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2007年03月11日

ピクショナリーを手に入れたのだ。

念願だったピクショナリーをようやく手にした。
オークションなどで時折出品されるものの、いつも競り落とされていた。
商品も無事届いたのが、中身はほぼ新品。

ピクショナリー

ピクショナリーというゲームはご存知だろうか。
二人一組になって、与えらるお題を一人が絵にする。もう1人がそれを当てる。実にシンプルなゲームだ。
面白いのはそのお題だ。なかなか絵に表現しにくいものがでる。例えば「たぐる」だとか、「クリントン大統領」だとか「川の流れのように」だとか。これをいかにして絵だけで伝えるか。

このゲームをやってると本当に象形文字ができてきた過程を考えさせられる時がある。
絵のうまい下手ではなく、いかにその特徴的ところを伝えられるか、あるいは連想させるものを描けるか。
しゃべったり、文字を書かなければ何を描いても良いので、例えば、言葉を分解して、その一文字一文字を絵にして伝えていく方法もとれる。例えば、「か」なら「蚊」の絵、「ち」なら「血」の絵といった具合だ。

このゲームは友達が持っていて何度かやったのだが、これほど盛り上がるゲームはない。
大の大人が必死になって大笑いできる希有なゲームなのだ。麻雀以外で、ひたすらゲームだけで徹夜したボードゲームはピクショナリーぐらいなものだ。

このゲームの日本版は、セガが発売していたのだが、ゲームの権利を持つている大元の会社がつぶれたとかなんとかで、日本版も絶版。今や手に入れるのはかなり困難な状況になってしまった。

密かに人気があるゲームだっただけに、オークションでもかなり高額での取引になる。
今回ボクがいくらで手にいれたのかはあえて書かないが、しかしボードゲームとしてはとんでもない金額であったことだけは伝えておこう。多分、金額を聞いたらバカじゃないの、と言う人数知れずだろう。

このゲームの思い出といえば、ボクと当時の同居人Kのコンビだろう。
このコンビの時は、他チームをよせつけぬような神業的な意思疎通がなされる。

あまりにも強すぎて、不正をしてるんではないかという疑いをもたれたり、ハンデの必要性が吟味されたほどだ。ボクも同居人も他の人とのペアの時はそれほどでもないのだが、二人で組むと、なぜか異常によくわかる。数本の線だけで答えがわかっていまったりするのだ。

先ほどの「川の流れのように」などは、10秒もかからずに答えを導いたし(この時はボクが絵を描き、同居人が答えてた) 「たぐる」にいたっては、田んぼの絵と某宗教法人の「グル」の絵で答えを導いた。「遠藤周作」は、海と毒が入ってそうな瓶の絵、そして目がバツになったハゲ男の顔の絵というこの3つから「海と毒薬」を連想し、そこから「遠藤周作」を導きだした。
他、チームには、その絵でなぜその答えが思いつくのかがさっぱりわからない。でもボクらにはわかるのだ。不思議だ。

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2007/03/11 15:25

2006年01月20日

タバコ買って来いって言っただろ!

朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)

「タバコ買って来いって言っただろ!」 魚買ってきた仲間を殺害
 京畿道坡州警察署は18日、「タバコを買って来るよう命じたところ、魚を買って来た」との理由から酒を飲んでいた仲間を殴り死亡させた容疑(暴行致死)でキム某(43/日雇い労働者)容疑者に対し、逮捕状を申請し

殺された方には申し訳ないけど、この記事には思わず吹き出してしまった。想像するだけで笑える。
まるでコントだ。朝鮮語では「タバコ」と「魚」の発音が似ているいるのだろうか。しかし、「魚」って... 買ってきたほうも「なんで魚なんだろう」と思わなかったのだろうか。
記事もよく読むとかなり突っ込みどころ満載だ。「警察は「キム容疑者が普段からパクさんを必要以上によく殴っていた」という周囲の証言から、偶発的犯行と見ている。」って、「必要以上によく殴っていた」って...必要範囲って何なのだ。記事タイトルからは中学や高校生の犯罪のように思えるが、実は45歳の日雇い労働者が、62歳の日雇い労働者を殺害したという事件。うーむ。

