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日記 Archive
ウィーン、プラハ巡り、の前に飛行機の中で漏らしそうになった話
先週は久々にプライベートでの海外旅行。プラハ、ウィーンを巡ってきた。
本来は旅行そのもののことを記録すべきなのだろうけど、僕の場合は持病のIBSでの苦労譚から始まる。
行きの飛行機ではいつもの突発性の下痢に見舞われて危うく機内で粗相をしでかしてしまうところだった。
機内には何個かのトイレが設置されているので、他の乗り物よりは僕自身も安心していたところがあるのだけれど、やはりエコノミー。人数とトイレの数の釣り合いはとれてない。平常時は問題ないのだろうけど、特に危険なのはご飯の後だ。ご飯の後に便意をもよおす人が多いってのは自然の摂理か。ご飯の後だけはトイレの前に行列が出来るのだ。
そして、この行列ができて、容易にはトイレに駆け込めないという状況が、僕の便意をさらに加速することは言うまでもない。不安と心配が頭をもたげ、考えないよう、意識をそちらに向けないようにすればするほど、自然と注意はお腹に向かってしまい、予想通りで急性の下痢がやってきた。第一波だ。
このときは並んでいる人が3〜4人いただだろうか。さすがにこれは無理だと思い、事情を説明して順番を変わってもらいなんとか間に合わせることができた。ほっと一息つきながら、トイレを出てもまだ「次」が来ることが予感されるような終わり方だったので、長年の経験上、必ず第二波があることを確信していた。いつもそうなのだがこういう便意が一回でおさまることはまずない。一回事が終わって、それからまた数十分程度時間をおいてから二回目はやってくる。
その予想通り、それはやってきた。次も同じように順番を変わってもらうお願いをしたのだが、しかし先に入ってる人が出てこない。順番を変わってもらえてもトイレが埋まってる状態ではどうにもならない。
時間にしたら2分、3分のことなのかもしれないが、こういうときは永遠にも思えるもので、もう我慢の限界と、その場を立ち去り、近くのCAに事情を伝えた。CAもこいうのには馴れてるんだろうか、かなり冷静に「では、ここからずっと前方にビジネスクラスがあります。そちらのトイレが比較的空いておりますので」と説明され、説明を聞き終わるか否かのタイミングで、僕は通路の人をすいません、すいません!と掻き分けて、一路、ビジネスクラスのエリアに向かった。
機内通路を一般客が血相変えて走っていく様なんて見たことがあるだろうか。僕自身もないが。僕は必死なので気づかなかったけど、妻曰く、乗客がみんな「なんだ、なんだ」という感じで僕の走っていく様を見つめていて、恥ずかしかったそうだ。
しかし、僕は恥ずかしいなどとは言ってもいられない。漏らしたほうがよほど恥ずかしいのだ。
ビジネスクラスのトイレにたどり着いたものの、なんとそのトイレ2つも埋まっている。うーーー。よりによって。ビジネスクラスでも2つしかトイレ用意してないのかよ、この航空会社はと一瞬悪態をつきそうになった。
すぐ近くにCAが「どうしたのですか」と尋ねてきたので、さらに事情を説明すると、別のトイレを探しにいってくれたが、そこも埋まってたようで、万事窮す。CAもお手上げというような身振りで、我慢するしかないわね、というような視線を送ってきた。うぐぐぐぐぐぐ。
ここで仮に漏らしたりしたらどうなるんだろう。着替えとかは、飛行機で用意されたりしてるのかな、でも、ビジネスクラスでうんこ漏らされたりした日にゃ、ビジネスクラス乗ってる人からすごいクレームを受けるんじゃないかなとか、これから目的地まで機内に充満した臭いに体調おかしくなる人もでてくるんじゃあにかとか。それならエコノミーで憤死したほうがいいのかとか、バカなことをグルグル考えながら数分。いや、数十秒ぐらいだろうか。
と、その時、トイレの扉の向こうから、飛行機や新幹線のトイレ特有の、あのジュポッという気持ち良くブツが吸い込まれていく音がして、しばらくすると扉が開いた。助かった。すぐさま扉の向こうに駆け込み、なんとかギリギリのセーフ。今回もなんとかかんとかピンチを乗り切ることができた。いやはやほんと危なかった。
