。

でも、こういうプロジェクトをうまういかせるためにやってる膨大なこと、というのは可視化されにくい。外野から見た時、うまくいってるプロジェクトというのは、うまくいってるのが当たり前のように見えてしまうことが多々ある。うまくいってるのが当たり前だと思ってしまうと、そこで行われてる様々なことが評価されなくなってしまう。 炎上してるプロジェクトは何が悪かったのかというのがよくわかるし、反省もできるけど、うまくいってるプロジェクトというのは、なかなかその「うまくいってる」理由を何か特定の行動やら思考やらだけに還元したり抽出したりすることが難しい。

すごく好きな短編に、村上春樹の「かえるくん、東京を救う」(「神の子どもたちはみな踊る」に収録されている)というのがある。かえるくんと信用金庫融資管理科の片桐さんが、大地震を引き起こそうとしているみみずくんと戦うという話だ。かえるくんは想像力のなかでみみずくんと過酷な戦いを行い、片桐さんはそれを本人も意識しないままサポートする。彼らの戦いによって地震は防がれ、東京はいつもと同じ朝を迎える。作品自体の解釈だとかテーマというのは少しズレたところで、ボクはこの作品が好きなのは、片桐さんやかえるくんが戦い、地震を阻止して、人々の平和を維持しているということには、世間の人は誰も気付いていないというところだ。世間とか社会というものがなんともなしに平和に機能してる裏側には、片桐さんやかえる君のような、人には見えないし、それをやったから誰かに認められ賞賛されるわけでもない仕事が山ほどあって、それを誰かがきちんとやってくれている。社会というはそういうもんなんだろう。

うまくいってるプロジェクトは、うまくいってるがゆえに人から顧みられず、評価されにくい。それは運が良かったんだよとか、プロジェクトが簡単だったんだよとか、プロジェクトメンバーが良かった、要クライアントが良かったとか、そういうレベルでしか解釈されなかったりすることが多いのではないだろうか。もちろんそういう要素がないわけではないとは思う。でも、うまくいくプロジェクトというは、やはりそれはそれでうまくいかせるために、誰かがどこかで色んなことに気を配り、何かをカバーしたりしてるんじゃないだろうか。それこそ、「かえるくん」や「片桐さん」のように、誰にも顧みられず、評価もされないけど、大いなる貢献をしている人、あるいは行動、言葉があるんじゃないだろうか。

以前、こんなエントリーを書いた。
一流、二流、三流の違い | papativa.jp

一流は、なにも起きない

このことに、ボクらはもっと自覚的にならないといけないのではないか。

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