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2006/01/20 01:01

2006年01月04日

20Q

【即出荷可能】BANDAI[人工知能] 20Q(トゥエンティキュー)

飯を食いに行った帰りにジャパンに寄ってつい購入してしまった。
馬鹿にしてたが、これがなかなかすごい。
「いちご」や「バス」が当たったのは、少々驚きもしたが、まぁ当たるだろうという感じだが、「信号」が当たったときには、たまげた。さらに、子供なら誰もが手を出したくなる「う○こ」でやってみたら、ほぼ正解の答えが導き出されて、大笑い。
米国のものを日本語にローカライズすると正解率は4割程度だったそうで、正解率を上げるための回答データ集めにブログのクチコミが大きな役割をはたしたとか。(『「ソレハ イキモノ?」――ブログが鍛えた人工知能「20Q」』) そういえば、ボクもこのウェブのテスト版をやった覚えがあるぞ。
1人では面白くないが、数人でやると、ズバリの答えが表示されるときは、思わず笑ってしまう。暇つぶしにはもってこいの玩具だ。

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2006/01/04 17:01

2005年07月27日

階ごとの郵便番号

ついさっき知ったのだけど、高層ビルなどは、階ごとに郵便番号が割り当てられてることが多いのですな。全然知らなかった。こんなのは常識中の常識なのかもしれないが。恥ずかしながらボクは知りませんでした。高層ビルにオフィスを構えてりゃ知ってたのだろうが....

六本木ヒルズ

106-61XX で、「XX」に各階が割り当てられているわけね。100階以上ある建物はどうなるのだろうか。日本にはないのだろうが、台湾の台北101は、その名の通り101階建てだ。

階ごとに郵便番号を割り当てるかどうかというのは、どういう判断でなされてるのだろう。結構高いビルでも郵便番号が割り当てられていないビルもあるし。

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2005/07/27 14:33

2005年07月22日

想像力の磨耗

保坂和志『言葉の外へ』P.150 「想像力の磨耗」というコラムの一節。

考えるということは「答えること」ではない。考えるということは「疑問を出すこと」だ。考えることが「答えを出すこと」だと思っている大人は、すでにそれだけで学校教育の悪い面におかされている。答えが一つしかないと思っている人は、もっとひどくおかされている。

 疑問を出すことは答えることよりも難しい。たとえば、リンゴが落ちるのを見てニュートンは万有引力を発見したとされているけれど、発見つまり答えより先に、「何故落ちるのか?」という疑問があった。ニュートンは、「何故落ちるのか?」という疑問を出すことができた人だったのだ。

同じようなことをドラッカーも言ってた気がする。「正しい答えではなく、正しい問いが必要」みたいなことだ。「間違った問い」から得られる「正しい答え」ほどやっかいなものはないとかなんとか。

「最近の人」(なんて言うと年寄り臭いし、紋切り型だが)の傾向は、とにかく答えを知りたがる、ってことだろう。考える前に答えを求める。「答え」が既に存在しているという前提からスタートすることが多くて、「答え」を知らないから、問題が解けないと勘違いする。当たり前だけど「答え」を知らないから問題が解けないのではない。
「答え」を求めるってのが普通になると、なんでもかんでも「答え」を覚えようとする。「答え」ばっかり覚えたって意味がない。そんな「答え」など、質問が変われば変わってしまう。文脈が変われば変わってしまうのだ。

どんな業種でもそうだけど、WEBディレクターや、プロデューサーになりたいなら、安易に「答え」を求めるって姿勢は捨てるべきだ。むしろ、自ら「質問」する人を目指そう。

ある意味、早く「答え」に帰着させたいというのは、思考の放棄なのだ。

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2005/07/22 20:55