旅行では、2年前のベトナムの空港の出国審査で漏れそうになり、無理やり出国審査をパスしてトイレに連行してもらった経験があったけど。こういう非日常的な空間での便意というのは慣れないだけあって、余計に緊張をもたらし、不安に拍車をかけるものなのだ。
二回目は、先のような「残糞感」はなかったので、しばらくは大丈夫だろという安心感のもとにトイレを去ることができた。が、実は、その後、空港に着陸直前、シートベルト着用が義務付けられ、席をたつことが原則できない状況に陥ったときもまたまた便意に襲われ、着陸後にすぐさままたトイレに駆け込むという一幕もあった。
こういう経験を通して、僕のIBSはますます酷く、深刻な状況に陥っていくのだろうか。
◆ウィーン/プラハ巡りについて
申し訳程度に今回の旅行のことについても少し書いておくと、今回の旅行はもともとヨーロッパにしようということだけ決めていた。どこにするかということで色々考えた結果、妻も僕も好きなものが一番観られるのがウィーンじゃないかということで、ひとまずウィーンが確定して、あとはウィーンとの行き来が楽で、且つ妻と共通の好きなものが満たせるところということでチェコのプラハということになった。(ウィーン⇔プラハは特急電車で4〜5時間ぐらい)
ウイーンは、クリムト、シーレ、ヴァッサー、ブリューゲル。プラハはカフカ。彼らの作品や、彼らの建築物に生で触れるというのが旅の目的になった。また、二人共、教会や聖堂も好きなので、ウィーンはまさにドンピシャなのだ。
ただ、ちょっと気になっていたのは、ちょうど旅行中に、日本でクリムト、シーレのウィーン世紀末展が開かれているということで、下手したら主要作品は全部日本にいっちゃってて、本場ではもぬけの殻のような状態なんじゃないかということだった。
なにせ、今年、大原美術館に行ったときも(毎年のように行ってるけど)、一番見たかったセガンティーニの「アルプスの真昼」がなかったり、現代美術館が改装中で見られなかったりと、なんとなく嫌な巡り合わせだったからだ。
でも、実際行ってみたらその心配は杞憂だった。もうお腹いっぱいというぐらいにクリムトもシーレも観られたし、もちろん「接吻」も観られた。(「パラス・アテナ」は日本に行っちゃってたみたいだけど、でも作品数も十分すぎるぐらいあった)
有名な作品だからってこともあるんだろうけど、ほんと「接吻」の神々しさはすごいものがあって、あぁこれがアウラってものなんだろうな、なんて知った感想なんて漏らしてしまった。いや、ほんとに感動したんですわ。しばらく足が動かなかったぐらい。
その旅の目的の一つであったヴァッサー。美術作品なら、何かの機会でも日本にやってくることがあるかもしれないけれど、建築物は絶対にその地でしか見られない。だから余計に感動の度合いも大きいというか。

これがヴァッサーの作品のひとつ。クンスト・ハウス。クンスト・ハウスはミュージアムにもなってて、ヴァッサーの絵画作品なども堪能できるようになってる。ヴァッサーの絵画はきちんと見たのは今回が初めてだったのだけど、ほんとこの人は素敵な人だと感じた。絵画も好きになってしまった。

こっちがヴァツサーハウス。こちらは普通に住宅として使われている。その日は一回ではフリーマーケットみたいなものが開かれていた。こんなところで住めたら愉しいだろうなと思う。
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大腸内視鏡検査の体験談
先週の火曜日に大腸の内視鏡検査を受けた。
何が辛いって、事前の腸内洗浄用の液体だ。もう名前も忘れない。「ムーベン」だ。
検査の5時間ぐらい前に、ムーベンという液体を2リットル飲まなければならない。1時間で1リットルで約2時間。
レモン風味です、なんて書かれていて、最初の一口目は、まぁレモン風味ではないけど、飲めなくもないかと高をくくっていたのだけれど、500mlあたりから急激に苦しくなってきた。気持ち悪くて、コップを口元に持っていくのも億劫になってくる。
さらに、腸内洗浄液なので当然なのだけれど、猛烈な下痢に襲われる。便所に何回も駆け込まないといけない。
前日にも下剤を飲んでたり、食べ物も指定のものしか食べられないので、けっこうお腹はキレイになってる状態なのだけれど、それでも下痢はとまらない。普段から下痢なのに、わざわざ検査のために下痢にならないといけないってのもなんか情けない話だが…
