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会社にお金を残さない! ~「ノルマなし!管理職なし!給料全公開!」の非常識な経営術~

4479792724会社にお金を残さない! ~「ノルマなし!管理職なし!給料全公開!」の非常識な経営術~  ─ カンブリア宮殿で放送されて話題だったみたいだけど、その放送は見ていない。

でも、本書を読むだけで、この会社の過激さというか、他の会社との違いはものすごくよくわかる。かなり衝撃的だ。

この会社のはノルマや目標がない。管理職がない。そもそも社長職も交代制。社員全員の給与が公開され、基本的には内部留保は0。利益はすべて社員かお客さんに還元する

最近やたらと、就業規則やら会社ルールでユニークな制度や手法が注目されたりしているので、これだけ聞くと、こういった突拍子もない制度やルールに目が奪われてしまって、なんだ、またそういうものにだけ拘った企業のように思えるかもしれない。しかし、この会社は違う。1986年創業以来、業績は右肩あがり。年商は85億円。現在のチェーン店は120店舗を超える。

しかも、この会社、もともと広島の大手メガネチェーンを辞めたメンバーによって立ち上げられた小さなメガネ屋からスタートしており、その大手メガネチェーンから目の敵にされながらも、このような成長を成し遂げてきている。
そう、この会社のユニークな考え方や制度は、人目を引くためだけの中身がないようなものではなく、こうしなければ厳しい競争に勝っていけないという切実な思いと、世の中で常識とされているものへ疑いの目を向けるという徹底した信念に裏付けされているのだ。

■内部留保ゼロのからくり
たとえば、内部留保ゼロのからくり。儲かった分をすべてボーナスで社員に還元するという方法でとられている。
ボーナスは年3回出るが、決算賞与のタイミングで経常利益がほぼゼロになるように社員に分配する。社員によっては賞与だけで500万円を超える収入になる場合などもある。
「儲かった分はボーナスとしてすべて還元される」というのは、逆に言うと、「儲からなければ還元はない」という意味だ。

実は、メガネ21には社員の月額給与額の最高は30万円程度という決まりがある。昇給は30歳まで。メガネ店で働くためのスキルは30歳までで身につけられられるからというのがその理由だ。つまり、月給ベースだと年収360万円が上限であり、それ以外はすべてボーナスとなっている。ボーナスは儲からなければ全く出ない。「ボーナスが500万円を超える人もいる」なんてところだけを聞くと、なんて社員に優しい会社なのだと勘違いしてしまうかもしれないけれど、実際は収入の大部分を業績に連動させているという意味では、非常にシビアな会社とも言える。

■業績悪化や資金需要へはどう対応するの?
また、内部留保がゼロなら、当然、何か起きたときにどうするんだ? 新店舗の開店や商品開発などで先にお金がいるときはどうするの?という疑問は湧くが、その裏側にもきちんとした彼らなりのロジックがある。

メガネ21にはいくつかの働き方のコースが用意されているが、それらのコースは大きく「一般職」と「経営職」にわかれている。一般職は賞与・給与が業績によって変動せず、利益分配は受け取れない。経営職は賞与・給与が業績によって変動する。どちらのコースでも先程出てきた基本給や30歳昇給ストップ、月額給与30万円程度という上限は同じ。つまり、一般職を選んだ人の年額給与の最高額は360万円が固定ということだ。

一方で、経営職でも実は年収は1000万円が上限と定まっている。配偶者控除を受けられるギリギリの額だからというのがその理由で、サラリーマンが受け取れる常識的な最高額として、いったんこの額で社内ルールを設定してしまっているのだ。
つまり、経営者コースの人は、640万円を業績連動の賞与によって得られる権利があるということになる。
現在は社員の収入の3分の2を賞与が占めているので、業績が悪化したらこれをカットすれば大幅な経費削減が可能になるという、かなりシンプルな仕組みがある。上限を決めて、それをオープンにしてしまうことで、イザという時にも見通しが立てやすくなってることは間違いないし、また、ルールが明確なので社員にとっても納得がいきやすいのだろう。

資金需要に対しては、基本的には社員からの「直接金融」を実施している。資金繰りはすべて社員の出資によって成り立っているのだ。銀行からの借り入れはゼロ。
たとえば、社員には「社員借り入れ」制度というものがある。これは社員が会社に預金ができる制度だ。預金なので当然、利子が付く。この利子、なんと少し前までは10%で運用していたというから驚きだ。
現在は実施されていないが、会社に出資している額の50%を賞与として上乗せしていた時代もあった。1000万円出資すると500万円が、利子としてではなく、評価として賞与に上乗せされて支払われるわけだ。株式も基本、社員が持ち合う形になっている。

