死ぬまでにしたい10のこと

死ぬまでにしたい10のこと

余命2ヶ月と宣告されたら….
似たような状況設定の小説やテレビドラマ、映画は今までにもいくつもあった
だろう。
極めてドラマチックな設定にもかかわらず、それはいつでも自分にも起きえる状況なだけに、観る人をドラマに引き込ませる。

ところが、ドラマを構成しやすいテーマだけに、それが仇となり、まるで嘘っぽくなってしまうという危険性も持ち合わせているわけだ。
この手のストーリーは、劇的にしようと思えばいくらでも劇的になってしまうだけに、ストーリーの作り手が自制を効かせなければ、どうしようもない話へと転がり落ちてしまう。例えば、余命宣告された主人公が自暴自棄になったり、そういった自分への葛藤を抱えながら、周りの人間の助けなども借りて、生きるということの実感を最後まで味わい、そして周りの人間も「生」にたいして、あらためて考えさせられる、というような話だ。どこかで読んだり、観たりしてないだろうか?

この映画の場合は、映画の時間では、医師と余命宣告を受けた本人アン以外は、最後までそのことを知らないでいる。そのため、周りの人間と主人公とがぶつかったり、葛藤したりということがない。周りの人間から見れば、アンはそれまでと変わらず普通なのだ。ただ、観ている側では、アンの境遇を知っているため、子供たちを抱きしめ「愛している」囁くアンの姿や、旦那とは違う男性と抱擁する姿に哀しさがこみあげてくる。
演出として哀しさを意図的に醸し出したり、劇的な状況をつくらないだけに、何気ない日常が、いとおしく美しく映るのだ。

役者達もすばらしかった。
アン役を演じたサラ・ボーリーはほんと良い役者だと思った。また、アンの隣人として、アンが自分が死んでしまった後に、子供達のお母さんになって欲しいと願う同名の「アン」を演じたレオノール・ワトリングも良かった。

関係ないが、
「八月のクリスマス」でも、主人公が自分が死ぬということを理解しつつ、日々を大事に過ごしていく主人公が描かれていた。「八月のクリスマス」でも、ドラマをあえて盛り上げず、たんたんと描くことで、すべてのシーンが愛しく観えた。こちらも傑作。

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