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映像・映画 Archive
ワンダフルライフ
- 2009-04-19 (日)
- 映像・映画
さっき観終えた。是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」。いやーむちゃくちゃ良かった。これまた傑作だ。ほんとに是枝さんの作品には外れがない。作品ごとのテーマや世界観の違いなどで好き嫌いはあるだろうが、どの作品も映画としての完成度が極めて高く、良い意味でしっかりと作り込まれている。
この映画の設定は是枝さんっぽくない架空の世界。亡くなった人たちがやってくる施設のお話だ。死者達はその施設で一番大切な想い出をひとつ選ばなければならない。施設の職員たちはその想い出を可能な限り再現し映画化する。最終日にその「想い出」の映画を観た死者たちは、その想い出を胸に天国へ旅立っていく。このストーリーだけ聞けば、おとぎ話のような映画を思い浮かべるかもしれない。
しかし、設定が現実離れしているのに、人生を振り返り想い出を語る人達の口ぶりは表情、仕草のリアルさは、いつもの是枝節だ。施設も浮き世離れした建物ながら、ディティールの作り込みや細かさで、安っぽくならない。かといって作り込みすぎてもいない。良い意味で気が抜けてるところもあり、そこが世界観の微妙なバランスを作り出してるのだろう。
施設の職員たちが死者の想い出を映像化するシーンなどは、普通のドラマの撮影現場のシーンのようで、そこだけ切り出して見れば、かなり荒唐無稽な話になってしまいそうだが、そうならない。この世界の中ではそれがそうであるように確かさを感じられる。
見終えた人の誰もが、自分がその施設にやってきたらどんな想い出を選ぶだろうかと考えるだろう。死者が人生を振り返るという設定を通じて、自身の「生」そのものを考えさせられる。はて、ボクは今死んだら、どんな「想い出」を選ぶんだろうか?
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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程/ぐるりのこと
金曜日は外部監査の日で、前日から胃が痛かった。朝から夕方まで細かいところまで突っ込まれ続けて精神的に辛い仕事だ。
そこまで細かいところを指摘するかというぐらい、色々な指摘を受けて、まだまだだなぁと反省一入なのだが、しかし外部監査員の方によると、うちの会社はかなり良くやってる方らしい。運用面ではいろいろやっているのに、それがうまく仕組み化できていなかったり、マニュアル化できていないところが問題なのだろうということ。そんな風に言ってもらえればまだ救われる。まぁ、雨降って地固まるではないが、いろいろな問題が発生し、否応なくそれに対応してきたことが、逆に良かったのかもしれない。
精神的にへとへとになったので、この週末は完全にもぬけの殻のように、だらだらと過ごした。2日とも天気がよかったので昼間の数時間はカメラを持って散歩。鴨川にはほんとにたくさんの人が繰り出してきていた。
気持ちのよい牧歌的な風景が広がっていて、ものすごく幸せな気分に浸れた。ほんとにこれが幸せってもんなんだなと思うぐらいに幸せに満ちた光景でそういう光景に歩いて数分のところに暮らせていることに感謝した。
夜は映画を2本観た。

“実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 [DVD]” (若松孝二)
1本目は若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」だ。連合赤軍ものは個人的に興味もあり、色々な文献を読んでいるが、文章では理解しているつもりであった連合赤軍の異常性が、この映画ではおそるべきリアルさで描き出されている。途中何度も目を背けたくなったし、あまりにもの馬鹿さかげんに画面に悪態を付きたくなる。
総括という名の元に行われるリンチ殺人。「自己の共産主義化」を成し遂げるためにという、まったく意味不明な大義名分と、森恒夫、永田洋子の独裁体制に逆らうことができずに、自ら崩壊に向かう組織のむなしさ。
映画が持つ緊張感の高さは鬼気迫るものがあるのに、そこで繰り広げられるリンチの光景はあまりにもバカバカしく滑稽で、思わず吹き出してしまいそうになる。「なぜ化粧をしたのか」「なぜ服を着替えたのか」「銃の傷を見落とした」「一人だけ風呂に入ってきた」等等。 世界同時革命、共産主義革命という理想を目指す若者にしてもあまりにも下らない理由が並べられ、次々と同士は殺されていく。
エンドテロップを流れる、その後の「連合赤軍」の年表を見ると、実はまだまだ連合赤軍
続けて観たのは、橋口亮輔監督の「ぐるりのこと。」
ある一組の夫婦の物語。この映画観て、あぁ夫婦ってやっぱりいいよなぁと思ってしまった。
中盤から後半で木村多江扮する妻が心を煩い、リリーフランキー扮する夫と些細なことで喧嘩い発展するシーンがある。
あのシーンでの最後、長回しで木村多江とリリーフランキーが夫婦として再び心を通い合わせていく他愛ない言葉のやりとりがほんとすんばらしい。
橋口亮輔は「ハッシュ!」を見逃してるのだが、随分作風が変わった気がする。「ハッシュ!」から変わったんだろうか?
