言葉と心理

体調不良
ひさびさに完徹したなぁ。
さすがに歳かなぁ。なんにもしてないけど眠い。

唐突ながら…

本人が意識せずに使っている言葉ってのは、その人の考え方や思考方法が如実にあらわれる。ちょっとした文章の配置とか、おかずとか、もろもろのレトリックにその人の心理が宿っていたりする。だから精神心理学者は言葉を扱うのだろう。いとうせいこうの「解体屋列伝」だったかなんだったかという小説のなかで言葉の解体や再構築で精神をぼろぼろにさせたりという戦いが描かれてるけど、あそこまで極端ではなくとも、人間の精神の大部分は言葉でできてるには違いない。(「解体屋列伝」は筒井の「パプリカ」のサイバーパンク版みたいなもんです。「パプリカ」みたいなのが面白いと思えるならかなり面白いとお思いますー。僕は好きです。オススメ。)

ネゴシエーション術とか心理話術とかでよく例にあがるけど、上司に明日までこれやっといてと頼まれて「明日まではちょっと難しいかもしれません。。。でもやれるだけがんばります」と答える人と、「はい。やれるだけがんばってみます。でも明日まではちょっと難しいかもしれません」と答える人では、後者のほうが上司は良いイメージを持つことが多い。最初の言葉のベクトルでその発話全体のトーンが決定されてしまう。こういうテクニックを意識的に使う人もいるだろうけど、何も考えずに自然と出来る人も当然ながらいる。それはその人の思考方法や、考え方なのだろうと思う。

自然と出てきた言葉、本人が使っていても気づいてない言葉には、その人(あるいは自分自身でも良い)の本音を知るための重要な痕跡が残されていることが多い。たとえば、会話や文章のなかで「×××××ということは自慢ではないですが」というようなことを述べたり、書いたりするとすれば、それはその人は実際は自慢したいのだろうと思う。自分の経験から言ってもそうだ。「自慢ではないですが」などとわざわざ言うく(書く)というのは、××××をちょっとは自慢したい、相手にアピールしたいわけだ。でなければそんなことはわざわざ断らなくてもいい。自慢とは思われたくないけど、でも自慢したいって心理だ。「言い訳じゃないですが・・・」なんてのも同じようなもんのだ。
「自慢」にしても「言い訳」にしても、本人にはそれを述べることは慎まれるべきことだという自覚がある。自覚があるからこそ「~ではないですが」とわざわざ否定する。否定はするけど、それは実は本心ではアピールしたいということなのではないか。

こういうのは本人が承知して使うならまだ良いのだけれど、たいてい本人には自覚がない。それがやっかいだ。第三者から見たらどうしようもなく惨めにうつるときがある。こういう言葉を使うときにはまず言い切ってみたほうがいい。「自慢ですが・・・」「言い訳ですが・・・・」とね。「~ではないですが」というのではなく、「~ですが」と言い切ってみる。言い切ってみて、それでも相手にそのことを伝えるかどうかをもう一度考えてみれば良い。たいてい恥ずかしくてそんなことはいえなくなるだろう。
何を書いてるのかよくわからんようになってきた。眠い。寝る。

(ちなみに僕は「自慢ではないですが・・・」を使うときは、もろに「自慢したい」ので使ってます。言ってみればブログとかも自己満足の延長みたいなもんだ。)

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コメント

  1. bonfire より:

    ぼくは昔上司に
    「え~明日までにやるんすか?絶対無理っすよ。。。やんなきゃ駄目ですか?じゃあしょうがないからやりますよ」
    といったらキレられました。

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