7つの習慣:相互依存のパラダイム
「7つの習慣」を読み返していて、ふと、ニーチェの「運命愛」という言葉を思い出した。ニーチェは人生を他人や環境や状況のせいにせず、自身が創り出したかのように受け入れよと言った。それが「運命愛」であると。
第一の習慣に「自己責任の原則」があったり、「7つの習慣」は多分に禁欲的な道徳規範を説いているようではある。ニーチェは道徳を弱者の思想として批判しているけれども、ニーチェが批判した道徳と、「7つの習慣」で語られる原則や倫理といったものは全然違うものだ。初めて「7つの習慣」を読んだときに僕が感じていた違和感とか、胡散臭さとかそいういうものは、どうもここで語られることがルサンチマン(遡及すればルサンチマンに行き着くキリスト教的な道徳規範として)でしかないんじゃないかということだったのかもしれない。でも、それはかなり大きな誤解だったのではないか。
「7つの習慣」はどちらかといえば意志と力の問題を扱っている。弱者の抜け道ではなく、ニーチェに習って言うならば超人への道を語っているのかもしれない。まだ自分でもよくわかってないけど。
さて….
第一から第三までは私的な成功を築くための習慣だった。第四の習慣からは私的成功の土台の上になりたつ「公的成功」がテーマとなる。
さて、私的な成功は「自立」という基盤になりたっていた。まずは「自立」。では「公的成功」とはどのような基盤になりたつか。「自立」より高次のパライダムとして著者は「相互依存」という概念を考えている。「自立」の次は「相互依存」だ。
第四の習慣に入る前に、著者はあえて「相互依存」ということについてより詳しく説明を置いている。それはこの考え方が第四以降の習慣のベースとなる思考法だからだ。
「相互依存」という新しいパラダイムを得るためのキーワードとして登場してくるのが「信用残高」という言葉だ。この言葉も後半に頻繁に出てくる言葉なので記憶しておかなければならない。
信用残高とは、ある関係において築かれた信頼のレベルを表す比喩表現であり、言い換えれば、その人に接する安心感ともいえるだろう。(P.270)
私たちは日々の生活、人々との関係において「信用残高」の預け入れを心がけておかなければならない。人と人との関係において魔法は存在しない。地道に残高を積み立てていく努力しかないのだ。
さて、信用残高を増やすためには、ということで著者は以下の6つをあげている。
(1)相手を理解する
ここに「人は自叙伝に照らしてみて、自分は他人のニーズや欲求が分かっていると思い込むことが多い。つまり、他人の行動を自分の考えやパラダイムを通して解釈するのだ」(P.276)という一節があって、身につまされるものを感じた。
ついつい自分の都合の良い状況や昔の自分に重ね合わせて解釈してしまうってのはよくあることだ。ニーチェだったかヴィトゲンシュタインだったか忘れたが「事実はない。あるのは解釈だけだ」というようなことを言ってたけれども、私たちはまず、自分達の解釈が偏ったものであることを認めないといけないのではないか。
安易に、自身の解釈を拡張して、その解釈のなかで人を解釈した気になるのではなく、まずもって私の見ている、感じている、考えていることと、他人のそれとは違うのだということを前提として意識しなければならない。それでも相互理解に達する道はあるのだという強い意志をもってコミュニケーションに望まなければならないのではないだろうか。
(2)小さなことを大切にする
(3)約束を守る
(4)期待を明確にする
「人間関係におけるほとんどの問題は、役割と目標を取り巻くあいまいな気体、あるいはお互いの期待像に端を発している」(P.281)
(5)誠実さを示す
「「正直」とは真実を語ることである。つまり、言葉を現実に合わせることである。それに対して「誠実さ」とは、現実を言葉に合わせることである。つまり、約束を守り、気体に応えることなのだ」(P.233)
(6)(信用残高の)引き出しをしてしまったときは、誠意をもって謝る
「人は間違いを許してくれる。なぜなら、間違いは往々にして判断を誤ったために発生するものだからである。しかし、人は心のあり方の間違いを容易に許そうとはしない。不正な動機や最初の間違いを正当化しようとし、それを隠そうとする傲慢さっは、全く違う次元の間違いなのである」(P.289)
コメント
マリリン・マンソン VS ニーチェ 第一戦 2003.6.X 初出
いきなり ROCK IS DEAD ! GOD IS DEAD ! GOD IN...