ホーム > 雑文

2006年10月22日

本のページを開いたまま固定する

ITmediaのこの記事を読んで思わず購入。これはかなり便利じゃないでしょうか。


厚みのある本でも押さえられるクリップ



img1062177056.jpeg

[ Permalink | TrackBack (0) ]

2006/10/22 23:00

2006年01月14日

京商、ヒルズに新業態「ラジコンバー」-ミニサーキットも

シブヤ経済新聞 - 広域渋谷圏のビジネス&カルチャーニュース - 京商、ヒルズに新業態「ラジコンバー」-ミニサーキットも

ラジコン製品の製造・販売を手掛ける京商(厚木市)は2月11日、同日開業する複合施設「表参道ヒルズ」本館地下3階に同社初の旗艦店となるR/Cサーキットバー「KYOSHO OMOTESANDO」(TEL 03-5785-0280)を開業する。

かなり気になる。ラジコンは定期的に買いたい熱がもりあがってくるのだけれど、買う間際になると、でも一人で遊んでもなーと躊躇してしまう。こういう形態のお店ができたら、ラジコンに興味ない人でも、とりあえず新しい遊びの一形態として、買ってみよっかという人も増えるんじゃないだろうか。
京商は、小学校時代からあこがれのメーカーだ。田宮のモデルより洗練されていて、軽くて、早い。小学校時代はスコーピオンが最も好きなラジコンカーだった。
最近も、ミニッツシリーズはかなり欲しい。ミニッツだったら手軽だし。でも京商らしい凝ったつくりになってるし。社員の誰か買ってくれないかなぁー。みんな買ってレースしようぜー。
ちなみに、随分前から、ボクはミニッツタイムという、ミニッツシリーズのブランディング&ファンサイトが大好きだ。すごく良くできたサイトで、このサイトを見るたびにミニッツを買いたくなる。ミニッツシリーズで、ぜひローバーのMINIを出して欲しいものだ。そしてら絶対買うのだけどなぁ。

ちなみに、ミニッツシリーズやラジコンは以前紹介したけど、こちらのショップがいい。
すごく説明が親切だし、気が利いている。

ラジコンカー専門店レインボー

[ Permalink | Comments (2) | TrackBack (0) ]

2006/01/14 20:27

2004年06月01日

家に帰ってから。英語学習

久々の更新。
特に忙しかったというわけではなかったのだけれど、自宅に帰ってからの英語の勉強時間を少し大目にとるようにしたってこともあって、なかなかまとまった文章を書く気になれなかった。「大目にとる」ったって元々が20分とか30分ぐらいだったんでしれた時間だ。
英語の勉強は毎年毎年3月、4月はやる気まんまんで望むのだけれど、ゴールデンウィーク明けにはすっかり萎えてるということを繰り返してきた。ところが今年はGW明け以降むしろ時間を多くとるようになり、且つ1日も休んでない。我ながらすごいなぁと思う。フランクリン・プランナーを使うようになったってことも影響しているんだろうけど、結局は気分の問題だろう。やり続けてたら、やらない日があるのが気持ち悪くなる。それだけだ。

今はだいたい1時間~1時間30を英語学習にあててる。たいしたことはやってない。精読(聴いて書き取る/書き取れなかったところをチェックする、その後はシャドーイング)と単語覚えることをやってるぐらい。精読したものはほとんど最終的には丸暗記する。

こんなことで英語のレベルがあがるのかどうか疑問だが、あまり難しいことやってもどうせできないので出来るレベルでやるしかない。
ただ「聞き流すだけ」とか「英語のシャワーを浴びる」とか、そういうものって僕はあまり信用してない。たくさん聴けばわかるようになるってのはうそじゃないだろうか。子供が言語を覚えるときのたとえがよくでてくるけども、すべての環境がその言語でできあがってる世界に身を投げ出されていることと、ほとんど日常では使わない言語を新しく覚えようというのでは、まったく違うものじゃないかと思うのだ。もちろんたくさん聴くに越したことはないだろうけど、幼児や子供が言語を覚えていく過程と決定的に違うのは、多分、その言語のなかでしか思考できない状況でその言語を大量に浴びているかどうかというところじゃないかという気がする。
普段の思考が英語で、見るもの聴くものほとんど英語で、否応なく英語内での考えることを強いられないと、ただ聴いているだけでは本当に理解できるようにはならんのじゃないかと思う。

