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2006年11月04日

小津「晩春」

昨日は久々にS氏、H氏と新宿へ。H氏オススメのもつ鍋屋で舌鼓を打ち、定番のカラオケ。結局、始発まで。後半はいつも通りS氏の独演会となった。
少し寝て、近くの東京農大の学園祭にぶらりと行ってみた。なんでも出店数が日本で一番多い学園祭だそうだ。子供から大人、おじいちゃんおばあちゃんまで、えらく幅広い年齢層の人たちが訪れるちょっと他の大学の毛色の違う学園祭だ。

晩春
晩春小津安二郎 笠智衆

松竹 1991-05-29
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おすすめ平均 star
star『東京物語』なんか比にならないね。
star父娘の情愛と別離。究極の表現。
star怪作!

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帰ってから久々に小津の「晩春」を観た。「晩春」は小津の戦後初作品だ。その後の「麦秋」「東京物語」という三部作に連なる記念碑的な第一作とも言える。

ボクは一時期、小津にどっぷりはまっていたことがあり、小津が戦後撮った映画はおそらくすべて観てるのだけど、やはり「晩春」が一番好きかも知れない。

小津映画に初起用されたヒロイン原節子の美しさにはほんと息を呑む。ちょっと現実離れしてるのだが、なぜか小津のフレームに納まると、庶民の生活の中に溶け込んでいく。ちっとも違和感がないのが不思議だ。

能を観た帰り道、並んで歩く父と娘。能で見かけた父となにやら関係のありそうな女性を見かけ気になる娘。周りから執拗に結婚を促されながら娘は父が気がかりで、出来ることならこのまま父と暮らしていきたい。そんな娘の気持ちを知ってか知らずか淡々と歩く父。少し拗ねて娘は「寄り道して帰る」と、父を追い越し、父を置いて早足で道を渡っていく。その後、歩く父の背中がインサートされる。その背中の寂しさたるや。

そして最後。娘を送り出し、独りで家に帰ってきた父がリンゴの皮を剥く。そして静かに肩を落とす。自分を心配して結婚に行けない娘についた父の一世一代の嘘。あのシーンを思い出して思わず泣きそうになる。父を問いつめる娘に、ただ木訥に頷く父。あの時の父の気持ち、つらさがここになりじわっとこみ上げてくる。

小津映画の魅力はなんといっても映画技法的なものを駆使した感情の揺れ動きや高まりを演出しないことかもしれない。過剰な演出がないからこそ登場人物達のふとした仕草や表情が大きな意味を持つ。
盛り上げようと思えばいくらでも盛り上げ、泣かす演出に走れようものの、小津はあえてそれをしない。ただそこに流れる時間をしっかりと刻むかのように固定の低位置カメラは留まる。登場人物達の会話シーンなどでもそうだ。通常ならAとBが会話していることを演出するならどちかを中心より右位置へ、どちらかを左位置に配置して絵をつないでいく。
会話のテンポをとるためにAが話し終わる最後にBの聞いている顔に切り替わり、Bの会話が始まる。しかし、小津は一切そういった当たり前の演出をとらず、ほぼ正面からバカ正直とも言えるような絵をつくる。それぞれの会話が終わるまでカメラはその人物を捉え、一瞬の間が入り、聞き手(次の話し手)に切り替わる。
そこに小津独特のテンポというか間合いが生まれている。このテンポがなければ父が娘につくあの嘘のシーンのリアリティは生まれてこないだろう。

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2006/11/04 21:28

2006年05月15日

間宮兄弟

土曜日に恵比寿に「間宮兄弟」を観に行った。
17時25分の回だったのだが、上映終了後に「間宮兄弟」の兄役、佐々木蔵之介さんが現れた。
池袋で舞台挨拶をしてて、本来はこちらでの予定はなかったのだが、雨なのに満員ということで急遽池袋から駆けつけてくれたらしい。びっくりだ。えらく気さくな方で、観客へのインタビューも舞台から自ら観客のところまで駆けつけてマイクを渡すというサービスぶり。ミーハーなボクとしては単純に嬉しい。