なんとか1時間で1リットルはクリアできたものの、その先が全然進まなくなった。よくテレビの大食い選手権とかああいう番組で、選手が苦悶の表情を浮かべながら、食べ物を無理矢理口に運び入れる様があるけれど、この時ばかりは大食い選手の苦しさの少しは理解できたかのような気もした。その少しの液体を口に入れることも、喉を通すことも辛いって状況は、傍から見たらそんなに?とも思うだろうけど、本人にとっては苦痛この上ない。頭に思い浮かべるだけでも吐き気に襲われる。
結果、1.5リットルまではなんとかこぎ着けたけれど、これ以上は無理ということで諦めることにした。すでに便は無色透明で、説明書に記載された様子になっているわけで、ムーベンの役割は十分に果たしているだろうと、医学知識もまったくないままに決めつけてOKをした。後で先生に聞いたら目的はあくまでも洗浄なんで、便にモラモラが完全になくなって透明とかま黄色になってたら1.5リットルぐらいでも大丈夫ということだった。
「ムーベン」があまりにも辛かったので、かつて内視鏡検査体験者のある方にもこの話をして同意を得ようとしたら、「え、あれそんなまずかったっけ? ポカリスエットみたいでうまいじゃん」なんてことを云ってて吃驚した。人間の好みというのはほんと幅広い。
さて、内視鏡検査にはお尻に穴の開いた検査服で望む。なかなか恥ずかしい格好だ。先生側にお尻を向けた形で横になる。
最初に肛門麻酔。これは先生が指を肛門に突っ込むわけで、なんともいえない感触がある。僕自身は肛門麻酔に近いことはこれまで病院で何度も経験してて(診断とかで)、馴れてるはずなのだけど、やっぱり何度経験しても気持ち悪い。
そして、肛門に内視鏡が突っ込まれる。突っ込まれてていくときの感触も当たり前だけど、決して気持ちよいものではない。汚い話だが浣腸されてるような感じでずっと便意に襲われている状態だ。先生曰く、すでに事前の腸内洗浄でお腹はキレイなので便も出ない、ガスが出てるので気にせず、ガスを出してくださいとのことなのだけれど、肛門の感触がよくわからなくなってるので、我が肛門から出て行くのがガスなのか便なのか、何なのかもよくわからないのだ。
肛門麻酔のおかげかどうかはわからないけど、内視鏡が突っ込まれてても肛門自体には痛みはまったくない。腸内を進む内視鏡が痛みをもたらすだけだ。
腸は当然曲がりくねってるわけで、この曲がり角、曲がり角で少し痛みを感じる。お腹がはったような締め付けられるような感触で、なんとも全体にもぞもぞっと広がる痛みだ。腸は意外と長く、ゴールまではけっこう時間がかかる。ゴールがどこなのかはよくわからないのだけれど。先生曰く、僕は腸が長いらしい。そういうのは常套句なのかもしれないが、そういえば子どもの頃にも同じようなことを云われたことはあった。
ゴールすると、今度は来た道を引き返すということになるのだけれど、この帰りのほうが時間がかかった。行きはどちらかというとゴールに向かって最短距離で進んでいる感じだけれど、帰りは腸内をくまなく点検し、こびりついた便を取り除きと、掃除もしてくれるので、けっこう時間がかかるのだ。所要時間は行き帰りで30〜40分というところだろうか。
なかなか面白いのは内視鏡が今、どのへんにあるのかは、だいたいわかるということだ。痛みが襲ってきたら、どうのもできないのでカメラがありそうな場所に手をあてておまじないみたいなことをしてた。
検査が終わった後は、ガスが貯まってるせいか、お腹がすごくはってて、着替えで靴下はいたりするのもイテテテとなる。その後に屁というかガスが出まくるのだが、このガスがまた便と区別がつかない。検査後に診断があるので、待たされるたのだけど、その間も何度も便所に駆け込んだ。便が出る!と慌ててトイレに走るのだけど、出るのはガスだ。これの繰り返し。今度こそは、これはさすがにガスじゃないだろうと、毎度思うのだけれど、やっぱりガスなのだ。とはいっても、ひょっこり間違って便が出たら、そここそ悲劇。今までなんどもそんな悲劇に遭遇している僕としては油断はできない。