要は、いかにして社員が会社にお金を出したいと思わせるか、そして、自分の会社のオーナーであり、経営者であると思えるか、そのための仕組みや制度を考えられるかが重要なのだ。メガネ21の仕組みは、決して社員にやさしいわけではない、むしろ実は非常に厳しい仕組みだろう。給与の上限などの割り切りも理由としては尤もだけれどシビアだ。
しかし、「経営職」には本当の意味での経営視点や判断が求められ、それによってリターンを得られるというかなり単純なルールが持ち込まれている。社員たちが自然に「経営」に目が向くような仕組みが盛り込まれているのだ。

■管理職がいらない仕組み
全員が経営者、会社のオーナーであるという意識が裏付けにあるからこそ、管理職が必要なくなっている。
たとえば、会社として重要事項を決めるときも、何か提案がある場合には、すべて社内ウェブを使う、というルールになっている。提案に対して、反対する人が誰もいなければ即決定という仕組みだ。黙認は賛成となってしまう。稟議書もなければ、根回しもない、ある決定を下すための会議も必要ない。だから、必然的にいわゆる中間管理職は必要なくなってしまう。
これは社員が共同経営者という要素があるからこそ(また、財務情報や社員の給与など、必要な情報はすべて公開されているからこそ)、可能な仕組みだと言える。

■目標設定や社内競争も無駄
さらに、ほとんどの会社が最も大事なものだと考えてる「目標設定」も、メガネ21では「無駄な作業」だと一掃している。
「達成可能なラインの少し上に目標設定すべき」なんて言われているけれど、その適正値って何? それで社員のモチベーションが上がるの? と素朴な疑問を投げかける。 どれぐらいの目標設定が適切かということを考えるのに何時間も頭を使ったり、会議をしたりというのは、「それで仕事だと勘違い」しているだけで、「どうでもいい数字をこねくり回」しているだけじゃないの、という厳しい指摘。また、社内競争も意味がない。自分の店舗だけ儲かったらいいという意識が付くことはむしろ悪で、全体としてのスループットに意識が向かないと意味がない。
そして、著者は言は、ノルマや目標がなくても、「社員がやる気になる仕組みがきちんとあって、お客様の満足度を高めていければ、確実に業績は伸びます」と言い切る。

自分の大部分の報酬が賞与で決まっていて、それが業績で決まるとなれば、そして自身が株主であったり、銀行みたいな立場で会社に出資したり、お金を貸していたら、そう考えると、確かに「目標」なんてなくても、売上を伸ばそう、利益を伸ばそうという意識は働かないわけがない。会社全体の利益で賞与が決まるなら、自分の店舗だけ良ければいいなんて意識はまず働らかないだろう。業績に影響を与えるような提案があれば、それについて各自が真剣に考えて判断するだろう。
まさに経営者と同じ視点で仕事に取り組むような仕掛けがあるからこそ、こういった従来の常識とはまったく違う考え方でも、とてもすんなり受け入れられるようになっているわけだ。

■本書を読んで
ちゃんとすべてに理由があるのだ。ただ、やりたいから。なんとなくそうしたほうが社員にとっても良さそうだから。ユニークな会社に思われそうだから。まるでそんな要素はない。
これらの制度の1つや2つだけを真似て、自社に導入してうまくいくかというと決してそんなことはないだろう。
上辺だけを真似ても、場当たり的な制度となってしまい、むしろ状況は悪くなってしまうのではないか。かといって、世間の常識や、他社がこうやってるからというだけで盲目的に制度やルールを考えてしまうことも良くはない。

重要なのは「何を重視するのか」「何を強みとしていくのか」という根本の思想や信念だ。その思想や信念をより強くしていくために、それらが自然に敷衍していくための仕組みや仕掛けとして、どのようなルールや制度が考えられるのかということを考えていく必要があるのではないか。

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異業種競争戦略

4532314828異業種競争戦略」 - ビジネスの世界では、今やあらゆる場面で「異業種格闘技戦」が繰り広げられている。今や「業界」というものを、何か固定的な枠で囲われたようなものではなく、誰が敵で見方なのか、どこから突然玉が飛んでくるかわからないような戦場なのだ。

銀行業界に従来とは全く異なるモデルで参入したセブンイレブンとイオン。旅行業界におけるJTB/HIS/楽天トラベルのバトル。音楽業界ではデジタル音楽配信サービスとレコード会社、レコード店が戦い。化粧品メーカーの資生堂とトイレタリーメーカーの花王がお互いの市場に参入。出版対フリーペーパー。マイクロソフト(有償ソフト)対グーグル(広告)。

例をあげていけばキリがないが、どんな業界でも異種格闘技戦が激化している。

間違ってはいけないのは、異種格闘技戦は、何も業界や市場背景が異なる企業がある同じ業界や市場で戦うということだけを意味するのではなく、どちらかというとエンドユーザーの「同じニーズ」を、それぞれの企業が全くことなるビジネスモデルで満たそうとする戦いのだということだ。
ここで言うビジネスモデルとは、本書では「顧客に、ある価値を提供するときの手段と儲けの仕組み」としている。そう。「手段」と「儲けの仕組み」が全く違うモノ同士が戦っているんだ。だからこそ、今の戦いは見えにくく、わかりにくい。

