凄まじい登山家の人生を描いた作品2作「神々の山嶺」「孤高の人」

Mt Everest Aerial


去年から登山を始めた。再開したと言うのが正解なのだけど、以前やってたのが高校の部活でのことなので、あの頃とは何もかも変わってしまってるし、またその当時教えてもらったいろんなことも殆ど忘れてしまった。テントの設営や地図の読み方、畳み方、ラジオ聞いて天気図作るとか、それなりのことは教えてもらったけど、もうすっかり忘れてしまった。

まだ2回行っただけだけど、久々の山はやっぱりいい。ベタな言い方だけど、自然とのふれ合いってのはやっぱり楽しいのだ。そんなこんなもあって、俄然、山に興味が湧いてきて、山の雑誌を買ったりしてる。

神々の山嶺 1 (BUSINESS JUMP愛蔵版)
4087825671

原作は読んだことないんだけど、なんといっても谷口ジローの画力の凄まじさだ。山の険しさ、冬山の恐ろしさ、そしてそれに立ち向かう人達の葛藤。見事と言うほかないほど描ききってる。

この漫画のストーリーはフィクションだが、登場人物は実在の人物をモデルにしていると言われている。山に登ること、ただそれが自身の生きる道だと覚悟した男、主人公の羽生丈二は、森田勝という人物がモデルだそうだ。羽生のライバルである長谷も長谷川恒男というモデルがいる。この二人が現実でもライバル関係にあり、お互いに触発しあって、まだ開拓されていない登山ルート、単独無酸素での8,000m級の山への挑戦など、どんどん過酷な条件に挑戦していく。

最初、読んだとき、そのあまりにも常人離れした逸話に、まさかそんなことが本当にあったこととは思えなかったのが、羽生が1979年グランドジョラス冬季単独登攀中に滑落してそこからの決死の脱出を試みる壮絶な二日間の逸話だ。彼の凄まじい精神力、胆力を象徴するエピソードで、僕はここを読むたびに背筋に寒気がする。
これが実は、森田勝にもほぼ同じエピソードがあるということを知った時には、これまたたまげた。こんなことができる人間が実在するってことに度肝抜かれる。Wikipediaには以下のように記述されている。

森田は、1978年12月8日、グランド・ジョラス北壁(ウォーカー側稜)、冬季単独登頂をねらいヨーロッパに向かう。翌年早々、アタックを開始するが、悪天候に阻まれる。2月になり長谷川恒男もドキュメンタリー映画[2]の撮影隊を従えて、麓のシャモニーに入る。森田は、2月18日、再度アタック。その日の午後1時、休憩中にフックが外れ、50メートル落下。4時間意識を失う。激しい痛みで意識を取り戻すが、すでに夕刻。しかも左足骨折。胸部打撲。左腕も動かない。宙づりのまま、幻覚と戦いながら夜を明かす。翌日、右手・右足と歯で25メートルの、文字通り決死の登攀を行う。6時間以上かけて、荷物のあったテラスに戻る。ここでまた夜を明かす。翌日、フランス陸軍の山岳警備隊に、ヘリコプターによって救助される。


50メートル落下。左足骨折、左腕も動かない。宙づり。ここから右手、右足、歯で25メートルの登攀。 漫画では、この脱出の様子、テラスで耐える二日間の幻覚との闘いは、読んでいて震えがくるほどだった。

遭難したジョージ・マルローがエベレスト登攀時に持っていたカメラを巡る少しミステリー仕掛けのストーリーと、山にしか生きれない羽生という男の人生。そしてライバルの長谷常男。これらの要素が絶妙に絡み合いもつれ合い、ストーリーとしても最後までまったく飽きの来ない、実に上質な構成になっている。山に興味がなくても、十分に楽しめる作品だと思う。

孤高の人〈上〉 (新潮文庫)
4101122032
 孤高の人〈下〉 (新潮文庫)
4101122040

こちらは、逆にヤングジャンプで連載されてた漫画のほう(Amazon.co.jp: 孤高の人 1 (ヤングジャンプコミックス): 坂本 眞一, 新田 次郎, 鍋田 吉郎: 本)ではなくて、小説の方を読んで見た。

こちらも加藤文太郎という実在した人物を描いている。加藤文太郎も、「神々の山嶺」の羽生や長谷と同じように、「単独行」にこだわった人物だ。

そんな彼が、唯一パートナーと組んだ登攀で遭難するというのも、なんという悲劇か。読み始めてすぐに、それは明かされるので、この本を読み続けるということは、加藤文太郎の悲劇を頭の片隅に置きながら読むということになる。これが、なんとも哀しい。
不器用で、人とうまく接することができない寡黙な男が、山の魅力に徐々に惹かれていく。本人が意図したわけでもないが、日本の登山界で注目される人物になっていく。
その中でも、いつかヒマラヤへの夢を追い求め、またあらゆる生活を登山での状況対応のための訓練としてストイックに引き受ける加藤文太郎という男に、読者は少しづつ感情移入していくだろう。
そして結婚。あの加藤文太郎が、あの不器用な男が、妻を得て、子供を持ち、少しづつ変化していく。幸せというものがどういうものかということがわかり始めてくる。
なのになのに、あの悲劇。最後の方は、本当に、読みながら心の中で、「やめろやめろ」「行っちゃ駄目だ」と叫ばずにはいられなかった。

いやぁ、しかし、本当に、登山家のエピソードってのはしかし悲しいものが多い。植村直己にせよ、加藤文太郎にせよ、森田勝、長谷常男。多くの素晴らしい登山家が山で亡くなっている。なにせ立ち向かう相手が自然だ。どう抗っても太刀打ち出来ないような仕打ちを自然は否応なく仕向けてくる。それでもなぜか、そこに立ち向かう。金のためでもなく、ただ己への誇りや、名誉を賭けて。だからこそ、ホンモノの登山家達の挑戦は心を打つのだろう。

   

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