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2005年09月10日

迷ったら。

迷ったらとりあえず、すがるのはドラッカーだ。

ここ最近の忙しさですっかり忘れてた。
ドラッカーは言ってるじゃないか。

・過去ではなく未来を選ぶこと
・問題ではなく機会に焦点を合わせること

と。

問題ではなく機会に。忘れないように唱え続けないといけない。
今、そこにある問題は、未来のチャンスなのだ。

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2005/09/10 00:26

2005年07月20日

サイバーエージェントの「近距離手当」の目的

日本経済新聞「会社とは何か」より。

数年前から顕著になってきた傾向として会社に入っても短期間で退社していってしまうという現象。大卒者の二割が職に就かず、入社後三年で約三割が離職らしい。
若者が会社での自分の居場所、働く意義を見失いつつあることが原因だと言う。
最近の若者は所属する職場や集団を「ウチの会社」ではなく、「ウチら」と呼ぶそうだ。


こういった若者たちを取り込み、新しい連帯感の構築を目指す事例として、サイバーエージェント(CA)の「近距離手当」制度がとりあげられている。この制度は面白い。

ストックオプション目当てなどで集まった人材の流出に悩んでいたCAでは「組織力を高めるのは仲間意識」として、東京渋谷の本社から二駅圏内に住めば毎月三万円を補助する制度を導入した。これにより社員の四割が半径二キロのエリアに居住。もちろんこの制度だけが功を奏したわけではないだろうが、離職率は18%から8%に激減したそうな。

CAの離職率が8%というのは知らなかった。もっと高そうなイメージがあったのだけれどな。「近距離手当」がもたらしたものは、「ウチら」意識の強化だろう。この記事には「ウチら」を「仲間と共に働き、成長を実感できる場という意味が込められている」と分析している。職場から同僚がみな近いことにより、大学のサークルに近いノリが形成されるのだろうか。

社内の制度みたいなものはただつくれば良いというものではなく、その制度が人の考え方や働き方にどんな作用を与え、組織にどんな化学変化をもたらすのかという視点が必要だなと思う。ただ、今は人材の流出がどこも激しいので、ついつい「従業員満足度の向上」みたいなところばかりを目指した単なる「甘やかし」制度がつくられていき、失敗するのではないかと思う。CAの「近距離手当」は、ただ従業員の満足度をあげるという目的ではなく、その制度によって従業員の連帯感の醸成を見越しいるという意味では良い制度なのだろうと思う。

※従業員の満足度を上げる、という意味では、「マネジメントの正体」の一節『生産性が高まるから満足するのであって、その逆ではないらしい』をボクは信じている。制度としても生産性を高めてやること、大きな仕事に取り組め、責任を与えられること、そういう環境を生み出すのに役立つ制度を考えていきたいと思っている。

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2005/07/20 13:17

2005年07月18日

エレベーターピッチでは説明しきれないものを

エレベーターピッチなんてことをよく言われる。VCや投資家から投資を受けるためには、
エレベーターが目的の階に着くまでのわずかな時間でそのビジネスの魅力や優位性を伝えられなければならない、なんて意味だったかと思う。要は、自社の魅力は簡潔に簡単に伝えられるものでなければならないということだ。

ビジネスモデルの魅力や、技術的な優位性といったもので勝負するベンチャー企業や、それこそ最終目的をバイアウトにおいてる企業なら、エレベーターピッチは特に重要かもしれない。

しかし、ボク自身は企業の魅力や優位性みたいなものは簡単には語れない、説明できないところにこそ存在していると考えてる。簡単に言葉にできない、説明できないからこそ、「強い」「競合優位」だったりすることのほうが多いのではないかと思うのだ。そういう強みを持った会社というか組織のほうが、簡単にはへこたれないんじゃないか。説明しずらい領域ってのは、そのほとんどが「人」に依存するところだ。

例えば、サウスウェスト航空の強みは「旅客機の統一、不要な機内サービスの廃止、短距離輸送へのフォーカス、飛行機の陸上待機時間の短縮などを通じて徹底的な効率化をはかることで、格安運賃を実現する」ということにあるのではないのではないだろう。もちろんそういった「モデル」というのは重要だろうけれども、そんなものは他の航空会社だってやろうと思えばできる。サウスウェスト航空の強みは従業員の会社にたいしてのロイヤルティの高さや、仕事に対する熱意みたいな、非常に漠然としたものだ。そういう曖昧なものをベースとして、個々の業務がポーターの言い方を借りるならフィットしあっているということだ。そこに強みや優位性があるわけだ。そのベースがなければ、格安中距離路線モデルの成功はない。

でも、サウスウェスト航空の強みみたいなものって、たぶん「エレベーターピッチ」としては面白くないものなのだろう。「人」ってやつは損得だけでは動かないし、数学の方程式みたいにきちんと解があって、こうやぅてこうやったったらこうなる、みたいなことがない。会社のミッションに「従業員は協力、励ましあい...」みたいなことが掲げられていても、それが実践できるかどうかはまったく別の話だ。投資家などにとっては判断しにくい材料だろう。いくらそんなこと言われても、それが会社の成長や業績にどんな好影響を与えるのかということを数字として明確に説明できるものでもないし。