さて、ではこのようなどこから砲弾が飛んでくるかわからない混沌とした戦下において、企業はどのように戦っていくべきか、どのような戦略を構築すべきかということについても、本書では丁寧に説明されている。
それは、次4つのステップとなる。

1.どこにチャンスや脅威があるか・・・事業連鎖の再構築
2.敵を知り、己を知り、顧客を知る・・・競争環境の再認識
3.事業連鎖のなかで、どう稼ぐか・・・ビジネスモデルの確立
4.敵を自分の土俵に引きずり込む・・・・新しいルールの確立

とくに最初の「事業連鎖の再構築」というところが興味深い。
「事業連鎖」とは、業界全体を俯瞰して川下から川上までのバリューチェーンのことだ。
まず、「異業種格闘技戦」がどこで起き得るのか、また自社が今後どの分野に力を注いでいくべきなのかを確認するために、市場全体を一連のプロセスとして整理して眺めて見るのだ。

例えば、「音楽」業界で考えた場合には、大きなバリューチェーンとしては、
「音楽」→「パッケージ作成(マーケティング」→「記録媒体」→「流通」→「再生」
とうような大きなバリューチェーンが描ける。

従来までの音楽業界では、最初の「音楽」のところで、アーチストがいて、次のパッケージ作成(マーケティング)のところにレコード会社が位置していた。記録媒体ではCDがあり、流通でレコード店やレンタルレコード店、そして再生はステレオ。これが各バリューチェーンに位置している企業が思い描いている「従来」のビジネス構造だ。

ところが、デジタル音楽流通の時代を迎えると、これらのバリューチェーンに変化が生じてくる。

CDはデジタルデータに置き換えられ、そうなると流通領域では、レコード店が音楽配信サイトに置き換わる。再生はステレオから携帯音楽プレイヤーやパソコンへと様々なプレヤーに広がっていく。この置き換えや選択肢が広がった「場所」に「異業種格闘技」が繰り広げられるというわけだ。

単純な例なら、オーディオ機器のメーカーの競争相手は、今やオーディオ機器専業メーカーではなく、パソコンメーカーであったり、携帯電話メーカーにまで広がっているし、レコード店のライバルは、近所の他店ではなく、ネット上の音楽配信サービスとなっている。

事業連鎖を描くときには、自分たちがいる業界や市場から考えるのではなく、あくまでも俯瞰的に、お客やユーザーにどのような価値を届ける必要があるのかということから、全体を包括して描くことが大事だ。業界内の狭い視野の中では見えなかった大きな構造の変化を捉えられるかどうかだ。(レコード針メーカーは、どれだけその市場で競争優位性を築いたとしてお、そもそもCDやデジタル音楽と、「針」を使わない音楽再生へシフトしてしまったら生き残るのが難しくなる)

事業連鎖を描いたら、それらの各チェーンにおいて、以下の可能性を検討してみる。

省略
カメラ市場では「デジタルカメラ」の登場により、現像や焼付という行程が「省略」される。

束ねる
フィルムとカメラが「使い捨てカメラ」に束ねらる。

置き換え
フィルムがメモリーカード、ミニラボは家庭用カラープリンターに置き換えらる。

選択肢の広がり
写真をパソコンやテレビで見る、ウェブに載せるなどの選択肢が広がる。

追加
カメラ付携帯電話の登場により写真をそのままメールで添付して送るという利用方法が追加された。

ウェブソリューション全般で考えてみると、どのような異種格闘技が起きているのだろうか。

わかりやすいのは、SIerの領域をSaaSやPaaSが置き換えを進めているというものだ。今までなら、技能のあるスタッフ何十、何百人もが何ヶ月、何年もかかり開発してきたものが、SaaSやPaaSによって数カ月で対応可能になったりということが現実に起きている。
SIerとSaaS、PaaS提供会社では、そのビジネスモデルはまったく異なる。SaaSやPaaSが敷こうとしているルールが支配的になれば、多くのSIerの業務はなくなってしまうだろう。
(papativa.jp – エコポイント申請ページはForce.comらしいが。)

大きな流れとしては、そもそも企業のウェブサイトそのものが、すでに人が集まってるオープンなプラットホーム側にシフトしていくかもしれない。その時、今まで自社ウェブサイトに投じていたお金は、プラットホームの方に流れていくかもしれない。
これは「置き換え」とも言えるだろうし、企業にとっては、「選択肢の広がり」とも捉えられるだろう。良いウェブサイトを構築すること、ウェブサイトを通じてコミュニケーションを支援を行っていた会社などは、今までのモデルでは食べていくのは厳しくなるだろう。
ほとんど無敵と思われたグーグルなどの検索エンジン連動広告も、人々のネット利用の中心がコミュニケーションプラットホームに移行していけば、非常に苦しい戦いを強いられることになるかもしれない。

