新しいことを始めるということ、リスクを取るということ

昨日はいろいろ面白かったのだが、話を聞いていると、ほんと多くの人が会社の姿を誤解してんだなぁと感じた。
これは誤解してる側が悪いというより、させてる側が悪いだろうが。もっと話をしなければならないと痛感した。直接話しをすることももちろんだけど、こういうブログや社内のメール、ちょっとした立ち話、ランチなど、いろんな場面で話していかないといけないなと感じた。相当にギャップや考え方のズレがある。会社像への誤解がある。

しかし、誤解してる側にもあまり質がいいとは思えない誤解もある。新しい何かを始めようとするときの考え方や意思決定というものがどういうものかということへの批判者めいた態度や立ち位置だ。それが一方的に悪いかというとそういうわけでもないが、でもやはり誤解に根付いての批判はよくない。そして、さらによくないのは批判ってのは、よく声が通ってしまいがちだということだ。そうすると、一人の批判に多くの人が同調してしまう。正しく問題を捉えているならいいが、誤解から発せられたものに多くの人が踊らされる。

会社はリスクを賭けるものだ。もちろん、ただギャンブルみたいにとてつもなく低い勝率に大きなリターンを期待して賭けるというものではないけれど、それでも未来なんてどうなるかわからない。どうなるかわからないものに対して挑まなければならない。それが会社だし、ビジネスだ。明日を作るために今日がある。

新しいことを始めようとすると、その中には、「そんなの無理だ」とか「勝算あるの?」なんてことを言う人が必ずいる。批判や評論するのは全然かまわないのだが、でも、1つ理解してもらいたいのは、そもそもリスクをとらないで済むなら、リスクなんて取りたいとは思ってないということだ。今のまま何も変えず、今やってることに磨きをかけていけば、それで将来も安泰で、成長もできて、みんなの給料があがっていく。そんな状況だったら、リスクなんて取る必要はまったくない。リスクをとらなければ会社の将来がないと思うからこそリスクをとるのだ。つまり、リスクを取らないことが会社にとってはリスクなのだ。リスクを取らない会社はゆっくりと死んでいく。業界の構造や市場によってそれが早いか遅いかの差はあるにせ、リスクをとって、新しいものに挑まなければどんな会社も必ず衰退していく

大企業だろうが零細企業だろうが、リスクをとらなければ成長はできない。松下がプラズマディスプレイの巨大工場を兵庫に作るってのだって大きいリスクだ。トヨタがレクサスに挑むのだってリスクだろ。AppleがiPodみたいなものを出すことだってリスクだった。新しいことに挑戦するということは、常にリスクを負うものだなのだ。成功してから振り返れば、あの決断は妥当だった、当たり前のことを当たり前にしただけだ、みたいに映ることは多いけど、その決断の瞬間ってのは、誰も将来のことなんてわからない。どうなるかわからない時にチャレンジしてるのだ。だから彼らはリターンを得られる。

勝算があるのか?と聞く人がいる。勝算が0ならやるわけがない。もちろん100%勝算があるようなビジネスがあるなら、誰だってやってる。そんなものがあればそれはビジネスにはならない。誰もがやるからだ。勝算なんて誰もわからない。
もちろん、可能な限り勝算が高いもの、チャンスが大きいものというのを天秤にかけながら、判断をしていくのは当たり前だが、でも、失敗だってある。SONYのCell構想は明らかに失敗だろう。莫大な投資を行い、そこに大きな夢を描いたものの、やはりそれがその通りに進んでいるかというとうまくいってない。(もちろん最終的に失敗だったか成功だったかというのは、まだもう少し先にならないとわからないのだろうけど) リスクを取るのだから、失敗して当たり前なのだ。失敗すれば経営者が責任をとればいい。失敗を恐れたり、失敗の可能性ばかりを考えて、足を踏み出さなければ、いつまでたっても1歩なんて踏み出せない