ガス、ガス、ガス、ガスと、あまりにもガスが続き、あぁ、やっぱりもう便は全部でてしまってるから出ないんだと安心してたら、家に帰ってからガスと思って思いっきり出したら便で、おいおいやっぱりかよ、と飽きれて自分に突っ込みを入れた。便とはいっても完全に水状態で臭いも何もないから、まだマシだけど、これが病院での出来事じゃなくて良かったなと、胸を撫で下ろしたのは云うまでもない。
検査結果は小さなポリープは見つかったもののたいしたことはなく、とりあえず1ヶ月分の薬を貰い、1ヶ月後に再診ということになった。お腹が生まれ変わったようなもんで、水曜日から今日までの約4日間、便の調子がびっくりするほど良い。
薬が利いているというのもあるのかもしれないけど、突発性の下痢は今のところ抑えられている。この調子がずっと続いて、長年のお腹不安から解消されたいものだ。
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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程/ぐるりのこと
金曜日は外部監査の日で、前日から胃が痛かった。朝から夕方まで細かいところまで突っ込まれ続けて精神的に辛い仕事だ。
そこまで細かいところを指摘するかというぐらい、色々な指摘を受けて、まだまだだなぁと反省一入なのだが、しかし外部監査員の方によると、うちの会社はかなり良くやってる方らしい。運用面ではいろいろやっているのに、それがうまく仕組み化できていなかったり、マニュアル化できていないところが問題なのだろうということ。そんな風に言ってもらえればまだ救われる。まぁ、雨降って地固まるではないが、いろいろな問題が発生し、否応なくそれに対応してきたことが、逆に良かったのかもしれない。
精神的にへとへとになったので、この週末は完全にもぬけの殻のように、だらだらと過ごした。2日とも天気がよかったので昼間の数時間はカメラを持って散歩。鴨川にはほんとにたくさんの人が繰り出してきていた。
気持ちのよい牧歌的な風景が広がっていて、ものすごく幸せな気分に浸れた。ほんとにこれが幸せってもんなんだなと思うぐらいに幸せに満ちた光景でそういう光景に歩いて数分のところに暮らせていることに感謝した。
夜は映画を2本観た。

“実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]” (若松孝二)
1本目は若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」だ。連合赤軍ものは個人的に興味もあり、色々な文献を読んでいるが、文章では理解しているつもりであった連合赤軍の異常性が、この映画ではおそるべきリアルさで描き出されている。途中何度も目を背けたくなったし、あまりにもの馬鹿さかげんに画面に悪態を付きたくなる。
総括という名の元に行われるリンチ殺人。「自己の共産主義化」を成し遂げるためにという、まったく意味不明な大義名分と、森恒夫、永田洋子の独裁体制に逆らうことができずに、自ら崩壊に向かう組織のむなしさ。
映画が持つ緊張感の高さは鬼気迫るものがあるのに、そこで繰り広げられるリンチの光景はあまりにもバカバカしく滑稽で、思わず吹き出してしまいそうになる。「なぜ化粧をしたのか」「なぜ服を着替えたのか」「銃の傷を見落とした」「一人だけ風呂に入ってきた」等等。 世界同時革命、共産主義革命という理想を目指す若者にしてもあまりにも下らない理由が並べられ、次々と同士は殺されていく。
エンドテロップを流れる、その後の「連合赤軍」の年表を見ると、実はまだまだ連合赤軍
続けて観たのは、橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」
ある一組の夫婦の物語。この映画観て、あぁ夫婦ってやっぱりいいよなぁと思ってしまった。
中盤から後半で木村多江扮する妻が心を煩い、リリーフランキー扮する夫と些細なことで喧嘩い発展するシーンがある。
あのシーンでの最後、長回しで木村多江とリリーフランキーが夫婦として再び心を通い合わせていく他愛ない言葉のやりとりがほんとすんばらしい。
橋口亮輔は「ハッシュ!」を見逃してるのだが、随分作風が変わった気がする。「ハッシュ!」から変わったんだろうか?