この人もいい監督だなと思う。大げさな演出をせずに、ちょっとした心の動きやあり方を描くことができる。
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「全然大丈夫」と「歩いても歩いても」
- 2009-02-13 (金)
- 映像・映画
休日に観た映画2本。
「全然大丈夫」と「歩いても 歩いても
」。
「全然大丈夫」は劇団大人計画の荒川良々の初主演映画だ。
もともと嫁があまり期待せずにDVDを借りたら予想以上に面白かったらしい。
荒川良々の奇演というか、この人が出す独特の雰囲気は何なのだろう。ただ登場するだけで、立っているだけで、画面から奇妙感が滲み出てくる。不思議だ。
とてつもなく不器用な女あかりを演じるのは木村佳乃と、古本屋に通う仏像の修復を手がける男を演ずるココリコの田中との睦まじい時間がすごく微笑ましい。
荒川良々という存在が大きいのではあるが、コメディ映画をこういうタッチとトーンで描ける人は実はあまりいないのではないかと思う。脚本・監督は藤田容介。この人のことはよく知らなかったが今後もかなり期待できる監督ではないだろうか。
「歩いても歩いても」是枝裕和監督の映画は、つい最近「誰も知らない」を観たばかりだけれど、この作品も素晴らしかった。最近、あまり映画を観てないので説得力もないのだけれど、ここ最近観た映画では飛びぬけて良かった。自分好みというのもある。
何かドラマチックな事件が起きるわけでもなく、基本的な話は、ある一組の夫婦が、その夫の実家に墓参りに里帰りして一泊する、というただそれだけなのだが、そこには夫婦・親子といった縦横の緊張感、連れ子と父の関係、溺れた子供を助けて亡くなった兄の存在と、助かった子供、そしてそれを取り囲む親子・兄弟など、細かなな人間関係の糸がもつれ合う。長回しをうまく使いながら、どこにもなる田舎の実家の風景・時間をリアルに描いていき、片時も観る人を飽きさせない。
手法は違うけれど、事件らしい事件も起きず、人間関係の緊張間を巧みに表現するその手腕は、現代の小津安二郎といっても過言ではないのではないだろうか。
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映画監督:渡邊文樹
- 2009-01-31 (土)
- 映像・映画
Hさんから渡邊文樹(なぜ、Wikipediaは「渡辺」になっているのだろうか?)の名前を聞いたときは、あまりにも久しぶりだったので、ものすごく懐かしかった。渡邊文樹の映画「天皇伝説」の上映会が京都であるということで教えてくれたのだ。まだ渡邊文樹が映画を撮り続けていたことにも驚いた。
知らない人も多いかもしれないけれど、ボクみたいに自主制作映画を撮ったりしていた人間にとっては渡邊文樹は、ある種の憧れと畏敬の念を持って思い出される監督の一人なのだ。自分自身で設立した映画製作プロダクション「マルパソプロダクション」をベースに、「監督、脚本、主演、編集から、宣伝や上映まで」すべて一人で行う。また、プロの俳優を一切使わず、一般人や身内、あるいは監督自身が登場するまさに手作り感たっぷりの真の自主制作映画を撮り続ける男。
というと、おそろしくカッコよさげなのだが、渡邊文樹自身も彼の撮る映画もとてつもなく泥臭いし、洗練さのかけらもない。その過激さゆえに、あるいは配慮なさや、直情的な行動ぶりに各所で様々な問題を引き起こす。
人間的にも色々な意味でクエッションマークがつくような人物だ。
ボクが渡邊文樹の作品を初めて観たのは、もう随分前のことだ。この仕事を始めてからというもの名前すらすっかり忘れていた。
最初に観たのは、「家庭教師」だったと思う。どこで観たのかも忘れてしまったが、かなり強烈なインパクトを受けたことは覚えてる。家庭教師役の主人公は渡邊文樹自身が演じる。教え子には手を上げることも厭わない熱血教師ではあるが、一方で中学生の教え子にまで平気で手を出す嫌らしい中年男。決して映画が巧いわけでもない。役者もドがつくような下手さ。きつい東北訛りは何を言ってるかさえわからない。殆どの登場人物は学芸会よろしく棒読みで精一杯だ。けれど、すべてが素人であるが故に持ち得るパワーというものがそこにはあった。
次に「島国根性」を観て、発禁作となった「ザザンボ」を観ただろうか。「島国根性」も設定は「家庭教師」を引きずるようなものだと思うが、あまり細かいところまでは覚えていない。観たいのだが、もうVHSもオークションぐらいでしか手に入らなさそうだ。
「島国根性」で日本映画監督協会新人賞を受賞して、このあたりで渡邊文樹という名前は一気にメジャーになったような気がする。で、次作の「ザザンボ」は松竹系列での配給予定とついにメジャーデビューの筈だったが、その内容が問題となり公開中止となった。
