2007年04月06日
大金持ちをランチに誘え! 世界的グルが教える「大量行動の原則」
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他の二冊はある程度中身は想像ついたのだけれど、この一冊はよくわからなかった。
いわゆる「成功本」系なのだろう。
読む時々によって、この本の中でひっかかってくる箇所は違うと思うが、今のボクには以下の箇所が響いた。
私は、30人の新しい患者さんに来てもうらうひとつのやり方はしりませんが、一人の新しい患者さんに来てもらう方法を30通りは知っています。
そして私は、その30通りをすべて実行するのです。
ある成功した専門医の言葉として例にあげられていた。
「解決すべき問題があるのだったら、可能性のある解決策をひとつ実行するのではなく、10も20もやってみるのだ」
そう。プライオリティをつけたり、忙しいという言い訳で逃げたりせずに。
やれることをすべて「同時」にやる。
やきらめず、考えられる手をすべて打っていく。同時に。肝に銘じよう。
2007年03月19日
「決定」で儲かる会社をつくりなさい
前作というのか「儲かる仕組みをつくりなさい」には相当影響を受けたというか、かなり参考にさせていただいた。 今日の役員会議でも同じような話になったのだが、結局、「●●●●をやれ」と指示するだけで、●●●が速やかに確実に実行されるのであれば、経営なんていらない。マネジメントなんていらない。ただ言ってるだけでは出来ないからこその経営なのだ。それをやらざるをえない仕組みや、やることにモチベーションや働きがいを感じさせる仕掛けなど、●●●がなされるために環境や仕掛け、仕組みを用意していく。そこにこそ経営の醍醐味があり、ダイナミズムが潜んでいる。小山さんの方からボクはそんなことをほんの少し学んだ。しかし、小山さんのやりかたというのは、ちょっと劇薬すぎるというか「普通」からはやはりだいぶズレている。これを実行するにはかなり勇気が必要だ。
もちろん、他と違うことをするから意味があるのであって、他の会社がやってることをそのままなぞっていても駄目なことはわかっている。それでもどうしても長いものに巻かれろ精神というか、大方の人がそうであろうと考える方法をあまり深く考えずに採用しがちなのが会社経営だ。でも、それってよくよく考えてみれば、会社経営でもなんでもない。小山さんの本を読むと、そういうことを考えさせられ、改めさせられる。
前作が「仕組み」であり、そういう仕組みをつくることで、そうせざるをえなくするという様々なテクニックや考え方が披露されたが、今回は「決定」だ。経営にはさまざまな「決定」がつきまとう。決定一つで会社が傾くかもしれないし、決定一つで大きく成長カーブを描くこともある。決定ができるのは経営者だけだ。本書ではさまざまな場面における小山流の「決定」方法、「決定」への考え方、ポリシーが明らかにされる。銀行との交渉方法など、ちょっとした裏技的なテクニックも明らかにされていて面白い。
でも、今作は前作に比べると、やっぱり物足りないなぁと思う。やはり前作から漏れた事象を拾い集めた感は否めず、全体に散漫な感じはする。それでもやはり得られるものは少なくない。読んでおいて損はなし。
2007年03月18日
TENGU (柴田 哲孝)
つくづくこういうのに弱い。帯買いというやつだ。帯のコピーにつられて買ってしもた。大藪春彦賞受賞とか。 なんか全体的に文章の古くささというか、そういうものが気になってしかった。大昔のハードボイルド小説の登場人物たちが口にしそうなセリフには少しがっかりする。もう少し今っぽい演出が欲しい。「天狗」が最後には「あれ」ってのもなぁ、どんでん返しがあるわけでもなく、後半はほぼそのままという感じでエンディングを迎える。UMA好きの人ならいいんだろうけど、そこに行くならもっと細部のリアリティが欲しい。帯には「細部の検証の確かさが作品全体に堅牢なリアリティを与えている点は、ノンフィクションで培った技量の現れというべきだろう」(日下三蔵)なんてコメントが引用されてたりしたのだが。本当にそうだろうか。ある世界を成り立たせるためには、事実を積み重ね、その中にさりげなく嘘を入れつつも、圧倒的な情報や科学的根拠やらで塗り固めていく必要がある。最近流行ったものでいけば「ダヴィンチコード」だ。あの小説が成功するのは、あの大胆な仮説を裏付けるための世界づくり(嘘も含めて)の巧さだ。例えば、中島らもの「ガダラの豚」とか、山本弘の「神は沈黙せず」とか。彼らの「嘘」に対しての気合いの入れ方は尋常じゃない。良い嘘をつくるためには嘘を嘘だと思わせないためのストーリーの仕掛けが必要だし、その細部に事実と嘘を織り交ぜていく。その徹底。
この小説の扱ってる題材とかはすごく面白いものだと思うのだが、やはりそこが圧倒的に弱い。後半にほとんどストーリーの核心を集約させてしまってるだけで、壮大な嘘をつくための準備や仕掛けが不足してることは否めないと思う。
2007年03月17日
ソラニン 浅野いにお
マンガを紹介することはほとんどないが、実は大のマンガ好きだ。独身時代は暇があればマンガ喫茶に通っていたし、今も週刊誌は何冊かかかさず読んでいる。さて、最近、浅野いにおにはまってる。「いまさら」と言われそうだが。いやぁ、今まで読まなかったことを後悔した。だって、やたらと人文系の人たちからも注目されてるし、なんかあまりに注目されるとあえて手にしたくなくなるんだよなぁ、というのは言い訳だが。しかし、ほんと読んで驚いた。
とにかく、ソラニンはやばい。なんだろうか、この息苦しさというか、読み終えた後の苦しさは。
他のいにお作品もすべて読んだのだが、やはりソラニンだ。彼の作品のなかではある意味最も青臭く、でも最もしっかり描かれた作品だと思う。ストーリーとそのストーリーを支えるさまざまな道具だけを取り上げれば、典型的なモラトリアム型青春ストーリーのありきたりさなのに、なぜこんなに突き抜けてるんだろう。
まだ読んでない人はぜひ読んでほしい。多分、今、この時代の「青春」マンガのリアルってのは、こういうことなんだろうと思う。そう感じさせるものがある。
ここには熱さはないし、かといって冷めきってるわけでもなく、「終わらない日常」と優雅に戯れられているわけでもない。脱力や無気力や厭世主義に支配されるわけでもなく、かといって暴力や狂気やエロスに走るわけでもない。ボクらは絶妙なバランスで、この今を生き、そして今こうやって生きていることが、その後、ノスタルジックな光景として思い出される日がくるのだろうな、という少しやらしい意識を片隅に持ちながら、今を生きる。とてもねじれた意識だ。でも、それがリアルなんじゃないか。
四畳半神話大系 (森見 登美彦)
正月に「太陽の塔」を読んでファンになった森見登美彦の新作ということで読んでみた。
相変わらずの饒舌体で書き綴られる何篇のパラレルワールド。物語の舞台や登場人物、登場人物の役回りはすべて同じながら、ほんの少しのズレが物語全体を大きく変えてしまう。しかし個々の物語はまったく違うものであっても、結局その物語の「根本」はほとんど何も変わってない。それが最後の延々と続く四畳半世界に集約されている。ありえたかかもしれないいくつもの物語、しかしその物語のどれもが同じ四畳半の些細なる違いにしかつながっていない。