人によってはこの判断や決断が「安易だ」「よく考えていないんじゃないのか」と思う人もいるようだが、少なくとも多くの人よりは真剣に、そしていろんな要素を俯瞰して判断している。今までの経験やノウハウ、そして俯瞰して見たときに現場に眠ってる力とかそういうものをすべて鑑みて、そして最もリスクが低く、チャンスが大きいであろうと考えてその決断を下すわけだ。周りの人が、批判や分析をしてくれるのは、別に悪いことではない。ドラッカーも「反対意見がない場合には、決断を下してはならない」というようなことを言っている。
でも、もしどうしてもこの決断に納得がいかないのであれば、もっと良い方法を考えてくればいい。ボクが今、見えてる範囲では、そうだと思ってるだけの話で、他にももっといいやり方やいい方法があるかもしれない。ボクには見えてないこともあるだろう。それを提案してくれればいい。ボクも何も検討せずに、決断を下してるわけではない。いくつもの材料から決断してるのだ。「安易」に決断を下してるわけでもないし、「よく考えず」に決断を下しているわけでもない。

ここで1つ言うと、あえてボクは上の文章で「判断」という言葉と「決断」という言葉を分けて書いた。「判断」と「決断」は違う。いろいろな情報やデータを集めて分析して出来るのはあくまでも「判断」だ。これはうまく行きそう、これは難しそう。これは「判断」。でも、ビジネスや会社の意思決定というのは、殆どの場合「決断」をしなければならないものだ。決断は、その先が見えない、どうなるかわからないものに投企するという意思で、決断というのはいくら分析や調査をしても出てくるものではない、ということだ。「うまくいきそう」でも、それは100%保証されているわけではない。でも、それをやろう。これが「決断」だ。
新しいことを始めようとするとき、「判断」するための材料を集めて、分析することはもちろん大事だろう。しかし、最後に必要なのは「決断」だ。決断がなければ、どんなビジネスも動かない。

「それどこか成功してるの?」とかってのもよく出てくるのだが、これはいつもボクらがお客さんに提案してて言われて辛いことの1つだ。他がやってる、成功してなければ、やらない、横並び意識、リスクをとらない。でも、そうやって「他が成功してない」からやらないという思考では、どこまでいっても何も生み出すことなんてできやしないだろう。むしろ、誰も成功してないかもしれない新しいことに会社がリスクを立て替えてチャレンジできるのは、すごくラッキーなことだと思うのに、なぜ、そう考えられないのかが不思議だ。なぜ、失敗することをそんなに恐れるんだろうか。
そういえば、ボクが尊敬する武蔵野の小山昇社長は、失敗してない奴を出世させない、というようなことを言っていた。確か、国際的な飲料メーカーのネスレでも、大きい失敗を犯したことがあるかどうかを昇進の条件にしてるとかなんとか。もちろん、ネスレも出世の条件は「失敗している人」でなければならない。

失敗をしてないというのは、リスクを取ってないということだ。今自分にできることや、会社でできることしかやっていない。今、出来ないことや、やったことのないことに挑戦すれば、当然、失敗だってある。でも、それをやってないというのは、マネジャーやリーダーには向かないということだ。もちろん、マネジャーやリーダーの限らず、プレイヤーとしても皆を引っ張っていく立場にはなれないだろう。たくさん失敗をおかし、修羅場を経験するから、成長があり、喜びがある。

ボクらの会社も失敗の連続だ。いろんなことにチャレンジしては失敗してきた。失敗のほうが多い。いろいろ商品だって作ったし、まったく売れなかった商品も数知れず。どこかの会社と提携しては失敗して、大変な目にあったことだってあるし、個々のプロジェクトで見ても、自分たちの能力を超えた仕事で大きな赤字を出したものだってある。

会社もそうだし、個々人でもそうなのだが、やはりリスクをとらなければ成長はない。リスクをとって、失敗を積み重ねてきたからこそ、今があるという逆説的な言い方だってできるだろう。会社が大きくなっていけばいくほど、リスクを取るということを恐れ、リスクに対して過敏になっていく。リスクをとりたくない人が増えていくのかもしれない。でも、ボクらみたいなベンチャー企業で(ベンチャー企業という言葉に甘える気はないんだけど)、そんな風土になってしまうのは、ものすごく悲しいし、それこそ大きいリスクなんじゃないかと思う。 失敗を恐れて何もやらなければ、失敗から得られる貴重な体験すら得られない。

最も大きなリスクは、何もしないことだ

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