つまり、どの分野だろうが、領域だろうが、常に「変化」が起きていて、自身が乗っかっているビジネスモデルや強みみたいなものは、いつ何時、脅威や弱点になるかもしれないということだ。今の成功体験や成功モデルに安住していることは、最もリスクの高い戦いになるかもしれない。
いくら素晴らしいレコード針を作れても、レコードそのものがなくなってしまったら、その技能はほとんど意味がなくなってしまうのだ。

では、このような状況下で、企業はどのように戦略を立案していくべきか。
本書では、これを「ビジネスモデル」の構築という観点で分解している。そして「ビジネスモデル」をさらに以下の3要素に分解し、それぞれにおいての回答を考えて見ることを提唱している。

1.顧客に提供する価値
2.儲けの仕組み
・トールゲート(高速道路の料金所)
・イネーブラー(撒き餌→トールゲートで稼ぐ)
・エンラージメント(料金所→サービスエリアなどで稼ぐ)
・ブロックプレイ(敵のトールゲートを邪魔して、敵を弱体化させる)
3.競争優位性の持続
・自社に有利なルールで戦う

そして、戦い方としては、
1.顧客に提供する価値の違いで戦う
2.コスト構造の違いで戦う
3.ビジネスモデルの違いで戦う
の3側面から整理している。

当たり前といえば当たり前のことが論理的に整理されている。しかし、ぼんやりと「戦略」や「戦い方」として捉えていてもよくわからないものは、その要素を分解したりすることで明確にはなる。これはとても重要だと思う。

ただ、僕は本書を読んでいて思ったことは、ビジネスモデルの整理や戦い方の戦略についてきちんと描いて見ることは重要なのだろうけれど、実はもっとも大事なのは、「変化を恐れない」ということなのではないかということだ。

たとえば、現代の異業種格闘技戦において、すごいなと思うのはリクルート社だ。
本書でも触れられてはいるけれど、彼らは自身の成功モデルを自ら破壊することで、新しいルールや枠組みでもリーダーシップを勝ち取っている。
彼らがもともとの情報誌や出版という成功モデルに固執していたら、ネットにおける今のポジションは危うかっただろう。

最も危険なのは、今のモデルやビジネスを最良のものとして考えてしまうことなのではないか。職人的な感だけが頼りだったある領域は、コンピューターに置き換えられてしまうかもしれないし、それが最高のやり方、最良の手法だと思っていたものは、顧客にとっては、ただ高いだけの古い手法と捉えられてしまうかもしれない。

そこを乗り越えるのは「変化」を恐れないこと、今までの自分たちを否定してでもその「変化」に挑んでいく心持ちなのではないだろうか。

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「インターネット的」を読み返す

4569616143糸井重里さんの「インターネット的」を読み返した。きっかけはTwitterで本書の中の一節が流れてきたことだった。どこかで見たことがあるなと思って、ググってみたら「インターネット的」の中の言葉だということがわかった。

「インターネット的」は2001年7月に上梓された本で、たぶん、僕はすぐに買って読んでるのだけれど、全然覚えてなかった。最初に読んだときは、それはそれで面白かったはずなのだけれど、今、読み返すと、面白いや興味深いを超えて、感動を覚えた。今だからこそ、読み返すと、ここで語られてたことがすごくしっくりとくる。ほんとに素晴らしい本だと思う。

2001年といえば何があったと年だろうか。
この年は4月に小泉純一郎が首相に就任している。そう。9月にはあのアメリカ同時多発テロが発生した年だ。
調べて始めてわかったけど、初代のiPodが発売されたのも、この年の10月のことだ。

ネットやインターネット業界を見てみるとどうだろうか。
ちょうどネットバブル崩壊が2000年〜2001年の頃だろうか。光通信株の大暴落や米ナスダックが史上最大の暴落など、順風満帆に見えたIT、ネット事業の脆弱さが露呈した頃だ。サイバーエージェント社や楽天の上場は2000年だ。

当然、mixiもgreeもTwitterもまだない。「ブログ」の先駆けであったBloggerは当時すでにあったものの、MovableTypeの誕生が2001年10月であり、まだ本格的なブログブームの到来ではない。ようやく海外で「ブログ」ってのが人気らしい、え、それ日記とどう違うんだ、みたいな議論がなされていた時代だ。ソーシャルネットワークや、ソーシャルメディア、CGMみたいな言葉もまだない。

という時代背景から考えて、改めて本書を読むと、いかにこの本が時代を先取りしていたかがわかる。
ここで語られてることの多くが、その後のネットの大きな潮流となり、今や当たり前になりつつ概念だったりする。まるで「予言の書」だ。

