岩井克人「会社はだれのものか」

会社はだれのものか
4582832709岩井 克人

平凡社 2005-06-25
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遅ればせながら読んだ「会社はこれからどうなるのか」があまりにも面白かったので、すぐさま読んだ続編。

基本的には前作で提唱された考え方のおさらい的な意味合いが強く、後半は小林陽太郎さん、原丈二さん、糸井重里さんらとの対談となっていて、前作をさらに深めたものを期待していたボクとしては、少し肩透かしを食らった感じがした。

ただ、糸井重里さんとの対談のなかの最後のほうで、岩井さんが「私が伝統的な経済学を批判しても、経済学全体に大きなインパクトを与えることは望めません。ですから、「正しい」と思ってることをくどくてもいいから、何度も言い続け、それがほんとうに正しければ、徐々にインパクトが広がっていくであろうことを祈るしかない」と語ってて、ここでボクは、ここであぁなるほどなぁとこの本の意図を理解した。「会社はこれからどうなるのか」が売れ、その勢いを借りてそのまま続編を出せばある程度売れるだろうって算段で、とにかく体裁をととのえるために枚数を対談でごまかしてありあわせたんじゃないか。

読み進めながらそんな風に思っていたのだけれど、どうも違うようで、岩井さんとしては、ライブドア&ニッポン放送の問題が持ち上がり、市井の人々にまで会社は誰のものか、という話題が持ち上がるような状況だからこそ、自身が「正しい」と思えることを、もっと多くの人に知ってもらいたいという思いから本書を上梓したのだろう。

ロジックは同じなのだが、前作の紹介の際には、考え方ははしょったので、こちらで少し整理してみよう。

岩井さんのロジックは、そもそも「会社」という存在そのものの二重性に注目するところから始まる。今、叫ばれている「会社は株主のものなのか」というような議論や、昨今注目を浴びるようになった「コーポレート・ガバナンス」、あるいは「CSR」といったものすべてが、「会社」という存在の不思議さをしっかりと理解しなければ、間違った結論というか考え方に行き着くのだと警笛を鳴らす。

では、岩井さんが考える「会社」とはどういうものか。それは、一言で言うなら「モノでありヒトである」存在ということだ。ヒトとモノの関係というは近代の私的所有制度の根本をなす。ヒトはモノを所有する。モノはヒトに所有される。ヒトはヒトを所有できない。ヒトとはモノを所有しゅる主体であり、モノはヒトによって所有される客体だ。

近代のもっとも一般的な会社の1形態としての「株式会社」を例に考えてみよう。

株式会社の株主(ヒト)はその会社の資産(モノ)の所有者ではない。会社の資産(モノ)を支配しているのは「法人」なのだ。ここにヒトとモノの関係の捻れがある。「法人」を支配しているのは「株主」なので、「法人」には支配される客体としての「モノ」の性質があるのだが、その「法人」は会社を支配しているという意味で「ヒト」である。つまり「法人」はヒトでもあり、モノでもあるという二重性を持つ存在だということだ。(「法人」は法律上でも「ヒト」としての性質を持つ。なので、普通に「法人」は個人や会社からも訴えられるし、訴訟においては法人が原告になってたりする。確かに。)

まずこの二重性を持った構造が根本にある。
「会社は株主のものである」という株主主権論は、この「会社」という構造の「モノ」的な階層のみに焦点を合わせたものだ。会社資産を所有する主体としての「ヒト」的な側面を一切無視したロジックであり、ここには問題がある。ライブドアとニッポン放送の問題は、「会社」の二重性を理解していれば、何が問題になっているのが容易に理解出来る問題であったわけだ。

コーポレート・ガバナンスとは何か。これも会社の二重性によって説明がつく。

会社はヒト的な側面(=法人)を持っている。しかし法人は喋ることも、従業員に指示することも、顧客と契約することも出来ない。法人はあくまでも法制上認められた擬似的な「ヒト」である。だから「代表取締役」という存在が必要となる。つまり代表取締役とは、法人が現実のなかでヒトに代わって活躍するために会社から信任を受け、法人の代理人として法人のために働く存在なのだ。

しかし、代表取締役と会社の関係は言わば自己契約だ。法人は契約書の内容をチェックしたり、覆したりすることもできない。悪意を持てば、法人にとってどんな不利な契約でも代表取締役は結んでしまうことができる。本来、代表取締役は私利私欲よりも、法人の利益を目指さなければならない。しかし、自己契約である以上、経営者は自身の利益だけのために、法人をいかようにも利用できてしまう。エンロン事件を見てもわかるように、経営者が自身のことだけを考えれば、いとも簡単に会社はそれに使われてしまう。
経営者が法人からの信任に背くというのは、単なる倫理的な問題では済まされず、当然、会社法などでも罰せられることではあるのだが、しかし、法律ギリギリのところで、「倫理」をないがしろにする経営者も少なくはないはずだ。
だからこそ法人の代理人としての代表取締役には、「倫理的」な行動が求められることになる。これが「コーポレート・ガバナンス」という言葉の意味だ。
コーポレート・ガバナンスとは「大ざっぱにいえば、会社の望ましい経営のためには、経営者の行動をどのようにコントロールしていけばよいかという問題のことです。」
コーポレート・ガバナンスの説明で、これほど明快な説明をボクは知らない。

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