一時期ボクは、自社の強みを「低離職率であること」と説明していた。これもエレベーターピッチみたいなものだけれど、これは投資家や銀行の人には魅力的には映らなかったようだ。ボクは今でも、「低離職率、高いモチベーション、スタッフが仲が良い。強い団結心」こういうものががソリューションという非定型属人的業務には強みになるだろうと信じてはいる。最近こそ、人数が増えてしまったこともあるのか、入社する人、退社する人がもう今までとは考えられないペースで増えてるのは確かだ。それが慣れっこになってしまいつつある状況には多少の危機を感じてはいる。ただ、安易にモデルに乗っかかり、人のことを置き去りにして会社が発展していくような変なイメージを描いたりはしないぞ、とは心に誓っている。

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2005/07/18 14:03

2005年05月15日

図解・仕事術 最強の時間力―タイムマネジメントの法則60

図解・仕事術 最強の時間力―タイムマネジメントの法則60
4767803012行本 明説 日本タイムマネジメント普及協会

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star基本
starなかなか良い本だ
star直ぐに実践に移せる時間管理術の本

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これは良い本だ。なるほど、と発見がたくさんある。
明日からすぐに取り入れたり考え方、ツールがてんこ盛り。
単なる時間管理、マネジメントの手法を唱えるだけではなく、組織のあり方や、仕事の本質などをきわめてわかりやすく、論理的に説明している。

ビジネスマン、特にマネジャーやリーダーなどは必読である。

■「四つの時間」をコントロールする

仕事と時間の関係は、

・自分一人の仕事の「(a)はじめ」と「(b)終わり」
・他人と共同の仕事の「(c)はじめ」と「(d)終わり」

この四つに集約される。

この四つをコントロールすることがタイムマネジメントの第一歩とし、著者らが提唱するのは、(a)と(d)の二つの管理─つまり、自分一人の仕事のはじめ他人と共同の仕事の終わりだ。

(d)の管理というのはたとえば、相手からアポが入ったときに「10時から11時までの1時間ならOKです」というように、終わりの時間を決めることや、会議、ミーティングなどでも、開始よりも終わりの時間を参加者に意識させるということなどだ。

(a)を管理するには、「自分にアポイントを入れる」ことが必要だと言う。
著者は具体的に、

(1)自分一人でやる重要な仕事を
(2)4週間先まで
(3)スケジュール帳に記入する
(4)時間としては一日に1~2時間程度でOK!

と述べている。

自分にアポイントを入れる

少し話はそれるが本書のなかで、従来のタイムマネジメントが提唱してきた「緊急度:高い/低い」「重要度:高い/低い」という四象限マトリクスに業務を分けて、管理するという方法は失敗すると説明されている。

この四象限は、『「7つの習慣」の重要事項を優先する』にも出てくる重要な考え方だ。では、これは「7つの習慣」の考え方を否定しているのかというと、そういうわけではない。
「7つの習慣」でこの四象限が出てくるのは、あくまでも僕らの日常は「重要度高×緊急度高」「重要度低×緊急度高」の二つの領域の時間に大部分をとられてしまい、きわめて重要な「重要度高×緊急度低」項目が後回しにされていく、ということに警笛を鳴らしているだけだからだ。

ここで言う(a)のために「自分にアポイントを入れる」という考え方は、「7つの習慣」で言う「重要度高×緊急度低」事項を後回しにしないための一つのテクニックと考えて良いだろう。

なお、
本書では、「重要度」と「緊急度」のマトリクスではなく、
「イ.自分か、他人か」「ロ.今か、後か」という単純な組み合わせで考え、

A:今、自分がやる仕事
B:後で自分がやる仕事
C:他人でもいい仕事

さらに、突発的にやってくる仕事を「X業務」として、

AX:今、自分がやる仕事
BX:後で自分がやる仕事
CX:他人でもいい仕事

という6つの優先順位を設定して、Aランク(AもしくはAX)の仕事から着手することと説明している。


■「情報処理」と「業務処理」

仕事のためのスキルとは、大きく「情報処理」と「業務処理」にわかれる。

情報処理とは、「コミュニケーションの技術」「仕事の進め方の技術」であり、業務処理とは「仕事の進め方の技術」と「その分野の専門知識・技能」だ。

情報処理と業務処理の両方に共通する「仕事の進め方の技術」であり、これはある意味「タイムマネジメント」(=仕事の管理)なのだ。

つまり、仕事とは「コミュニケーションの技術」「仕事の進め方の技術」「その分野の専門知識・技能」という三つの技術、技能によって成立する。

個人と組織の関係を考えるとき、個人はこれら3つのスキルの修得に励み、組織は三つのスキルの環境整備とルールづくりに励む、という関係が相互補完をもたらす。

昨今、組織構造として「フラット型」か「ピラミッド型」かというような議論がなされるが、そのような議論は意味がなく、著者は、

・業務処理はピラミッド型
・情報処理はフラット型

として、組織は二つの組織構造を併せ持たなければならないと言う。
そして、「情報処理」は、バーチャルなもので十分としている。

このような組織を考えるとき、中間管理職(リーダー)は、「個人とバーチャルである組織の接点」「業務処理と情報処理の接点」となる接着剤のような存在であり、不必要どころか、きわめて重要な役割となる。

