無礙光院で座禅をやってきた

妻がすぐ近くの寺で土曜日に座禅やってるみたいという情報をつかんできた。しかも無料で予約も不要だという。
お寺の名前は無礙光院(むげこういん)という。臨済宗系のお寺らしい。

広い境内にいくつかの坐蒲が置かれていて好きなところに座る。7〜8人の人がいただろうが。外国人も3人ほどいる。よくわからない不安な心持ちのまま適当な坐蒲に腰掛けていると、奥に重職が現れ、おもむろに鐘を打ち出す。周りの人が手をあわせて足を組み始めたので、それが座禅開始の合図だということを知って、自分も見よう見まねで始めてみた。
初めてなので何がなにかよくわからない。最初は重職が足の組み方やら呼吸法といった作法でも教えてくれるのかいなと思っていたのだが、重職は重職で座禅を組み、何かを教えるような気配もまったくない。諦めて自分なりの座禅に取り組むのだが、最初のうちは足が痛いやら、蚊の飛び音が気になったり、正面に座してる白人のダイナマイト・キッドみたいな男性がやたらと姿勢がよく、また足の組み方もさまになっていて凄いなぁと関心してしまったりで、なかなか集中できない。

無心になろとすればするほど、どうでもいい想像というか妄想が駆け巡る。曹洞宗と臨済宗ってどっちが無意味な問題を考える方だっけ?なんてことを考えつつ、自分でもどうでもいい問題を出してみて、それを考えていた。んなこんなで再び鐘が鳴って、第一部が一旦終わった。これが約30分らしい。2〜3分の休息の後に、再び第二部の30分が始まる。ダイナマイトキッドの足の組み方を真似しようとチャレンジしてみたが、うまくいかず結局、今回も自己流だったのだが、最初よりは馴れたのか随分と楽になっていた。
しばらくは同じようにいろいろしょーむないことばかり頭を駆け巡っていたのだが、最後の方、おそらく10〜15分ぐらいだと思うが、自分でも何を考えていたのかまったくわからない、かといって寝ていたわけでもない不思議な状態に陥った。この状態に陥ってたことを知ったのは、再び鐘がなる直前で、なぜか視界に目の前の畳がくっきりと浮かび上がってきて、外の物音などが耳に飛び込んできて、「あ、終わりだな」と感じた瞬間に鐘がなったのだ。
後で妻にこの話をしたら、「寝てただけでしょう」と一掃されたのだが、自分では寝てはいなかったと思うのだが。正直よくわからない。ま、いきなりの座禅で無の境地にたどり着きましたなんてこともありえないだろうし、おそらく寝てたんだろう。

その後、座禅に参加してた人たちと重職とでちょっとした茶話会みたいなのがあったのだが、印象的だったのはある参加者の(その人も初めての参加だったらしい)毎日座禅をやっていて何か精神的な面で落ち着いたり、健康面での変化があったりということはありますか? という質問に、重職が「私はそういうことはない」とあっさり答えたことだった。大方の人は座禅をやることで精神的な安らぎを得たり、何かスピリチャル領域での「効果」みたなものを求めている。ボクも多少なりそういうところがあったわけだけれども、そういう期待に対して、重職が「そういうことはない」と言ったことがすごく新鮮だった。
重職が続けたのは、座禅をしてないとつい頭で考えごとをしてしまう、頭ばかりで考えるのではなく、いろいろなことを「腹」で受け止めたい。なので座禅をしてる、みたいな意味の言葉だった。その後、「腹」というのがいかに大事で、昔から日本では「腹」を「頭」と同じぐらい重要なセンター機能として考えていたみたいな話に広がっていったのだが、この「頭」と「腹」という考え方が、「単純に座禅で精神的安定を」みたいな紋切り型の座禅のイメージとは少し違っていたのが個人的にはすごく良かった。座禅で何かを得たりするのではなく、座禅は日常で「腹」でいろんなことを受け止めるための準備運動みたいなもの、という認識で、ついつい腹を使うことを忘れてしまうからやり続けないといけない。
座禅にすごい効果を期待したりして参加した人にとっては肩すかしかもしれないが、ボクら夫婦にとってはこの重職の考え方はしっくりときたし、だから何も教えずに、普通に初心者がいようがいまいが意に介さず座禅が始まってしまうこの方法ってのも、むしろ良かっと感じられたのだ。商業主義的な臭いがまったく感じられないというか、そもそもこの会も無料でやってる時点で、この重職の立ち振る舞いや考え方の自然さみたいなものがすごく伝わってきてよかった。

しばらくは毎週土曜日参加してみよう。

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コメント

  1. furoku より:

    座禅いいなぁ。
    楽しそう。

    時間が飛んでしまう体験って、子供のころは当たり前のようにあったけど、大人になってから減りました。集中するというか、没頭するというか、そういうことが減ってるんですよね。

  2. 座禅...

    昨日は、広島から大学時代の友人が来ていたので、
    二条でランチ
    吉田山の茂庵(Mo-an)でお茶
    京都市内をほっこりながめながら今までと今とこれからを話して
    結局人間、いつだって不安...

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