2005年04月25日

しつけの問題

岸田秀は「しつけの問題」(『続・ものぐさ精神分析)』というコラムのなかで、次のようなことを言っている。

要するに、親は、自分の感性、人格、器量、徳性などの程度以上のしつけを子どもに与えることはできないのである。子供は粘土ではないのだから、誰か専門家に「正しいしつけ方」を教わって、その通り実行すれば、「理想的な」子どもができあがるというわけにはいかないのである。もし親が「正しいしつけ方」とやらを学んで、自分の程度以上のしつけを子供に与えようとすれば、前述の母親のように子供を表裏ある人間にし、かえってよくない結果を招く。
絶望的なことを言うようだが、もし親が子どもを人格的に程度の高い人間に育てたいと思うならどうあがいてみても、まず親自身がおのれの人格を高める以外に方法はない。世の中には虫のいい親がいて、子どもを親の思い通りになる「親孝行者」に育てようとしたりするが、そのような育てられ方をされた子どもは、子どものためを考えずに親の都合のいいように子どもを利己的に利用しようとしたその親そっくりそのままに、親のためなんか考えず親を利用しようとしかしない利己的な子どもに育つであろう。

子供をどのように育てたらよいかわからない親が育児学の専門家や専門書に助けをもらって、「理想のしつけ」をしようと試みるのは、子どもを条件付けできる存在として見なすことであり、それは「子どもが主体性のない機械的反応体で、親との情緒的コミュニケーションがいっさい欠けているという前提に立」たなければ成立しないと言う。

さて、この文書を「親」を「上司」、子どもを「部下」あるいは「親」を「会社」、子どもを「その社員」と変えて読んでみよう。「しつけ」を「教育」や「育成」という言葉に代えてもいいだろう。

最後のくだりなんかはドキっとする。

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categories [ マネイジメント ] 2005/04/25 02:02