さて、「間宮兄弟」。
兄弟ではないけれど、ボクもつい最近まで同い歳の男と京都で同居生活を送っていた。結局、彼とは2年半一緒にボロ長屋で暮らしたことになる。大学のときも同じようなことはしていたが、三十路でこういうモラトリアム的生活ができたのは、とても面白かったし、たぶんもう二度とできないのだろうと思うと、すごく良い経験だったと思う。
そんな生活を少し感傷的に思い出す映画だった。

映画自体の出来は正直、題材としては別の監督が撮ったほうが面白くなったんじゃないかなぁという気はした。森田芳光さんは嫌いではないけれど、この手の題材はたとえば市川準だとまた全然違う映画になっていたかもしれない。

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2006/05/15 09:02

2004年04月11日

ディボース・ショウ/「8つの感情」/「ブランドマーケティングの再創造」

コーエン兄弟の新作「ディボース・ショウ」を観た。やっぱりコーエン兄弟。安定感あるなぁ。面白い。でも、コーエン兄弟の映画ってなんであんな「変な顔」の人ばかりがでてくるのか....? 

そのまま四条界隈をぶらつき、

を購入。

「8つの感情」のほうは、「あのブランドばかり、なぜ選んでしまうのか――購買心理のエッセンス」に構成や展開がそっくり。と思ってたら、なーんだ、この著者二人は「あのブランドばかり、なぜ選んでしまうのか」の訳者なのね。「あのブランド~」の事例を日本の事例に変えた本という感じ。

ブランドマーケティングの再創造
J・N・キャップフェラー , 博報堂ブランドコンサルティング
価格 ¥ 2,100 [ 定価 ¥ 2,100]

「ブランドマーケティングの創造」はブランド理論の権威カプフェレ教授の日本初翻訳本。前半のポジショングとターゲティングを基礎とした製品ブランドから、信頼性や信用を重視するコーポレートブランド(傘ブランド)への流れ/融合の話は面白いんだけど、Part3の「ポスト広告時代のブランド」はなんか聞き飽きたという感じのことで、それがちょっと残念。
Part1~Part2を読んどこう。
あ、博報堂ブランドコンサルティングが監訳だったのかぁー。

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2004/04/11 18:49

2004年03月28日

えびボクサー

えびボクサー

えびボクサー

同居人が観たいと借りてきた.
しかし、この安易なタイトルは何なんでしょう^^;
同居人曰く「世界ウルルン滞在記」より感動できるらしい。
いくらなんでも設定に無理がないかこれ。なにも「えび」じゃなくてもと思ってしまうが...
いわゆる「ハートフルコメディ」なのか。
僕はもっとモンティパイソン風のコメディを期待していたのだが、「コメディ」よりは「ハートフル」のほうに重きがおかれてる。なのに「えび」ってところがシュールだ。そのへんも狙ってのことかな。

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2004/03/28 22:55

2004年02月22日

ライフ・イズ・ビューティフル

朝から天気が優れず、家でうだうだ。金曜日によもやかなり大きな仕事が決まったので、その仕事に関しての前調査など。

昼過ぎから「ライフ・イズ・ビューティフル」を観る。

ライフ・イズ・ビューティフル

ライフ・イズ・ビューティフル

観たい観たいと思いつつ観てなかった。ベニーニの映画だし面白くないわけない。やっぱり面白い。笑えて、泣けて、胸が苦しくなった。これぞ映画。

ベニーニ演じるグイドはナチスの強制収用所というおぞましい暴力が渦巻く「現実」から息子ジョズエを守るべく「これはゲームなんだよ」と虚構の力、言葉の力を与える。「1000点獲得すれば戦車がもらえる」というグイドが作り出した架空のゲームのなかで、ジョズエは父の言葉に励まされ、苦しい現実を生き抜く。
どんな苦しい現実でも明るく前向きに想像力を働かせれば、楽しくワクワクするものになる。グイドの陽気さと想像力がジョズエと妻を守り抜く。
最後まで苦しい姿を息子に見せず陽気に振舞い続けるベニーニの姿、そして訪れるあっけない幕切れ。この対比がより一層悲しさに深みを与える。
人はここまで明るく、そして懸命に想像力を働かせることができるだろうか。そして最後まで愛を守り通すことができるだろうか。