たとえば、糸井さんは「インターネット的」な世界観や考え方の特徴的なものとして、次の3つをあげている。
1.リンク
2.シェア
3.フラット

今、聞いたら当たり前のように聞こえるけれども、特に「シェア」なんてのは当時は、まだきちんとその可能性について把握されてはいなかっただろう。

「シェア」について、糸井さんはそれを「おすそわけ」という独特の表現に置き換えて次のように語っている。

家庭料理というのは、インターネットにとても向いている情報だと思いますね。(略)
肉じゃがの上手な主婦がいたとしたら、そのレシピを無料で、おすそわけすることが可能ですよね。(略)
で、おすそわけしてもらった人は、どうするのがイイのか、と言えば、シェアしてもらったことに対して、“ありがとう”と思えばいいんです。(略)
何よりもおいしい肉じゃがを自分もつくれば、それが一番のお礼なんです。そしたら、最初にシェアした肉じゃがの得意な主婦も、次のシェアをする気になるでしょう。誰でも、誰かのお役に立つってことは、とてもうれしいことなのですから。
 さて、さらに、です。“ありがとう”の代わりに、“では、わたしも別のレシピをシェアしましょう。みなさんに、“配りますよ”となる場合もありますよね。シェアとリンクとが、絡みあっていくわけです。何とも快適な連鎖講座負うができていきます。(略)
実は、情報はたくさん出した人おところにドッと集まってくるんだ、という法則があるのです。もらってばかりいる人は、いつまでたっても「少しもらう」ことを続けることになります。おすそわけをたくさんしている人や企業には、「これも、あなたが配ってください」という新しい情報が集まる交差点のようになっていきます。
 モノもコトも、情報のかたまりですから、これは新しい意味での生産手段を手に入れたのと同じことになります。また、配られた人は、この人や企業のシェアしてくれるものは信頼できると思ったら、その次の情報を待ちますから、そこには不定形な市場もふくられている可能性があります。

すでにこの頃「クックバッド」は存在してはいたものの、それが今ほどの規模や可能性を秘めたサービスだと考えている人はほとんどいなかっただろう。糸井さんでここで思い描いているものは、まさにその後の、CGMやWeb2.0などの言葉で言われるようなユーザー同士が「おすそわけ」をする場やサービスが盛り上がっていくということの可能性を完全に見抜いている。
ただ、もっと重要なのことは、単に、「CGMは凄い」というようなビジネスやサービスモデルだけで切り取って考えるのではなく、「おすそわけ」というものがインターネットの本質であり、それが人々の気持ちや生活をよりよくしていくために大事なものなんだ、という前提にしっかり立っているということだ。

僕がこの本を読んで感動したのは、単に時代を先取りしていたからではない。
この本には、よりよい社会や世界とは何だろう?という糸井さんなりの疑問や解釈がある。「インターネット的」なものは、もしかしたらこの社会や世界をもっと良いところにしてくれる可能性があるんじゃないだろうか?という可能性が語られている。僕はそこに感動したのだ。
ビジネス利用における可能性や、アトムに対してのビット/デジタルの社会へのインパクトや生活変化、技術確信によるライフスタイルの進化みたいなものは、数多くの本で語られているけれど、インターネットを「インターネット的」なモノやコトとして捉え直して、そこに人の幸せとか、良い社会とは?ということを語った本は、そんなに多くはないのではないか。

この考えは、序文にある「インターネットそのものが偉いわけではない。インターネットは人と人をつなげるわけですから、豊かになっていくかどうかは、それを使う人が何をどう思っているのかによるのだ」という一節に集約されている。
ここで言う「豊かさ」は、お金の多寡ではない。心や精神的な豊かさだ。それも無理をせず、ルサンチマンに陥ることもなく、ただ自然に開放的な「豊かさ」のことだ。「インターネット的」なモノやコトが、こういった「豊かさ」につながる可能性を秘めてるんじゃないだろうか。糸井さんは、そこにインターネットの可能性を視ているのだ。

本書の終盤で、糸井さんは「消費のクリエイティブ」の重要性を説明している。
今までのクリエイティブというのは、主に作る側、つまり生産側のことばかりが重視されていた。
しかし、実はそれに見合った消費の方のクリエイティブ力は全然育ってなくて、むしろ弱っていってるんではないかと疑問を投げかける。そのままだと、インターネットも生産のための、ビジネスのための便利な道具として使われいくだけで、イコールそれは、ただ生産を増やすだけだけれど、いくら生産が増えたところで、消費する市場がそれに見合った力をもってなかったら無駄なんじゃないか。

それではいくらインターネットで生産が豊かになったところで生活は豊かにはならない。

ここで言う「消費」というのは、単にモノを買うとか得るという意味ではない。それは「生活」をどう消費するか=享受するか=愉しむかということだ。たくさんのお金を得ても、「高級スポーツカー」や「億ションと言われる住居」「おねーちゃんと呼ばれる恋人」の「リッチのセットメニュー」みたいなものしか求められないというのは切ない、と糸井さんは言う。こういった借り物のお仕着せではなく、想像性だとか心の愉しさだとか感動だとか、そういうものをきちんと消費できるようにならないといけない。
そして、この「消費のクリエイティブ」の能力は、何か比較するもの並べ置いて、そちらを貶す、落とし込むというようなことをやっていては鍛えられない。そういうやり方ではなく、そのものをあるがままに、それそのものとして認める、褒めること。これを続けていくことが「消費のクリエイティブ」力を鍛えることになるだろうと説いている。