だからといって精読が良いのかどうかはわからないけど。

帰宅後のスケジュールってのはいつも決まっている。早く帰ろうが遅く帰ろうが30分~1時間は同居人と話したりしながら、プロ野球ニュースやらとりあえずテレビを見る。あるいは掃除、猫と遊ぶいずれか。その後、英語をやる。終わったらインターネット。ほとんど趣味に近いものだけど、ニュースやらブログやらのチェックをして、蒲団に入る。あとは1時間本を読んで寝る。これでちょうど2時か3時ぐらいになるという感じだ。
朝は6時30にきっかり起きる。うちの家には「爆弾」と呼ばれるおそろしい音を鳴らす目覚まし時計がある。この目覚まし時計で起きないやつはまずいない。取扱説明書にも耳元で絶対に馴らさないで下さいと書かれてるぐらいだ。僕はそれを耳元において寝ている。ほんとに恐怖心でたいてい鳴る前に起きる。なので、寝坊するとしたら「爆弾」を止めたことに安心してそのまま二度寝に入ってしまうときぐらいだ。その後、風呂入る。30分英語の勉強してから出勤。こんな感じだ。

あ、6月1日からなんと町内の地蔵さんの掃除係りになってしまった。朝晩水をかえたり、掃除したり花を変えたりしなきゃならん。1ヶ月間。面倒くさいー。朝と夜の予定の6月は「お地蔵さんの掃除」というタスクが加わることになる。下町に住むとこういうことがあるんで辛いなぁ。

[ Permalink | Comments (1) | TrackBack (1) ]

2004/06/01 20:31

2001年09月09日

目には目を、歯には歯を

随分昔に書いた文章その
今後、ちょっとずつ、いろんなウェブサイトに分散していたものをこちらで一元管理するつもり。で、こんな駄文も。

目には目を、歯には歯を

「目には目を、歯には歯を」なんておそろしい言葉だなぁとふと思う。この言葉はハンムラビ法典の196条と200条に由来している。

「もしある市民が、他の市民の目をつぶすならば、彼の目をつぶさなければならない」(196条)

「もしある市民が、彼に対等の市民の歯を打ち折るならば、彼の歯を打ち折らなければならない」(200条)

#もちろんちゃんと調べたわけではないので、ほんとにそうかどうかはとり
#あえず責任はもてない。

しかし同じような意味の法令を2つも用意するなんて、よっぽどこいつらは復讐心の強いやつだったのだろう。196条と200条の間の3つの条項も気になるところだ。
でも、今回はそんなことを調べるためにこんな話を持ち出したわけでもないので、あとは自分で調べて頂きたい。

「目には目を、歯には歯を」を下敷きにして、さてさて、ここで言う、前者の「目」あるいは「歯」と、後者の「目」「歯」のどっちが辛いかってことを問題としたい。
精神的には当然前者だろうが、あくまでも肉体的な痛みとしてなら、これはもう確実に後者に違いあるまい。
おそらく前者の「目」が潰されたり、「歯」が折られたりしたときってのはまさか自分がそんな目に遭遇するなんて思ってなかったりすることが殆どなのではないか。知らぬうちにそうなったときとも痛みは同じようなもんだろうが、

骨を折ったり、
爪を剥いだり、
完全に乾燥しきっていないカサブタをむいたり、
弁慶の泣所で思いっきり金属バットを蹴ってみたり、
瞼と眼球の間に針を刺し込んだり


なんてことを「意識的」にやったりするぐらい強靭な精神を持った人間なんてそうそうはいないだろうが、そういう目にあってしまって、痛くて痛くてたまらない状態を耐え抜く人は、過去には居たに違いない。
何を言いたいのかよくわからんが、まぁ、自分で自分の腹を切った日本人ってのはすげぇなぁーと思う。