この人もいい監督だなと思う。大げさな演出をせずに、ちょっとした心の動きやあり方を描くことができる。
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PS2で「桃鉄」をやるまで/D端子ケーブルは気をつけよう
昨夜、妻が突然「桃鉄」がやりたいと言い出した。ボクは「桃鉄」は殆どやったことがなく、誰の家だったかに遊びにいったときに、皆がやってるのを傍から見ていたぐらいでしかゲームも見たことがない。だから「桃鉄」の面白さも理解していない。
妻は大学時代にかなりやり込んだようで、「桃鉄」というゲームへの思い入れも相当あるし、その面白さもよくわかっている。妻曰く、「桃鉄」はこんな風に、人に突然衝動的に「やりたい」と思わせる何かを持っているゲームなのだとか。
ひとまず、物置にしまってあるゲーム機をひっぱり出してくる。
PlayStation2が持ってるゲーム機としては一番新しいのだが(ゲームボーイアドバンス等の携帯ゲーム端末を除く)、テレビとつなぐためのAVケーブルが見つからない。
どちらにしても「桃鉄」自体も手に入れないといけないので、近くの中古ゲーム屋の営業時間を調べてみる。
今出川通り、百万遍の交差点を少し東にいったところの北側に中古ゲーム屋があるのは知っているのだが、そこの名前が思い出せない。適当に「今出川 中古ゲーム」とか「百万遍 中古 ゲーム」なんて具合に検索をかけるも目当ての情報がすぐには見つからず、Googleストリートビューで調べてみた。
すると、名前をはっきりと確認することはできないけれども、なんとなく看板に「ギャングスター」らしき文字が見える。「ギャングスター」で検索してみると、ビンゴ! まさにその通りで、Googleストリートビューに少し感謝する。(後で確認したら、普通にGoogleマップにも店舗案内も載ってたけので、Googleストリートビューで調べる必要なんてなかったのだが)
営業時間は土日祝日は22時まで。時計を見ると21時45分だ。ちょっと厳しいかなとボクが諦めかけてたところ、妻が「行こう」と言ってきたので、一か八かで自転車猛ダッシュでギャングスターに向かった。
店はすでに閉店の準備に入ろうかという感じではあったが、ギリギリ間に合った。
ボクはすぐにPS2用のテレビにつなぐケーブルがあるかを確認し、妻は「桃鉄」を探す。
ケーブルは従来の白、黄、赤のRGBのAVケーブルと、D端子を使うケーブルの2つがある。D端子ケーブルは高いけれど、せっかくテレビも新しいテレビだし、キレイなほうがいいだろうと思いD端子の方を購入した。これが後々悲惨なことになるとはこのときは思っても見なかったのだが。
妻も「桃鉄」を見つけている。いろいろなシリーズはあるが、迷わずシリーズ12の「西日本編もありまっせー!」を選んだ。

“PlayStation2専用D端子ケーブル(音声出力端子付)” (ソニー・コンピュータエンタテインメント)
間に合って、すべてを手に入れたことに満足し、意気揚々と家に帰り、PS2のセッティングを行ったのだが、音声は流れるものの、映像が出てこない。
D端子の接触か何かか、いろいろいじっても時折、映りそうにはなるがすぐにブラックアウト。何をやっても映像は来ない。がーん。最初、ボクはPS2自体が壊れているのだろうと考えた。
かれこれ4〜5年ほったらかし、押し入れの奥にしまい込まれていたので、ゲームCDをきちんと読み込めなくなってしまったんだろうと。後から考えたら音声がちゃんと流れてるのに、映像だけというのも変な話なのだが。
クリーニングCDでもあれば試してみたいところだったのだが、あいにく家にそういう類いのものはない。