ここには「パソコン」や「デジタル」や「インターネット」といったものは登場しない。
あるのは、「インターネット的」なものが広がる世界において、人はどのように生きるべきか、社会はどのようにあるべきかという糸井さんならではの考え方だけだ。でも、ここから考え始めないと実は、何も始まらないのかもしれない。

ネットの仕事に身を置きながら、本書で語られるような意味での「インターネット的」なものを真剣に考えたことがあったかというと、たぶん、ほとんどなかったと思う。本書を最初に読んだときも、たぶん、そういうところがスッポリ抜け落ちてしまったのだろう。今、改めて本書を読み返してみて、もう一度、「インターネット的」であることの根本から、しっかり自分なりに考えてみようと思う。

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いまさらだけど「グランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略」

479811782Xグランズウェル ソーシャルテクノロジーによる企業戦略 (Harvard Business School Press)  ─ まるまる1年ぐらい遅れて本書を手にした。恥ずかしいばかりだ。
買ったのは去年の初めの方で、ざっと目を通したのだけれど、豊富な事例については面白く感じたものの、それほど深く感じ入ることもなくほとんど放置状態だった。

ふとしたことで年明けに読み返してみたら最初読んだときとは全然違った風景が見えた。自分の今の気の持ち方や肌感覚の違いが大きいのだろう。「グランズウェル」が本当に現実のものとして、そこにあるということの確かさみたいなものを実感しているからだろうか。同じ本とは思えないぐらいに、何かある種の感動みたいなものを僕はこの本に覚えた、
なので、まだ読んでない社員も多いだろうから、あえて本書を紹介しておかないとダメだろうという使命感が沸き上がってきたというわけだ。

グランズウェルとは社会動向であり、人々がテクノロジーを使って、自分が必要としているものを企業などの伝統的組織ではなく、お互いから調達するようになっていることを指す。このような社会変革も、僕自身1年、2年前にはピンときてなかったのだけれど、今はかなり現実のものとして実感できる。

この業界に身を置いているからより一層そう感じるのは間違いないけれど、もうこの流れは止まらないと思う。今は、この業界だけの狭い一部的な動きかもしれないけれど、それはいずれ大部分を飲み込んでいくに違いない。

本書で紹介されている数々の事例を読んでいると、この社会変革が愉しみになワクワクするものに思えてくる。可能性はいくらでも広がっている。もちろん本書で取り上げれている成功事例の影には、その後ろに膨大な失敗事例が眠っているに違いない。本書の通りに試したけれど、全然うまくいかない、鳴かず飛ばずの企業のほうが多いに違いない。

しかしだ。企業にとって、今までの「消費者→認知→検討→選好→行動→愛用→顧客」へとステップを踏んで成長・育成していくようなマーケティングファネルモデルが崩壊しつつあることは間違いない。大声をあげて、ファネルの入り口に人を集め、ファネルの中に入ったら、購入段階まで進んでいくような働きかけを実施していけば、それではい、顧客の出来上がり、というような時代は終わった。

本書にもあるように、「消費者を導き、会話をリードしているのは、もはやマーケターではない」。
それらは様々なコミュニケーションサービスや、ソーシャルテクノロジー上での友人や知人の推奨、ネットのクチコミなどに取って変わられつつある。そう、「人々の耳を捉えるのは会話」なのだ。

であれば、企業は変わらなければいけない。遠くからメガフォンや拡声器を手にして、誰だかわからない人々の群れに向かって必死で叫んでても、その声は誰にも届かない。自らが人々の群れに加わり、会話に参加していかなければならないだろう。

本書は、その一歩を踏み出させるために勇気を与えてくれ、肩を押してくれるものだ。
この業界の人々と問わず、企業のマーケターや経営者で、まだこの本を手にしてない人は、是非とも読んでもらいたい。

本書内で紹介される概念として重要なのは、「ソーシャル・テクノグラフィックス・プロフィール」と、「グランズウェル戦略の5つの目的」の整理だろう。この2つのポイントに絞って本書の内容を簡単にまとめる。

「ソーシャル・テクノグラフィックス・プロフィール」は、ソーシャルサービスへの参加や関与の形態によって、そのタイプを以下の6つに分類したものだ。

創造者
月1回以上ブログを書いたり、ウェブサイトへ記事を投稿したり、YouTubeにビデオをアップしたりしている人々。

批評者
ネット上のコンテンツに反応する人。レビューやコメントを書いたりする人々。

収集者
ソーシャルブックマークでURLを保存したり、RSSフィードを使って情報収集したりしている人々。。

加入者
SNSに加入して、プロフィールを更新している人々。

観察者
他者のコンテンツを利用する人々。

不参加者
これらの活動のいずれにも参加しない人々。

ソーシャル戦略の立案の際には、自社商品の対象顧客や、自社が狙う市場や社会などで、この6つのタイプがどのような割合になっているかを調査することで、ソーシャル戦略の骨格が決まる。その対象ユーザーに「批評者」が多く、「創造者」が少ないようなら、元の素材となるコンテンツはこちらで用意し、それにユーザーがアレンジを加えたり、レビューできたりするような仕組みを盛り込むというレベルに留めたほうが良いかもしれないし、「創造者」が多いユーザー層ならば、創作意欲をかき立てるようなサービスや素材類の提供などが良いかもしれない。ソーシャル・テクノグラフィックスは、ソーシャルテクノロジーをどのように活用していくかという基準や目安を与えてくれる指標だ。