んでもって、Aさんに目を潰されたり、歯を折られたりしたBさんは、その仕返しにAさんの目を潰したり、歯を折ったりするわけだけども、そのときの Aさんの恐怖足るや想像を越えるものがあるなぁと思うのだ。

"そうなる"と分かっていながら抗えない
ということの精神的な辛さとは想像以上のもんだろう。

大学の時、毎日20時間ぐらい寝ているC山という男がいた。
この男、Dというやつのマンションに居候して、いつのまにかDの寝床のベッドを占拠してしまった。ほとんど大学にも行ってなかったC山は、ベッドの上でほぼすべての生活をすませていた。便所と飯に行く以外はずっとごろごろである。

その日は、僕もDの部屋でごろごろしてたのだが、いつものようにベッドはC山が占拠していた。
そのC山の寝姿があまりにも気持ちよさそなので、ちょっと悪戯がしたくなった。

寝ているときのC山の寝息は比較的ストロークの長いもので、大きく息を吸って....深呼吸みたいな感じなのだ。そのストロークで、C山の鼻は大きく開いたり、閉じたりする。
息を吸う-鼻が開く。息を吐く-鼻を閉じる。この繰り返し。僕も暇人で、しばらくその見事の鼻穴の開閉めをしげしげと眺めていたのだが、ふと手にしていたタバコを見てひらめいた。

タバコの先には、今にも落ちそうな火種の塊が赤々と燃えている。
線香花火の最後を思わせるような微妙なバランスを保っていた。

うーむ。どうしても試してみたい。

一度湧き上がった欲望を抑えきれることなく、僕はそーっとそのタバコを C山の鼻に近づけていった。

そう。大きく息を吸い込むタイミングで、この火種が吸い込まれていく様が見たかったのだ。ほら掃除機とかかけているときに、ちょっとしたゴミが、吸引機にするすると吸い込まれていく様って、なんかうれしくないですかね?
(僕だけか?)

途中で火種が落ちてしまっては元も弧もない。
熱湯をなみなみと注ぎすぎてしまったカップヌードルをこぼさぬようこぼさぬよう運ぶときと同じぐらいの慎重さで、火種をC山の鼻に近づける。

その瞬間である。

まるでスローモーションを見ているようだった。

C山が大きく息をすったその瞬間に、ほんとに火種がすっと鼻の穴に吸い込まれていったのだ。感激! まだまだ燃え盛りの火種?は、C山のちょっと大き目の鼻穴に吸い込まれた。

それから1秒か2秒だろうか。

一瞬時間がとまったかのうような瞬間だった。
あまりにも完璧なその光景を見てしまった僕といえば、もう完全に思考停止である。

いきなりC山が飛んだのだ。
ほんとに飛んだと思うぐらい。飛び起きたのだけど、これまた今まで見たことのない飛び起き方で、ほとんど空中浮遊である。麻原もびっくりだろう。

