アルバムの語源、レディ・キラーズ

土曜日が法事だったので金曜日に帰ったのだが、実家の駅前の風景ががらりと変わっていてびっくりした。この前に実家に帰ったのは年明け早々ぐらいのときだったけれども、いやはやこんなに変わってるとは。駅前には市民病院もでき、貨物列車が通っていたところには幹線道路につながるバイパスが走る。昔の面影は跡形もなく消え去っていた。

iPodを購入したので、せっかくなので実家の物置に眠ってるCDをiPodに移す作業を行う。大瀧詠一、細野晴臣のソロ作品類、ELO、ボブ・ディランの何枚かのアルバム、スティーリー・ダン、なぜかマイケル・ペン、あテクノ系でフロッグマンレーベルとかの何作かとフランク・ザッパ。AIR。ミシェル・ペトルチアーニとスタンゲッツ。聴くかどうかはわからけど物置からCDを引っ張り出してきて、比較的よく聴いたものだけをピックアップしたらこんな感じだった。

そうそう、大瀧詠一のソロデビューアルバムのライナーノーツを大瀧詠一自身が書いている。(CDで再販されたやつの方ね) そのライナーノーツを読み返していると、「アルバム」という言葉が、もともそシングルレコードを集めてアルバムのように集めて発売していたのが元で、長時間再生が可能なLPが登場してシングルを1枚のレコードに収められるようになってそのまま「アルバム」という言葉が引き継がれたというようなことが書いてあった。なるほど。時々、毎月のようにシングルを発表してそれを集めただけで「アルバム」を発売するアーチストを非難する音楽ファンがいるけれども、語源から言うとそれって別に間違いじゃないのだなぁと。

土曜日法事を終えて、そのまま京都に戻り、なんやかんやと朝方4時ごろまで作業。床につくが盛りのついた我が家のバカ猫に朝からギャ-ギャー啼かれ、9時ごと起こされた。眠たい。昼まで寝てるつもりが起こされ、予定していなかった時間ができたんで、とりあえず四条に出かけた。あ、そうだ、レディー・キラーズ観なきゃと思い出し、映画館へ。時間よく席につく。
本作はトム・ハンクスが主演ってことで話題になってるけど、トム・ハンクスにしてはえらい小ぶりな作品に出たなと。どこかのインタビューでトム・ハンクス自身がコーエン兄弟の映画に出たくてチャンスを伺っていたというようなことを語っていたけど、
リメイクらしいが、原作は僕は知らない。しかし、こりゃ何なんだろう。コーエン兄弟は僕は最も好きな監督の一人で、毎回毎回大きな期待をして観に行くのだけれど、本作はうーんという感じ。「未来は今」のときも「あちゃー」と観終わってあまりにものコーエン兄弟らしからぬさに悲しくなったけれども、本作もコーエン兄弟っぽくない。つまり、面白くない。まだ前作の「ディボース・ショー」のほうがましだなぁ。

あ、阪神がサヨナラだ。

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コメント

  1. オスこけし より:

    バートン・フィンクで保険外交員の男(ベーブ・ルース)がキレるところ面白いですよね。
    保険屋さんに会うたび、思い出してしまう。

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