谷崎フェチズムの極み「鍵」

久々に「鍵」を読んだ。
この小説の変態フェチぶりってのはなかなかのものだ。いやぁ、相当な歪み方だと思う。流石、谷崎潤一郎。

小説は、夫と妻、それぞれが書き綴る日記の体裁で進む。これが倒錯的なのは、お互いが自分の日記を盗み読みされている、という前提で書いている日記だということで、つまり当然、その内容には他人の視線が意識されており、書かれてあることがこの小説内において事実なのかどうかが分からない。

夫も妻も、相手が盗み読みしてるだろうと意識しているが、日記内では自分ら相手の日記を読んでない、中身は知らないと書いている。でも、相手が読んでるって視線があるからあえて読んでないって書いてるのかもしれない。この辺の微妙な真偽は読者にもわからないように巧妙に隠されて進む。どちらがどれだけの嘘を日記にちりばめてるのやら、その日記の独白は本心なのか、カモフラージュなのか?
ネタバレになるので書かないが、最終的にはどうだったのからはきちんとわかるようになってるので、一度読み終わったら、すぐに再度読み返したくなる。あの時のあの日記の時はそうだったのか、ああだったのかという一種の推理小説的な愉しみも味わえる。

この夫婦は満足な性生活が遅れず、旦那は、第三者と妻を接近させ、その嫉妬から性的興奮を得ることを覚える。妻は妻で貞淑で古風な日本女性の象徴のようであるが、しかし、夫の企みを拒絶するわけでもない。風呂場で気絶した妻の肢体を暗闇の中で写真におさめる夫。気づいてるのか気付いてないのか、毎度同じことを繰り返す妻。裸の妻を第三者に介抱させる夫。てな具合で、性生活とそれを巡る中年男の悩みと、性的満足を得られない夫を持った妻の葛藤が、赤裸々に綴られる。なんだろ。このフェチシチュエーションのオンパレードは。谷崎のフェチ作品は他にも色々あるが、「鍵」はある種の最高傑作なんじゃないかと思う。

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