現実がつまらないとか、退屈だと嘆くなら、ぜひ観て欲しい1本。傑作。

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2004/02/22 18:43

2004年02月14日

岩井俊二「Love Letter」

Love Letter

Love Letter

フジテレビ系で岩井俊二の「Love Letter」を放送していたので、久しぶりに見た。
「Love Letter」は劇場でも3回観て、さらにビデオでも10回ぐらいは観ている。
絵コンテやサントラも持っていたりする。(岩井俊二のTVドラマや、映画に音楽を提供しているREMEDIOSの音楽はほんといい。)
一時期、熱烈な岩井俊二ファンだったのだ。

岩井俊二の映像をはじめて見たのは、関西だけで深夜放送してた「ドラマDOS」で放送された「見知らぬ我が子」という短編ドラマだった。これはかなり衝撃的だった。「ドラマDOS」は、新人映像作家の短編ドラマを放送する番組で好きだったのだけど、他の作品とは明らかにレベルが違う、その作品にあー、すごい新人だなぁと感じたことを覚えている。

その次に観たのは「夏至物語」だ。「夏至物語」を観て、「見知らぬわが子」の監督と同じということはスグに気づいた。やはり映像のセンスはずば抜けていた。
この頃から、ボクは岩井俊二という名前を覚え、徐々にその映像に興味を抱きはじめる。調べてみると、プロモーションビデオやCMもいろいろと手掛けているといことでそれらを手に入れた。
この頃、東京では「La Cuisine」という枠で「オムレツ」や「ゴーストスープ」などが放送されていたけれど、ボクは京都にいたためチェックできていなかった。

ボクの中で岩井俊二が決定的になったのは、「ifもしも、打上げ花火 上から見るか? 横から見るか?」を観た時。これにはほんとやられたと思った。ボクは8mm映画を撮っていたのだけれど、いつか相米監督の「台風クラブ」のような映画を小学生を主人公にして撮るってのが夢だった。「打上げ花火」はまさに小学生版「台風クラブ」。ボクがやりたいなぁと思っていた世界そのものだったのだ。
TVドラマとは思えない映像の美しさ、細かいカット割り、実に自然な子供達の表情、会話。人気のない病院の受付で「すいません」と言うときに声が裏返ってしまうユウスケ。夜の小学校、プールに忍び込んだ「ナズナ」が言う「墨守みたい」というぶっきらぼうのセリフ。「もうすぐ二学期だね。楽しみだね」と、もう会えないことをわかりつつ笑顔を見せるナズナ..
あげていけばキリがないぐらい好きなシーンがある。
「ifもしも」という番組が定めたルールをほとんど無視するかのようなストーリー展開も魅力的だ。

「打ち上げ花火」で完全に岩井俊二の虜にされてしまった僕は、本格的に岩井俊二の手掛けた映像の収集を始めた。「La Cuisine」で放送されたものもネットなどで知り合ったファンを通じてダビングしてもらったり、「ドラマDOS」で放送されて見逃していた「殺しに来た男」も手に入れた。手掛けたプロモーションビデオや、TVCMもほぼすべて持っている。

