少し憧れる「未来国家ブータン」

未来国家ブータン
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やっぱり面白かった。この前読んだ「謎の独立国家ソマリランド」(読み出したら止まらない、最高の面白いルポ「謎の独立国家ソマリランド」 | papativa.jp)があまりにも面白かったので、続いて読んでみたのだが、いやはや、こちらも面白い。

むしろブータンという比較的日本人のメンタリティとも近いものを感じる国が舞台ということもあるし、幸福度数ナンバーワンという、日本人がものものすごく憧れながら成し遂げられなかった(成し遂げられていない)生活を実現しているという意味でも、より親近感も持てるし、興味も沸くというものだ。

そう、著者も書いているが、日本にも今のブータンのようになれるチャンスはあったのではないか、でも日本はブータンのような道ではなく、経済大国としての成長や躍進を選んだ。それが悪いことでもないとは思うし、今のボクらの暮らしや生活は、諸外国に較べれば十分に恵まれているとは思う。
ただ、本書で描かれるブータンの「幸福さ」みたいなものには、多くの日本人は憧れを抱いてしまうんだろうなぁと思う。今の物質的、経済的な発展や飛躍、成功の陰には、本来、日本人が持ってたものや、日本人が大事にしてきたものの多くを犠牲にしてきたことは間違いないとは思う。それが良い悪いは置いておいて、「モノはなかったけど幸せだったあの時代」みたいな「Always」的映画が大ヒットするのも、単にその時代を生きた人達の郷愁を煽ったからではないのだろう。多くの人々がそういう暮らしや生活や価値観みたいなものにほのかな憧れを抱いているのだ。だからこそ、ブータンのように経済的な発展や物質的充足とは真逆の方向を志向しながら、「幸せ」という指標で成功している国家や社会というものへの羨望があるんだろう。

そう。ブータンといえば、GDPといういわば物質社会における発展度を測る指標ではなく、その国民がいかに幸せかという指標、GNH(Gross National Happiness/国民総幸福量)を提唱した国として一躍有名になった。これも後進国が、先進国に対応するために無理矢理強引に生み出した指標で、実際なんらかの意味ある指標ではないというような批判もよく浴びる。しかし、ブータン国民は、こんな指標がどうこうに限らず、実際に、自分たちを幸せだと捉えている。本書の中で、著者もそれを現地で見て聞いて実感する。そして、著者が驚くのは、インテリ階層や知識層でさえも、ほとんどが自国ブータンを愛し、この国で生きることに幸せを感じてるということだ。たいていの国では知識層やエリート層になればなるほど、ある一定割合は国家に批判的なものがいるのだが、ブータンではそういう層がいないのだという。ただ一方で、ブータンのエリート層たちも、今の市井の人がより知識を持ったら、より多くの情報を得たら、今の「幸せ」の尺度がそのまま成立するのだろうか、という不安も持っていたりする。国民レベルを高めていくために勉強を促し、知識や情報を吸収すればするほど、外に目を向けるようになればなるほど、今のブータンに満足できない人達も増えていくのではないか。確かにその通りかもしれない。まさにエデンの園の「知恵の実」の話のようだ。

ちなみに、GNHの考え方のベースには仏教が密接に関係していると考えられているが、そういうわけでもない。このへんは著者が「秘境ブータン (岩波現代文庫): 中尾 佐助: 本」という本から得た情報を披露している。

仏教では基本、殺生禁止の思想を持っている。釈迦は「自分が食べるために動物を殺してはいけないが、誰かが殺した動物の肉がたまたままわってきたら食べてもよい」と述べている。日本や朝鮮、そしてブータンもそうだが、屠畜が忌み嫌われるのは、こういうわけだ。「自分では殺したくないから他の人に担当させる。そして担当者を差別する」。