ウ■ぎゃ◎×?あ2▽×ia$%ai

C山は言葉にならない叫び声をあげた。

C山にしても青天の霹靂。何が起きたのかわからず、この男にしてみればえらく動揺している。

「いたたたったたた。なんじゃぁーこりゃ」

どうやら鼻に問題ありとわかったC山。既に火種は飛び起きた勢いで鼻からは転がり落ちて、若干の灰がベッドを汚す程度だった。 C山は鼻に指をつっこんで、、、、、、

「うわーーーー。鼻毛がないぞーーー」

というような事件の顛末なのだが。この後がたいへんだった。

こんな仕打ちされたら、誰だって怒る。
でもC山は怒らないやつなのだ。怒らないとわかっていたからこそこんなことができたのだが。

C山はとにかく自分にもやらせてくれ!とせがむのだ。
僕がその光景がまるで天国かと思えるぐらい見事だったことを、口八丁手八丁で説明すると、
「俺も見たいっちゃ、見たいっちゃ」
「おまえ、早く寝ろ。寝ろ。寝ろ。俺、やりたい。やらせて」
「あ、じゃぁ別にほんとに寝なくてもいいっちゃ。寝ているフリしてくれ。お願い。でも、大きく息を吸いこんで吐いてを繰り返さないと駄目っちゃ。」
あれだけの仕打ちをうけていながら、なぜかお願いモードのC山。あほだ。

うーむ。「目には目を、歯には歯を」である。
C山の場合、復讐心というよりは興味本位なのだが....

C山の場合、寝ていて意識してないからいいのだ。やられるとわかってて寝られるわけがない。

それ以降、僕はC山の前で寝顔を晒していない.....

[ Permalink ]

2001/09/09 02:51

1998年02月02日

親父の本分

はちゃめちゃな親父である。無鉄砲を絵に描いたような男で、思い込みが激しく、こうだと思えば、何でもかんでもすぐに実行にうつしてしまう。そういう性格はいい方面に作用すれば、人をひっぱる力を持った、指導者タイプの人間として崇められるのかもしれないが、時として、常人では想像もつかないような勘違いや失敗をやらかす。

親父は水虫持ちなのだが、僕が小学校の頃は、水虫なんてのは黴菌なんだから、これ吹きかけときゃ治る!と殺虫剤を患部に噴射しては、その痛みこそが水虫に効くのだと言い張っていた。その頃、わが家には水虫を持っていたものがいなかったのと、だれも水虫についての詳しい知識を持ち合わせていなかったことが災いして、しばらくの間誰もその行為をとめようとはしなかった。もちろん殺虫剤を用いるたびに患部は炎症のようなものをおこし、その症状は誰がみても悪化してるようにしか見えなかったのだが、ときにあまりに炎症がひどくなり、患部がかさぶたになってしまうことがあった。親父にしてみれば、それは殺虫剤によって菌が死んだということだったらく、どの殺虫剤はよいだの、あれはダメだのと批評までしていた。まったく呆れる。

また、ほんの少しだが、過って工業用カッターで腕を切ってしまったことがあった。少しとはいっても工業用カッターである。どうみても7、8針は縫わなければならないような怪我だった。普通の人間なら、人に言われなくとも、自分から病院に足を向けるものだろう。ところが、親父は何を思ったのか、母に「縫い針と、細い糸もってこい」と命令した。御察しの通り、自分で傷を縫い付けるつもりだったのである。しかも縫い針と普通の糸で。さらにには、普通の絹糸だと弱いから、釣り糸のほうがいいんじゃないかとまで言い出し、消毒代わりに針をライターであぶっては、ほんとに自分で縫合しようとした。この時は、母とそのとき一緒にいた社員数人によってとめられて、なんとか病院で縫合してもらうこととなったのだが、もし一人のときだったら、ほんとにやっていただろう。おそろしい男である。

親父が言うには、「戦争にいったら、そんなもん、全部自分でするもんや」とのことらしい。なんでわざわざ戦争にいっときのことを想定しなきゃならないのか、その理由はまったくもって不明である。もちろん親父は戦争に行っていない。

しかしただの馬鹿ではない。親父は自営業を営んでいるが、僕が子供の頃はほんと父ちゃん、母ちゃん企業で、小さな小さな会社だった。それがいつのまにか社員何十人をかかえるまでになってしまった。中小企業なんやらかんやらからの中小企業診断で1位をもらったりもしたらしい。えらいもんだ。社長というのは、これぐらい無邪気で、ある意味大胆なところを持ってなきゃならんのだろう。

こんな親父を見ていると、僕にはとうてい社長などというポストは勤まりそうにもないと痛感する。

[ Permalink ]

1998/02/02 02:12