久しぶりに見た「Love Letter」もやっぱりよかった。泣ける。

愛するということは、その人の固有性を愛することだ。固有性はいくら言葉を重ねても決して「つかめない」。「趣味が合うから」「顔がタイプだから」「優しいから」...  言葉でどれだけ説明したところで、その人の固有性・此性を捉えることはできない。愛するということは、その人以外の何ものでもない、取替えのきかない此性を愛することだ。
柏原崇演ずる藤井樹が、同姓同名の藤井樹の名前を図書カードに書いていく。これこそ愛そのものじゃないだろうか。「名前=固有名詞」は、「此性」そのものだからだ。しかし、「藤井樹」は二人いる。自分とまったく同じ名前を持った人を愛してしまった幸運と不幸。

藤井樹(女)と渡辺博子(共に中山美穂)
と藤井樹(男)と藤井樹(女)(同姓同名)

という二つのシンメトリー。渡辺博子⇔藤井樹(男)の恋は、藤井樹(男)の「死」によって挫折し、藤井樹(男)→藤井樹(女)への恋も、「同姓同名」という「不幸」によって挫折する。ある意味、藤井樹(男)は、二度も「同じ女性」への恋に挫折しているのだ。

映画では、中山美穂演じる藤井樹(女)が過去を振り返えることで、自分のなかでは不幸以外のなにものでもなかった同姓同名の藤井樹(男)との思い出を再構築していく。そう。時を経てようやく藤井樹(男)の恋は、藤井樹(女)に届いたのだ。しかし、すでにその時、藤井樹(男)はこの世にいない。なんという悲しさだろう。
(こういう見方をすると、渡辺博子は、藤井樹(女)に似ていたからだけで愛されていた不幸な女性のようになってしまうなぁ....)

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2004/02/14 23:46

2003年12月02日

ノー・マンズ・ランド

ノー・マンズ・ランド

ノー・マンズ・ランド

あんまり期待してたなかったけどオンラインDVDレンタルで、リストに入れてたみたいで届いた。見てびっくり。セルビアとボスニア・ヘルツェコビナの内戦の映画というと、あぁまたかと思いがちだけれども、ここまでシンプルなストーリーと限定された状況だけでよくこれだけ面白い映画が撮れたなぁ。まったく。

無用なものをそぎ落としただけに、余計に民族問題の根深さとか、複雑な状況が浮かび上がってくる。観たあとにえらく考えさせられる映画だ。(といっても、ボクはこのあたりの民族問題について知識がないので、考えることもないのだけれど)

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2003/12/02 00:20

2003年11月02日

死ぬまでにしたい10のこと

死ぬまでにしたい10のこと

余命2ヶ月と宣告されたら....
似たような状況設定の小説やテレビドラマ、映画は今までにもいくつもあった
だろう。
極めてドラマチックな設定にもかかわらず、それはいつでも自分にも起きえる状況なだけに、観る人をドラマに引き込ませる。

ところが、ドラマを構成しやすいテーマだけに、それが仇となり、まるで嘘っぽくなってしまうという危険性も持ち合わせているわけだ。
この手のストーリーは、劇的にしようと思えばいくらでも劇的になってしまうだけに、ストーリーの作り手が自制を効かせなければ、どうしようもない話へと転がり落ちてしまう。例えば、余命宣告された主人公が自暴自棄になったり、そういった自分への葛藤を抱えながら、周りの人間の助けなども借りて、生きるということの実感を最後まで味わい、そして周りの人間も「生」にたいして、あらためて考えさせられる、というような話だ。どこかで読んだり、観たりしてないだろうか?