万策つきた感があり、さっきまでの「桃鉄」ができる喜びから一転して、恐ろしい徒労感に襲われて、がっくり肩を落とす二人だったのだが、もしかしたら同じような故障で困ってる人がネットにはいて、修理方法なども伝授してくれているのではないかと、とりあえず調べてみることにした。
「プレステ2 D端子 音声のみ」とか「プレステ2 映像が映らない D端子」などのフレーズ検索を実行してみたら、出るは出るは、、、同じような問題を抱えてる人がけっこういるではないか。
プレイステーション2がD端子接続で見られません・・・ – 教えて!goo
PS2側のコンポーネント出力設定を変えないといけなさそうだ。なるほど。確かに言われて見ればそうだ。ディフォルトの設定はおそらくRGB出力とかになっている。これを「Y・Pb/Cb・Pr/Cr」に変更しなければならない。なるほど。
が、そもそもRGBのケーブルがないから、D端子を買いにいったのだ。D端子を使うには、先にRGBケーブルでつないでセッテシングを行わなければならないなんて、そんな殺生なぁ。それならあの時欲張って普通のケーブルにしとけば…
今さら後悔しても遅い。ギャンングスターはもう閉店しているだろうし、比較的遅くまで開いているブックオフやらを探して買いに行くという手もあるが、それも面倒臭いし、そもそもPS2のためにまた数千円出してケーブルを買わなければならないというのが解せない。
諦めかけてはいたのだが、最後にもう1度ケーブル類を探してみようと、物置のケーブル類をまとめているクリアボックスを妻と一緒に探してみることにした。そしたら、見つかったのだ。RGBケーブルが。さっきあれだけ探して見つからなかったものがあっさりと。妻からはボクの探査能力のなさを詰られたのだが(確かに、よく見落とすのだが)、でもまぁ見つかったのだから万事オーライということで。
そのケーブルで接続してみれば、なつかしいPS2のシステム画面がテレビに映し出された。ちょっと感動的だ。
システム設定で「Y・Pb/Cb・Pr/Cr」。ついでにディスプレイサイズも変更。D端子ケーブルに切り替えてみる….
すると、さっきまでのRGBケーブルの画面とは見間違うような、恐ろしく美しくクリアな画面がテレビに映し出されるではないか。妻とボクは「おぉ」と感嘆の声を漏らし、すぐさま「桃鉄」のCDをセット。オープニング画面が映し出されるや、テンションは最高潮に達したのであった。
その後、深夜まで二人でゲームを楽しんだ。なるほど、確かに面白い。2人+コンピューターでやっていたのだが、これはもう少し人数が増えたほうが面白いだろう。ボクは眠くて途中でダウンしたものの、妻は取り憑かれたように、朝方まで一人、ひたすら「桃鉄」に興じていたようだ。
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葬式のマナーをこの際だから覚えなければ
- 2009-03-18 (水)
- 日記
親戚に不幸があり、本当なら週アタマから東京出張だったはずがすべてキャンセルし、葬儀への参列となった。
けっこう重要な予定が入っていたのだけれど、これは仕方ない。新幹線は直前だったのでキャンセル費が500円ほど発生したが、ホテルは当日だったが大丈夫だった。いくつかの予定についても一人で参加するものがなかったので、基本お任せすることにした。なんとかなるものだ。
親戚や身内では近いところでは祖父が亡くなった1999年1月以来だ。あの時はおそらく葬儀に出た弁当の牡蠣に当たって、東京に戻った後4〜5日ほど下痢と嘔吐と高熱で動けなくて会社を休んだ。まだ家賃5万円の狭い高円寺の6畳一間のアパートの時代だ。あれからもう10年近い時が流れたのだと思うと不思議な感じがする。その間にボクは東京では江戸川橋に1年半暮らし、その後再度高円寺に戻り、その後京都で約3年、東京で1年半、再度京都で2年と京都と東京を2往復している。当時東京の社員は未だ20名にも達していなかったはずだ。と思うと、おそろしく前のことのように思える。