このような架け橋を演じる中間管理職に必要なのは、業務処理、情報処理に共通するスキルである「仕事の進め方の技術」ということになる。

話が脱線するが、ハーバードビジネスレビュー誌に掲載された「チーム」に関するいくつかの論文を集めた『いかに「高業績チーム」をつくるか』という本のなかに、「バーチャルチームの優位性」という論文が掲載されている。


ここで言う「バーチャルチーム」とは、実際に同じ場所で業務にあたったり、直接顔をつきあわせて会議や報告会を行う「リアルチーム」に対して、「各所の散らばる人材をITで結束させる」運営形態をとるものとされている。

僕の感覚では、「リアルチーム」に比べれば、「バーチャルチーム」はまだまだ非効率だろうし、やはりフェイス・トゥ・フェイスに勝るものはないのではないかというのが正直なところなのだけれども、この論文を読むとこういう固定概念は覆される。
「バーチャルチーム」は必ずしも「リアルチーム」に劣るわけではなく、むしろ「リアルチーム」よりも高い成果を生み出す可能性を秘めている。

本論文の結論としては「プロジェクトに多種多様な能力と支店が求められる場合、またsの仕事がデジタル・ツールでまかなえる場合には、フェース・トゥ・フェースで働くリアルチームよりもバーチャル・チームを選択したほうがはるかに賢明である」(P.68)だとしている。

たとえば、複雑なプロジェクトなどでは、意思決定が頻繁に求められるが、意思決定を全員が集合するまで延期することは、すべてが遅延していく原因になる。ミーティングが近くなると、だれもがそこで実際の意思決定が下されると考え、ミーティングが開かれるまで手を止めてしまったりする。

もちろんバーチャルチームで何もかもうまくいくわけではない。バーチャルチームを選択するときには、三つの問いをしっかり考えなければならない。

・チームをどのように発足させるか
問題解決のために、チームメンバー全員に意見を求め議論し同意を得る。バーチャルチームだからこそ頻繁な会議を行うことができる。

・どのようなテクノロジーを活用するか
面白いのは、eメールやTV会議などは成功しているバーチャルチームはたいてい役に立たないと考えていることだ。ここではチームメンバーが利用する専用のバーチャル上のワークスペースがうまく行くとされている。「ワークスペース」はうちで言うとWikiみたいなものか。うちの場合は、Wikiとメールとインスタントメッセンジャーが、バーチャルチームが利用するツールになるのかもしれない。

・チームリーダーがどのようにチームメンバーに相互支援させるか
結束させるために一週間か二週間、臨時でペアを組ませて働かせたりする。
各メンバーたちに共通項を見つけさせ、結束を強めてやる。バーチャルチームだからこそ、お互いが深く理解できるために、何かしらの共通項を見つけてやるなどしなければならない。

と、大きく脱線したが、「情報処理のフラット型組織」ということを考えると、この「バーチャルチーム」の考え方は頭に入れておいても良いものかなと思った。「コミュニケーションの技術」の一つとして、バーチャルチームを成功に導くための法則は必要だろう。

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2005/05/15 01:03

2005年04月25日

しつけの問題

岸田秀は「しつけの問題」(『続・ものぐさ精神分析)』というコラムのなかで、次のようなことを言っている。

要するに、親は、自分の感性、人格、器量、徳性などの程度以上のしつけを子どもに与えることはできないのである。子供は粘土ではないのだから、誰か専門家に「正しいしつけ方」を教わって、その通り実行すれば、「理想的な」子どもができあがるというわけにはいかないのである。もし親が「正しいしつけ方」とやらを学んで、自分の程度以上のしつけを子供に与えようとすれば、前述の母親のように子供を表裏ある人間にし、かえってよくない結果を招く。
絶望的なことを言うようだが、もし親が子どもを人格的に程度の高い人間に育てたいと思うならどうあがいてみても、まず親自身がおのれの人格を高める以外に方法はない。世の中には虫のいい親がいて、子どもを親の思い通りになる「親孝行者」に育てようとしたりするが、そのような育てられ方をされた子どもは、子どものためを考えずに親の都合のいいように子どもを利己的に利用しようとしたその親そっくりそのままに、親のためなんか考えず親を利用しようとしかしない利己的な子どもに育つであろう。

子供をどのように育てたらよいかわからない親が育児学の専門家や専門書に助けをもらって、「理想のしつけ」をしようと試みるのは、子どもを条件付けできる存在として見なすことであり、それは「子どもが主体性のない機械的反応体で、親との情緒的コミュニケーションがいっさい欠けているという前提に立」たなければ成立しないと言う。

さて、この文書を「親」を「上司」、子どもを「部下」あるいは「親」を「会社」、子どもを「その社員」と変えて読んでみよう。「しつけ」を「教育」や「育成」という言葉に代えてもいいだろう。

最後のくだりなんかはドキっとする。

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2005/04/25 02:02