セレンディピティと素直さ

KAYACの柳澤さんが日経BPで連載している「面白法人カヤックのいきかた」というブログの中でこんなエピソードを披露している。要約するとこんな感じのことを書いている。

高校時代に尊敬できる漢文の先生がいた。
その先生が柳澤さんが高校3年の1年間の授業の終わり頃に、「俺が教師をしているのも、そもそもお前らにこの本を読ませたいからだ!」と1冊の本を紹介した。
そんなに熱く薦められて読まない訳にはいかないだろうと、柳澤さんはすぐに本を手に入れて読んだ。
次の週(最後の授業)に、先生が「読んだ人!」と挙手確認したところ3人ぐらいしか手が挙がらなかった。
「素直に読んでみようと行動に移す人は、意外と世の中は少ない」「さらに、その3人のうち、その本に書いてあったことを受け止めて、先生がなぜ、そんなに薦めたかったのかを素直に感じ取れる人となれば、皆無な気する」
(「話題のキーワード「セレンディピティ」なエピソード」より)

このエピソードと「セレンディピティ」というキーワードを結びつけ、こういうところでの「素直さ」(素直に受け止め、そして行動に移したり考えたり出来ること)が「セレンディピティ」につながる。そういう「素直さ」を持たなければセレンディピティな人間にはなれない、セレンディピティなことも起きないのではないか、と語っている。

「セレンディピティ」とは、Wikipediaによると簡単に言うなら「ふとした偶然をきっかけに、幸運を掴む事」とある。つまり「ふとした偶然」や「幸運」というのは、こういう素直さや行動によって生まれるのであって、決してただたまたま運が良かった、ついていたということだけではないのだろう、ということだ。

ボクもこの意見には同感だ。

そして、このエピソードからボクが感じるもう1つのことは、ここで言うところの「素直さ」を持ち合わせている人が少ない、ということ自体が、「素直さ」を持ち合わせている人たちにとってチャンスなのではないかということだ。

クラスの全員がこの先生の言葉に従って本を手にとって、先生の意図や考えを理解しようと実行に移したら、そこには差が生まれない。この差が幸運をつかんだり、頭一つ抜け出したりするために必要なことなんではないかということだ。素直じゃないと大成しないとか成功しないとか、そういうことを言いたいわけではないが、このような「差」がいろんな場面で積み重なるから幸運だとか偶然だとかに偏りが生まれるんじゃないだろうか。(それはもう「偶然」ではなくて「必然」なんじゃないか…)

運も実力のうちというが、全部が全部ではないにせよ、何か幸運を引き寄せたり、偶然を味方させていくには、こういう素直さも含めて、他の人はあまりやらないことを自らやってみる、そのことの積み重ねの上に成り立っているんじゃないだろうかと思う。
誰もができることや誰でもやってることをやってても、そこには「差」はでないだろうし、結局「差」がでるのは、大部分の他の人がやってないことをやるときなんだろう。

例えば、仕事のシーン。その分野ですごく優秀な人や先輩、恩師から、この本は君のためになるから読んどいたほうがいいよ、と薦められたとしても、実際、それをきちんと読む人はおそらくごく僅かだろう。

読んだごく僅かな人間が読まなかった人間よりも必ず成功するかというと、そうとは限らないだろうけれども、そういう機会やチャンスで少しづつ少しづつ素直に受け止め、行動に移していっていれば、いつしか行動してなかった人との差はとてつもなく大きいものになっている。そして、その差はいろんなところに影響を及ぼすだろう。偶然幸運にめぐり合うことや発見といったものだけに限らず、出世だとかそういう下世話なレベルのところでも、こういう「差」が影響するんではないか。

ボク自身は「素直」かどうかといわれれば、かなり「素直」な方だろうとは思う。
尊敬する人や信頼する人から薦められた本はほとんど読むし(ただ読むだけじゃ意味ないけど)、何かこうしたらいい、ああしたらいいというようなアドバイスも基本的には可能な限り受け入れる。
ある意味ものすごく単純で影響を受けやすいということなのだろうが、そういう素直さがボクにいろいろな幸運やチャンスやらを与えてくれてきたんだろうなぁとも思う。(そんな風に楽天的に考えている)

仕事を始めたばかりの頃に、ある人から誰かの話を聞くときには、必ずメモ用の手帳、筆記用具をもって、その人の言葉をメモしなさい、とアドバイスを受けたことがある。人の記憶力はそもそもそんなによくない。だから紙に書いておくこと、そしてそのメモは必ず後で見返して見ること。また、話をしている人にとっても、メモされるというのは悪い気分ではないから、お客さんや目上の人の話は特に気をつけなさい、というようなことを教えてもらった。それ以降、ボクはどんな時でもたいてい手帳は持ち歩いているし、けっこう些細なこともメモするように心がけている。
そういう習慣はすごくボク自身の為にもなってるし、また気づいていないだけかもしれないがお客さんなどにも好印象を与えてるかもしれない。

こんなのは当たり前の礼儀作法だろう、って意見もあるかもしれないけど、でも実際、こういうことをアドバイスしても実際、きちんとできる人は少ない。それは教える側、アドバイスする側に立つとほんとうによくわかるよになった。

これだけは習慣にしといたほうがいい、これだけは読んどいた方がいいと奨めてもほとんどの人は「ふーん、なるほど。機会があれば…」と流すだけだ。自分の興味や関心とよほどマッチしなければ手を出さない。一度、流したら、まずそんなことは覚えてないので、そのまま忘れ去れることのほうが多い。

でも、そういうときに素直に受け止めて実行に移せた人というのは、自分はラッキーなんだと考えたほうがいいかもしれない。それはボクのアドバイスが良い悪いというようなレベルを超えて、そういうセレンディピティを引き寄せる「素直さ」を持ち合わせているということに。なにせ、他の多くの人はやってないのだ。全員がやってることをやるのは当たり前。やってないことをやるから差が生まれるのだから。

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