親戚の人達のほとんどは、こういう場でしか顔を合わせることもなく、誰が誰かまったく覚束ない。なにせ考えて見れば、祖父の葬儀に顔を合わせたぐらいで、ここ20年とか30年で1〜2回しか顔を合わせていない人達が殆どなのだから。(めでたい席でたまに顔を合わせるなら良いものの、不幸な席でしか顔を合わせないというのも少し哀しいが)
月曜日がお通夜で、火曜日に告別式、火葬、骨あげ、還骨勤行から初七日法要という順番。こういう順番や役割や作法みたいなものってのは、あんまり詳しくなりたくはないけれど、やはり知っておかないとダメだと痛感した。
そもそもボクはお焼香の回数とか手順とかも実はよく知らなかった。ネットで調べれば宗派によって回数やら方法が違うようだが、マナーブックなどでは1回か3回と書かれてある。2回は「重ねる」みたいな意味があるから避けたほうが良いとか。
うちは宗派としては珍しい黄檗宗。黄檗宗のサイトでは、
焼香は礼拝する仏様に対して背筋を伸ばし、合掌礼拝をして香を自然に親指・人差し指・中指の三本でつまみ、反対の手のひらを添えながら顔の高さまで頂き香炉にくべます。
とし、回数については強くこだわらないとしながらも、
葬儀の時は仏教的には「一に帰る」(帰真・帰元ということ)、俗説では「別れの一本線香」と言われるように焼香も一回のみする事が多いようです。特に多くの方々が焼香をされる事を考えると、マナー的にも一回の焼香に心を込めて丁寧にお供えしたいものです。
(FAQ(仏壇・仏事等に関して) : 臨済・黄檗 禅の公式サイト)
なるほど。親指、人差し指、中指の3本か。知らなかった。親指と中指でつまんでいたなぁ。
葬式の諸々の儀式や、その順番にはきちんと意味がある。それは親族たちが故人を偲びながら、その死をきちんと現実のものとして受け止め、処理していくための手続きであり、これらの儀式を通じて、親族、親戚は悲しみを共有していく。また一方でただ辛い辛い現実から逃げたいという気持ちから徐々に現実へ馴れさせていくためのステップみたいなものでもある。儀式を通じて、涙を流し、悲しみをぶちまけていくことで、徐々に気持ちが納まっていくのだ。やりきれない思いや辛さ、痛みは少しづつ儀式を通じて和らいでいくのではないだろうか。
初七日法要は本来は、は亡くなった日を含めて七日目に行われるものらしいが、最近は略式なのか還骨勤行の後にそのまま行われたりということが普通になりつつある。
49日までは7日周期で追善供養が行われる。昔は49日までは線香の火を絶やしてはいけないとかがあって、ボクの母などもそういう経験はあるようだが、さすがに今はそこまで厳密に儀を執り行うところもないようだ。
その後、百ヶ日、一周忌(ここまでが喪中)、三周忌(2年目)、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十五回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌と、没後、49年目の祥月命日まで年忌法要が続く。つまり、故人の供養を50年続けなさいということだ。
最近では、こういった法要などもだんだんと執り行われなくなってきているというか、途絶えてしまっているところも多いだろうと思う。少し寂しい気もする。こういう文化けっこう大事なのだ。ボクらの世代がこういうものを受け継がなければ、おそらく、こういった伝統は完全に形骸化していってしまうだろう。
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