この映画の場合は、映画の時間では、医師と余命宣告を受けた本人アン以外は、最後までそのことを知らないでいる。そのため、周りの人間と主人公とがぶつかったり、葛藤したりということがない。周りの人間から見れば、アンはそれまでと変わらず普通なのだ。ただ、観ている側では、アンの境遇を知っているため、子供たちを抱きしめ「愛している」囁くアンの姿や、旦那とは違う男性と抱擁する姿に哀しさがこみあげてくる。
演出として哀しさを意図的に醸し出したり、劇的な状況をつくらないだけに、何気ない日常が、いとおしく美しく映るのだ。

役者達もすばらしかった。
アン役を演じたサラ・ボーリーはほんと良い役者だと思った。また、アンの隣人として、アンが自分が死んでしまった後に、子供達のお母さんになって欲しいと願う同名の「アン」を演じたレオノール・ワトリングも良かった。

関係ないが、
「八月のクリスマス」でも、主人公が自分が死ぬということを理解しつつ、日々を大事に過ごしていく主人公が描かれていた。「八月のクリスマス」でも、ドラマをあえて盛り上げず、たんたんと描くことで、すべてのシーンが愛しく観えた。こちらも傑作。

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2003/11/02 00:07

2003年10月26日

キルビル/ボーリング・フォー・コロンバイン

タランティーノ久々の新作「キルビル」
すでに乗り遅れた感があるものの、とりあえず観ておかねばと、「ボーリング・フォー・コロンバイン」を観る。

ボウリング・フォー・コロンバイン

ボウリング・フォー・コロンバイン

いやはや「キルビル」。
タランティーノは本来、B級映画監督だと思う。
そして、B級のかっこよさというか、そういうものを追求するところにタランティーノらしさがあるのではないかと思うのだけれど、この「キルビル」に関しては、B級以下だ。
なにもかもが中途半端だ。もちろんA級を期待して観に行くと、途中で席を立ちたくなるかもしれない。キルビルを観てから座頭一を観れば、座頭一の殺陣が凄いと感じるだろう。
ユマ・サーマンの立ち回りは素人目に見ても、馬鹿にしている。その素人くささというか、馬鹿っぽさを「売り」にしているのかというとそういうわけでもなく、中途半端に「本物」を目指そうとしてしまうから、こんな消化不良の映画になってしまうのではないか。「少林サッカー」を目指すのか、「座頭一」を目指すのか、はっきりさせるべきだろう。

栗山千明はよかったけどね。

「ボーリング・フォー・コロンバイン」については、観る前にあまりにも情報を多く得すぎてしまったので、特に驚きはなかった。しかし、アメリカの闇というか病を、アメリカ人自身が告発し、それを映画というメディアをつかって、世界に語るというのは凄いことだと思う。
チョムスキーも語ってるように、やはりアメリカでは、卑屈なぐらいメディアはコントロールされきっている。

しかし、チャールストン・ヘストンの馬鹿さに比べ、マリリン・マンソンの頭のよさというか、考えの深さというか、そういうものが浮き彫りになっていて面白かったな。

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2003/10/26 00:25

2001年10月21日

オー・ブラザー

オー・ブラザー!

オー・ブラザー!

昨日は、コーエン兄弟の新作「オー・ブラザー」を観てきた。
コーエン兄弟の映画はなんといっても登場人物たちの「顔」を見なくてはならない。どう考えても変な顔ばかり。ドリフじゃないんだから。ストーリーはいつもと同じくおそろしくみみっちくそしてどうでもいい。なのに凝りに凝りまくったディティール。で、どこかみんなずれてる登場人物。学生映画的なノリを残しつつ、学生映画じゃとてもじゃないけどできないような緻密な計算に基づいた構成。たんに凝ったアングルや編集だけで人を惑わすのではなく、映画全体の雰囲気やトーンを守るための徹底したこだわり。これぞ職人という感じだ。
コーエン兄弟の映画を見ると、なんとこう幸せになることか。

その勢いで、「ハンニバル」と「バトルロワイヤル」のビデオを借りた。どうしようもない。「ハンニバル」は「羊たちの沈黙」のよいところをすべてそぎ落としてしまった駄作だと思う。これが面白いというやつの気がしれん。
「バトルロワイヤル」は期待はしてなかったが、予想とおりというか。おそらく数ヶ月後には、観たことさえも忘れてしまうような映画かもしれない。映画じゃなくてもいいじゃないかとも思った。

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2001/10/21 21:53

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