「ザザンボ」はどこで観たのだろうか。これも覚えていない。知的障害を持つ中学生の自殺への疑問を調べるという内容だ。実際に起きた事件がベースなのだが、登場人物が実名で登場することもあり大騒ぎになった。
Wikipediaにも書かれているが「映画撮影前に渡辺文樹監督が遺族に無断で中学生が土葬された墓を掘り起こし死因を調べようとしていた」など、かなりむちゃくちゃだ。
このあたりまでは年に何度かは名前が上がってきていたと思うが、その後、ボク自身が映画から少し距離を置いたといこともあり、すっかり忘れてしまっていた。今回、Hさんの計らいで久々に「家庭教師」を観られることになった。久々に観た渡邊文樹はやはり面白かった。
映画の中で、渡邊文樹は走り続けていた。オープニングから、愛人らしき女性と日中から一緒に風呂に入っていたが、旦那が帰ってきたのがわかるや、一目散に裸で野原へ駆け出していく。教え子の元に汗まみれになり走る。きつい坂道を自転車で必死に駆け上がる。常に走り続ける。その姿は決して美しくもなく、感動を呼ぶものでもない。むしろ、中年太りしただらしのない肉体や、その汚らしい汗は見苦しいほどでもある。
しかし、その見苦しさこそが渡邊文樹なのだ。その必死さや、汚らしさ、だらしなさ、それらすべてを隠すことなく、さらけ出し、それでも走り続けるその姿。そこにメジャー映画にはない渡邊文樹の渡邊文樹映画の魅力がひそんでいる。
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誰も知らない/是枝裕和監督
- 2009-01-27 (火)
- 映像・映画

誰も知らない是枝裕和監督
妻がレンタルDVDを借りてきていた。明日返却だということで観始めたら、釘付けになってしまった。つまらない映画なら途中で眠くなって脱落するのがオチだが、結局、最後まで緊張の糸は切れることがなかった。すばらしい作品だ。なんで今まで観なかったんだろうかと。でも、二度は観たくない。かなり精神的に来る映画だ。
1988年に発生した巣鴨子供置き去り事件が題材らしいが、それはあくまでもモチーフであり、実際の事件はとは必ずしも一致しているわけでもないということだが、しかし、かなり強烈な印象の残す作品だ。後味が悪い。この後味の悪さ、気持ち悪さ、やるせなさ。それだけ映画に力があるということなのだが、たとえモチーフだけだったにせよ、このような事件が実際にあったということはものすごく悲しいし、また一方で、こういうことは実は今でも、どこでも起きている起きえることなんだというリアリティも伝わってくる。
まずもって、子供達の生活風景がリアルだ。他愛のないやりとりや、ちょっとした仕草、子供の自然がそのままに切り取られている。母が失踪してから、徐々に廃れていく部屋や汚れていく子供達、一方、子供たちの成長も早く、明の声変わりや反抗期など、直接わかりやすく説明的に描写されるわけでもないが、それが兄弟の会話や対応などから伝わってくる。このあたりの話法の巧みさ。さすが是枝監督だ。
作品のなかで「手」とくに「指」が特別な意味をもった記号として扱われているように思えた。
オープニングで、アタッシュケースをいたわるようにさする明の汚れた手と指。長女の京子は母にマニキュアを塗ってもらうが、そのマニュキュアを勝手に使おうとして瓶を落としこぼしてしまう。この時、母は京子に怒る。これが直接の原因ではないことはもちろんだが、その後、母は失踪する。床にはこぼしたマニキュアの汚れ、京子の指には剥がれ落ちたマニキュアが母の不在の証明のようにクローズアップされる。
知り合った女子高生紗希から缶ジュースを貰って帰る明。缶ジュースを空に投げたは受け止める手のシーン。つかの間の喜び。自分たちを「知」ってくれる唯一の存在との接触。ゆきの命を救おうと万引きを試みようとするその瞬間の明の手の震え。そして、ゆきの最期。ここでも手が象徴的なものとして登場する。明は冷たくなったゆきの手を「気持ち悪かった」と言う。
母が面倒を見て、マニキュアまで飾ってくれた指。土で汚れた指、そして最期の冷たくなつた手と指。全編を通じて、手が不在や生きること、子供たちの心理や時間経過の重要なキーとして利用されている。下手に子供たちに苦しさや悲しさ、厳しいさなどを語るために表情をつくったり、セリフを用意するのではなく、重要なところでは「手」に語らせることで、子供の生々しさが軽減され、その分だけむしろ余計にリアリティが強化されているのではないだろうか。
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