ブータンでも実は被差別民は二つあった。一つは、屠畜を生業とする者、もう一つは刃物を作る職人だ。しかし、ブータンでは、三代目国王がこのような被差別民の「解放」を行ったそうだ。国王自らが、屠畜職人に狩りのお供をさせ、自分の近臣にとりたてた。これによって差別が急速に薄れていった。著者は言う。「仏教の弊害を近代化の精神で正してGNHにつなげたんだよ」と。それは決して「GNH=仏教(精神)」ではないのだと。
また、これと絡んで、ブータンでは化学肥料をほとんど使わない理由も、実はブータンが環境保全のことを考えていたからではなく、単に、化学肥料を使うと「外国に依存してしまう」からだった、という事実も著者は、「秘境ブータン」から解説する。

この辺りの話を、ブータンの人々に力説して、ブータンの人達が「へぇ」「勉強になります」と関心するという構図も、なにか不思議な感じもするが、著者らしいというか面白い。

印象的だったのは、ブータンでは国民の自発性を尊重するという姿勢がかなり強いということだ。
たとえば、ラヤという村では冬虫夏草のビジネスが盛んで、もともとは税金逃れや、より利益を多く得ようと、村の共同組合などを通さず、所謂「密売」を企てる人達が多かった。ブータンでは、こういった者たちに、「みなさんの税金で、水道を作ろうと計画していたのですが、税が集まらない以上、実現できませんね。それでもいいですか」と問うたのだ。法律に違反してるから駄目ではなく、あくまでも国民の意識に問いかけるという指導方法をとる。村の人達は水道を通してほしいので、共同組合を通じて税金を払うようになったそうだ。

日本ではこういう交渉というかコミュニケーションは、なかなか難しいと思う。特に行政と市民でこのように同じ目線で理解につなげるというのは、お互いの信頼関係がしっかり基盤としてないと成立しない。こういうコミュニケーションが成り立たないことが前提として、複雑な手続きや法律や根回しや説得やらネゴといったものが手段として駆使されるのがたいていだろう。
しかし、著者が言うように、こういった国家や行政と市民がこういう関係性を持ってる、信頼感をベースに持っているということそのものが、ブータンが日本を初めとする先進国よりも、ずっと先進的なことであり、本書のタイトル通り、まさに「未来国家」とでも言うべきものなんじゃないだろうか。


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ブータンメモ

本書を読むまで、知らなかったブータンの姿。メモ程度に書き残しておこうと思う。


  1. そもそもブータンは今もなお半鎖国状態にある国である。外国からの旅行者や外国企業の投資を厳しく制限している。それもあって、ブータン政府は地図を一切発行していない。データ化もされていない。

  2. 国民は国王と仏教を篤く尊んでいる。国民は民族衣装の着用を義務づけられる。開発より環境を重んじる。

  3. ブータンでは国王は、「「尊敬の対象」どころではない。日本で言うならジャニーズ事務所所属の全タレントと高倉健とイチローと村上春樹を合わせたぐらいのスーパーアイドルである。」

  4. ブータンの代々の国王の逸話は素晴らしいものばかりだ。これだけ国民のことを考え、国民のために行動しているのだから、国民が「正しいことをしていれば王様が見てくださる」と、まるで神様を崇めるように信じているのもうなずける。

  5. 2004年から全土が禁煙になっている。たばこの売買自体が非合法。(でも実際に現地の人達は屋内では吸ってたりする。そういう様子も本書には描かれている)

  6. 政府の公用語は英語。学校でも小学校からは全て英語。官僚やビジネスマンのほとんどは外国の大学で学位を取っている。

  7. 一般的にブータンは母系社会と言われているが、実は、多民族国家なので、「ラヤ」などの山奥の町では、父系社会だったりする。

  8. 病気になった場合に、西洋医学の医師か伝統医学の医師かを選ぶことができる
    「もし患者が先に西洋医学の病院に行っても、それが腰痛や神経痛、慢性の胃腸病のときは医師が「伝統医学に行ったほうがいいですよ」と言い、ケガや急性の病気を抱える患者が伝統医学に来たときは「西洋医学のほうが向いています」と勧める。あたかも日本の病院で、「これは内科ですね」「これは外科でしょうね」と言うがごとくだ。」
    基本、「西洋医学」しか公式な「医学」としてしか認めず、他の医療、治療法を「民間療法」としてる日本よりも、ずっと進んだ仕組みではないだろうか。


 

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