本書に掲載されている「日本」の「ソーシャル・テクノグラフィックス」は、
創造者:22%
批評者:36%
収集者:6%
加入者:22%
観察者:70%
不参加者:26%

だったが、2009年度のデータを見ると、
創造者:34%
批評者:30%
収集者:11%
加入者:26%
観察者:69%
不参加者:23%

となっていた。創造者が大きく伸びていることがわかる。
(もちろん「全体」として見ているのでは、この指標はほとんど何の役にも立たない。自社商品やサービスの利用者や競合ユーザー、対象年齢やコミュニティに属する人々などの切り口でこれらの指標を見ることが重要だ)

フランスなどは加入者が4%、不参加者が57%と、ソーシャルサービスへの参加度合いはかなり低いものとなっている。それに較べると、日本はmixiやgree、モバゲーといったSNSの存在のおかげだろうか、比較的加入者の比率が高い。

この「ソーシャル・テクノグラフィックス」だが、実は、本書が上梓された頃には大きな影響力を持っていなかったTwitterが大躍進したということもあり、最新のデータでは、「会話者(Conversationalists)」という概念が、創造者と批評者の間に加わっている。日本という限定された地域でこの新しい「会話者」というタイプがどれほどいるのかはわからないが、おそらく昨今のTwitterブームなどにより、けっこう高い割合になるのではないかと思う。
Social Technographics: Conversationalists get onto the ladder

なお、この「ソーシャル・テクノグラフィックス」のデータは、色々なデモグラフィックデータとかけ合わせてウェブで確認することができる。ただ、まだこちらのシミュレーターには「会話者」が入ってない。また、残念ながら「Japan」のデータは年齢別の切り口では提供されていない。
Consumer Profile Tool (now with 2009 data)

ソーシャル戦略の骨格には、当然ながら、何を目的としてソーシャルテクノロジーを活用するのかという目的視点が必要となる。本書では、グランズウェル戦略の5つの目的として整理している。

1.耳を傾ける(傾聴戦略)

・リサーチ、顧客理解。
・顧客インサイトをマーケティングや開発に利用したい企業に適してる。
・プライベートコミュニティを立ちあげる/スローンケタリング記念がんセンター
・ブランドモニタリングを始める。

2.話をする(会話戦略)

・自社メッセージを広げる。より双方向的な手段でメッセージを広げたいと考えている企業に適している。
・バイラルビデオを投稿する/ブレンダー(料理用ミキサー)にiPhoneを突っ込んで粉砕する動画。
・SNSやユーザー生成コンテンツサイトに参加する/世界的な会計事務所アースと&ヤング(E&Y)は、毎年3500人もの新卒大学生を採用している。大学生の期待に応えるため、同社はSNSに進出。
・ブログスフィアに参加する/HPは複数のブログを用意し、様々な部署の社員が執筆できるようにした。

・コミュニティをつくる/P&Gの少女向けコミュニティ「ビーイングガール」

3.活気づける(活性化戦略)

・熱心な顧客を見つけ、彼らの影響力(クチコミの力)を最大化する。

・熱烈なファンのいるブランドに適してる。
・格付けやレビューを導入して、顧客の情熱を活用する/eバッグス
・コミュニテイを作る、顧客を活気づける/コンスタントコンタクト社
・ファンが作ったネットコミュニティに参加し、メンバーを活気づける/レゴ社

4.支援する(支援戦略)

・顧客が助け合えるようにする。顧客がお互いに親近感をいだいているような企業に効果的。
・従来のサポート⇔グランズウェルサポート/ボランティアのサポートに支えられるデル社
・Q&Aコミュニティ/ティーボ社、ケロッグ社はヤフーにダイエット希望者のコミュニティ

5.統合する(統合戦略)

