ビックボーナス&カルト資本主義

昨日、ひさびさに本屋に。
「ユリイカ 2000年6月増刊「田中小実昌の世界」「カルト資本主義」(斎藤 貴男)、「ビッグボーナス」(ハセベバクシンオー)、「ベンヤミン・コレクション〈3〉記憶への旅」(ヴァルター ベンヤミン)、「時間と存在」(大森 荘蔵)を購入。

とりあえず「ビッグボーナス」と、「カルト資本主義」を読んだ。
「ビックボーナス」は、「このミステリーがすごい!大賞」の読者賞・優秀賞を受賞した作品。大森望さんとかが絶賛していたので期待したのだけれど、正直期待はずれだった。自分がパチスロやらないからというのも理由の一つだろうけど、「詐欺師」の世界を扱うなら、もっと巧妙に、精緻な世界を見たい。このレベルだと簡単に想像が及ぶ範囲で、逆にリアリティがないような気がした。

「カルト資本主義」は、題名通り。「カルト」にはまる企業や政治の裏側を描いたもの。SONYの「エスパー研究所」や、京セラ「盛和塾」、「微生物EM」、「船井幸雄」、「ヤマギシ会」など、8つの物語をとりあげている。とても面白く読めた。

「カルト」にはまることがそのまま悪だと考えてしまうことも一つのイデオロギーだろうが、「カルト」にはまってしまったがゆえに、常人であれば容易に想像できることができなくなってしまう。そこが問題なのだと著者は問うている。

例えば、京セラの稲盛さんが阪神大震災を「積み重ねられたカルマを清算するために、今度のような大震災が起きたとしか思えません」と語るとき、そこには震災で不幸に見舞われた人達への眼差しが決定的に欠けている。(この発言だけとりだしてなんやかんや言うのは危険だが)

カルトへの傾倒が、優生学的な思想や権威主義、民族主義を容易につながっていく。そしてそれが極めて危険な思考であることを視えなくしていまう。そこには危険がはらんでいると著者は問う。

世界には人知が及ばないこともたくさんあるだろうし、僕個人としては、カルトそのもののについては否定も肯定もしない。しかし、何の根拠も合理性もなく、実証不可能性を都合を自分の都合の良いように解釈し、それを敷衍しようとするような活動や考え方には嫌悪感を覚える。

じゃぁ本書を読んで稲盛さんを軽蔑するかというと、そういうわけではない。やはり稲盛さんの経営観は好きだ。彼が生み出した経営スタイルは凄いと思う。しかし、好きだからといって、稲盛さんを神のように崇め、その言葉をグルの言葉のように信じきってしまうということはしない。多分、そういうバランスを持っておくことが重要なのじゃないかと思う。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です