消費社会とは?

吉本隆明がこんなことを言っている。

消費社会というのは生産と商品の間に時間的、空間的なズレや乖離が発生してしまった社会のことだと。
もともと消費というのは生産と同じであった。何かしらの消費が発生する場合には生産があり、また生産があるということは消費があるということで、これらは一心同体だった。
ところが、第三次産業が発達してくると消費と生産との間に距離がでてくるようになる。それが非常に広範囲に及び今、自分が消費していることと、その表裏一体であった生産というものの結びつきや関連が見なくなってしまう、こういう状態が「消費社会」なんだと。

わかりやすい例なら、第一産業がほぼすべてであった社会モデルを考えればいい。確かにそこでは農作業や漁業、狩猟みたいな生産行為と、それを食べたり飲んだり、加工したものを道具として利用したりという消費行為とはほぼ目に見えるような形で成立していて、そこには隔たりがない。
第三次産業が発達してくることにより時間的・空間的な隔たりが生まれてきて、生産と消費の関係性が見えなくなってしまう。

言われてみれば当たり前だし、こういう認識点にたったところで、じゃぁそれで?となるわけだけど、でも知というものの大部分はそういうものなんだろうと思う。

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コメント

  1. furoku より:

    S利さんは、この前会社の帰りに生産効率を上げるだけの消費社会は終わった。
    それが昨今のトヨタの不振だ。

    と宣言を僕にして、さらにその現象の意味を考えると言って千代田図書館へ向かってしまいました。

    まさしくもってそれが知というものだと思いますし、人に与えられた至宝だと思います。

    そこで「で?」とかいったらそこで人間終了ですよね。

  2. yudemen より:

    今の時代を「労働者の時代」と呼び、この時代で1つの大きな歴史のサイクルは終わるというような人もいますね。
    「宗教の時代」「戦士の時代」「商人の時代」「労働者の時代」ときて、再び、歴史は「宗教の時代」を迎えるなんて。
    労働者の時代をもっともうまく生き抜いたのがトヨタに代表されるようなアジアの会社だとするならば、「宗教の時代」ではまったく違う価値観を持つ組織が台頭してくるんでしょうね。

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