顧客をビジネスプロセスに統合する。難易度が高いので、他の4つのいずれかの戦略を達成してから選択することが望ましい。

これら5つは従来のマーケテイング目的でいくと、

傾聴→リサーチ

会話→マーケティング

活性化→セールス

支援→サポート

開発→統合

となるものだ。
ソーシャルテクノロジーの活用においては、「リサーチ」は「傾聴」であり、「マーケティング」は「会話」となる。それはB2Bであっても、B2Cだっても、ソーシャルテクノロジーにおいては「人」と「人」との関係性に帰結するということを物語っている。「リサーチ」ではなく「傾聴」戸考えること、「セールス」ではなく「活性化」と考えること。この視点は単なる言葉の違いを超えて、非常に重要な観点だ。
企業やマーケターは、ついついグランズウェルにおいても、今までのマーケティングの手法や視点を持ち込んでしまいがちだ。しかし、それでは決してうまくいかない。今までのような「群集」や「マス」でなく、生身の血の通う一人ひとりの人間が相手なのだ、ということをしっかり肝に銘じておく必要がある。そのためにはこういった言葉のレベルでもその違いをきちんと理解して共有しておく必要がある。
本書にもグランズウェル戦略を始めるには「小さく始める」ことが大事だとある。こういう意識部分から始めて見るのも良いのではないか。

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スティーブン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」「イン・ザ・ペニー・アーケード」

4560071713たまには文学作品でも紹介しておこうと思う。

ビジネス書は仕事のために読んでるので、アウトプットすることでより深く吸収したいという思いもあるし、ブログを読んでる一部の社員にも面白い本や役立つ本に興味持ってもらえればなぁという思いもある。でも、文学は純粋な愉しみなので、あまりアウトプットしていこうという意欲が湧かないのだ。

しかしながら、僕が本当に好きなのは今も昔も、文学の方で、読書にあててる時間の大部分も文学のほうだ。あまりビジネス書ばかりに食らいついてると思われるのもなんか悲しいので、バランスとるために趣味のことも書いておこう。

去年末ぐらいにスティーブン・ミルハウザーの本を2冊読んだ。「マーティン・ドレスラーの夢」と「イン・ザ・ペニー・アーケード」という長編と短編集だ。最近はあまり現代の海外小説を読んでいなかったのだけれど、ミルハウザーには惹きこまれた。
先に、「マーティン・ドレスラーの夢」の方を読んで、その世界観に惹かれて、「イン・ザ・ペニー・アーケード」に手を伸ばしたのだけれど、このニ冊でも十分に僕はこの作家のファンになってしまった。(ということで、他の作品も翻訳されてるものは片っ端から手に入れたけど、まだ全部読めてない。)

ミルハウザーの作品の特徴。それは、誇大妄想的な箱庭的世界の実現への野心とその挫折がロマンテックに描かれるところだろう。この二冊。長編と何本かの短編作品を読む限りはそうじゃないかと思う。

「マーティン・ドレスラーの夢」は、20世紀初頭のニューヨークを舞台とした、いわゆる立身出世譚であり、ある種の時代作品、ゴシックロマン的なストーリー小説の体裁をとっている。その時代の生々しい生活や都市の発展の様子などが描かれ、リアリティが醸成されている。
しかし、中盤から後半にかけて、主人公ドレスラーが思い描く理想のホテルの妄想はどんどん膨らんでいき、それまで丹念に紡いできた物語としてのリアリティやロマンチックな世界観は、急激に誇大妄想の方向へ拡大していく。

ホテルそれ自体が一つの社会であり、世界であるような、すべてが内包されるホテル。ドレスラーはホテルの中に「世界」を実現しようと試みる。そんなものが実現可能なわけがないのだが、ドレスラーの野心は尽きることなく肥大化していく。
しかし、当然ながら、その野心や妄想は、一気に挫折して夢の泡と消える。

この肥大化・誇大化していく妄想やイメージの広がりと、その挫折、崩壊によるカタストロフィー。これこそがミルハウザーの魅力なのではないだろうか。(といって、二冊しか読んでないのに、ミルハウザー全体の魅力を語ろうとしていることに無理があるけれど)
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こういった要素・モチーフは「イン・ザ・ペニー・アーケード」に納められている短編にも数多く登場する。

どのような動きをも精密に再現するからくり人形を創り上げようとする男たちを描く「アウグスト・エッシェンブルグ」や、細部にいたるまで情熱を込めて作られた雪の男、生命を吹き込まれたかのような配置される雪人間たちを描いた「雪人間」、遊園地のペニーアーケードの中の住人たちを描いた表題作「イン・ザ・ペニー・アーケード」など。

どの作品も箱庭的世界観がどんどん膨張していき、やがてそれらがリアリティを侵食し、物語全体を包み込み、最終的には「崩壊」や「挫折」に帰着していくというパターンをとっている。

イメージの魔術師という異名の通り、一度、肥大化の様相を見せた妄想は止まるところを知らず、尽きることないイメージが怒涛のように押し寄せる。よもやそこにはリアリティとはかけ離れた物語的な虚構世界が展開されるのだけれど、そこには下品さはなく、それが当然のことのように描かれる。その世界では、それが不思議と成立してしまうような磁場が働いている。

ゴシックロマン小説とマジックリアリズムを足して割ったような世界というべきだろうか。ちょっと不思議な感覚で、こういう世界が好きな人はたぶん、とことん好きになりそうな世界だと思う。

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