想像力の磨耗


保坂和志『言葉の外へ』P.150 「想像力の磨耗」というコラムの一節。

考えるということは「答えること」ではない。考えるということは「疑問を出すこと」だ。考えることが「答えを出すこと」だと思っている大人は、すでにそれだけで学校教育の悪い面におかされている。答えが一つしかないと思っている人は、もっとひどくおかされている。

 疑問を出すことは答えることよりも難しい。たとえば、リンゴが落ちるのを見てニュートンは万有引力を発見したとされているけれど、発見つまり答えより先に、「何故落ちるのか?」という疑問があった。ニュートンは、「何故落ちるのか?」という疑問を出すことができた人だったのだ。


同じようなことをドラッカーも言ってた気がする。「正しい答えではなく、正しい問いが必要」みたいなことだ。「間違った問い」から得られる「正しい答え」ほどやっかいなものはないとかなんとか。

「最近の人」(なんて言うと年寄り臭いし、紋切り型だが)の傾向は、とにかく答えを知りたがる、ってことだろう。考える前に答えを求める。「答え」が既に存在しているという前提からスタートすることが多くて、「答え」を知らないから、問題が解けないと勘違いする。当たり前だけど「答え」を知らないから問題が解けないのではない。
「答え」を求めるってのが普通になると、なんでもかんでも「答え」を覚えようとする。「答え」ばっかり覚えたって意味がない。そんな「答え」など、質問が変われば変わってしまう。文脈が変われば変わってしまうのだ。

どんな業種でもそうだけど、WEBディレクターや、プロデューサーになりたいなら、安易に「答え」を求めるって姿勢は捨てるべきだ。むしろ、自ら「質問」する人を目指そう。

ある意味、早く「答え」に帰着させたいというのは、思考の放棄なのだ。

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