村上春樹と庄司薫の一致
明けましておめでとうございます。(と、とりあえず誰にかわからないけど新年の挨拶をして….)
実家に帰ったので、東浩紀の『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』を持って帰ろうと思い、探していたのだけど見つからない。いったいどこにいったのか? 『動物かするポストモダン』はようやく読んだので、改めて原点を読んでみようと思ったのだけれど。東京の部屋にあるのかな? (『動物化するポストモダン』も面白かったんで、読んで忘れないうちにまとめとこうと思うが、それはまた後で)
本を探していて、昔読んで面白かった記憶があったものの、それ以来まったく再読していなかったある評論が無性に読みたくなった。
それは、1996年の「群像」6月号に掲載された「由美ちゃんとユミヨシさん」という評論(川田宇一郎)で、第39回群像新人文学賞の評論優秀作だ。
もちろん僕はこの著者名も評論のタイトルもすっかり忘れてて、ただ、村上春樹がいかに庄司薫の影響を受けてるかということをまるでノストラダムスの暗号を解読するかのように書いているのが面白かったなぁという記憶しかなかった。
1992年あたりからの「群像」はほぼすべて実家に置いてあったので(好きな作家の連載ものと、評論、座談会、新人賞受賞作ぐらいしか読んでないんだけど)、すぐにその号は見つかった。
由美ちゃんとは、庄司薫が1969年~1977年にかけて発表した、いわゆる「赤黒白青四部作」の主人公「薫くん」の恋人?である。(薫くんは結局、この四部作を通じて、由美ちゃんとは性交渉を持たない。ずーっとボディガード役に徹するわけだけど)そして、ユミヨシさんとは、村上春樹の『ダンスダンスダンス』に登場するユミヨシさんのことだ。
川田氏は、村上春樹が庄司薫を継ぐ遺志を持って、『風の歌を聴け』からの四部作(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンスダンスダンス』)を書いたと推理する。村上春樹のテクストには、庄司薫を匂わせる要素が満載だと。
その推理の根拠探しは奇妙の数値の一致から始まる。
この部分が面白い。
『風の歌を聴け』には「デレク・ハートフィールド」という作家が登場する。主人公の「僕」が「文章についての多く」を学んだ作家だ。
小説の最後でも「ハートフィールド、再び・・・・・(あとがきにかえて)」に、
もしデレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろう、とまで言うつもりはない。けれど僕の進んだ道が今とはすっかり違ったものになっていたことも確かだと思う。
などと書き、
最後になってしまったが、ハートフィールドの記事に関しては前述したマックリュア氏の労作、「不妊の星々の伝説」(Thomas McClure; Legend of the Sterile Stars: 1968)から幾つか引用させていただいた。感謝する。
1979年5月 村上春樹
で締めくくられている。
ハートフィールドはご存知の通り、架空の人物だ。なので実は「風の歌を聴け」という小説は、一種のメタ小説でもある。小説の最後に「作者」が登場し、ハートフィールドをあたかも実在の人物かのように扱っている。
ハートフィールドという作家については、『風の歌を聴け』のなかで以下のような情報が与えられている。
- ハートフィールドは1909年にオハイオ州の小さな町に生まれ、そこに育った。
- 彼の五作目の短編が「ウェアード・テールズ」に売れたの1930年で、稿料は20ドルであった。
- しかし1938年(1938年6月)に母が死んだ時、彼はニューヨークまででかけてエンパイア・ステート・ビルに上り、屋上から飛び下りて蛙のようにペシャンコになって死んだ。
- ハートフィールドは21歳で商業的に小説を書き始め、その8年後に自殺する。
さて、「ハートフィールドに影響を受けた」この小説の主人公である「僕」は、1975年5月に「小説」を書いている。小説の舞台1970年8月。その時、「僕」は21歳(誕生日は12月24日)だ。そこから、「僕」は1948年の生まれであることがわかる。
つまり、「僕」は、21歳のときのことを、その8年後に書き始めている。
さらに、ハートフィールドの自殺から「僕」の出生までのインターバルは約10年6ヶ月となる。(1938年6月ハートフィールド没~1948年12月24日「僕」誕生)
また、チャプター1では、僕が「8年間」何も書けずにいたということと、ハートフィールドが、「8年と2ヶ月」小説家として「不毛な闘いを続けそして死んだ」という記述がある。
ここで登場する数値「21歳」「8年2ヶ月」「10年6ヶ月」は、庄司薫の作家活動の年表上の数値と奇妙な一致を見るのだ。
庄司薫の『赤頭巾ちゃんに気をつけて』は1969年5月に中央公論に発表され、その四部作の最後『ぼくの大好きな青髭』は1977年7月に中央公論から刊行されている。その間はずばり「8年と2ヶ月」であり、ハートフィールドが「不毛な闘いを続け」た期間とぴったり一致する。
実質、庄司薫は、この四部作を発表した後、二度目の「沈黙」に入り、小説家としての活動をやめてしまっている。つまり、ハートフィールド8年2ヶ月の活動後に「死んだ」ということと、庄司薫の断筆はアナロジーなのだ。
また、庄司薫自身1958年11月に「喪失」で中央公論新人賞を受賞、作家としてデビューする。1937年4月19日生まれの彼の年齢は21歳。さらにこのデビュー後、『赤頭巾ちゃんに気をつけて』を発表する1969年5月まで、庄司薫は「退却・総退却」と自らが名づける沈黙の時期に入る。
このインターバルもこれまたずばり「10年6ヶ月」だ。つまり、ハートフィールドが死んで、「僕」が生まれるまでのインターバルと一致する。
ものすごいこじつけのような気もするし、村上春樹ぐらいだから、かなり意図的に罠を張り巡らせるかのように、こういったトリックを仕込んだとも考えられる。(村上春樹研究本では、この手の「ノストラダムス的解読」ものが結構多いですよね)
村上春樹自身が何かしら発言することはないと思うので、真相は闇の中ではあるけれども、川田氏の発見したこの数値の一致はひじょーに興味深い。
ただし、
『風の歌を聴け』には、川田氏が指摘する以外にハートフィールドについての記述はいろいろあって、その部分と庄司薫、「薫」くんとの関係などは、一切無視されているわけで、多少乱暴ではあるなぁとも思った。偶然に数値が一致することだってあるかもしれない。
この数値の一致だけではなく、いかに村上春樹のテクストが庄司薫を意識しているか(模倣しているか)ということを、登場人物の関係の一致や、ディティールの一致などで説明はしていくのだけれど、どうも都合のよいところだけをピックアップしてきて相似を見ているだけのような気がしないでもない。
まぁでも、個人的にはこの手の「謎解き」は嫌いではないので、今までまったくといっていいほど僕のなかで関係してこなかった二人の作家が、つながったということだけでも収穫だったと思う。
他、いくつか指摘されている二人の小説の一致をあげておこう。
キズキ君は「赤いN360」で自殺する。
「薫くん」は女の子とのデートの時に「真っ赤なホンダN360」でドライブする。
「キズキ」は『ノルウェーの森』に出てくる「直子」の元彼氏だ。
ちなみに『ノルウェーの森』の「僕(ワタナベトオル)」は、直子と性交渉する段になり、直子が処女であることを知る。つまり「キズキ」と「直子」は性交渉を持っていなかったわけで、「キズキ─直子」の関係と、四部作を通じて性交渉を持たない「薫くん─由美ちゃん」の関係は相似している。
キキ殺しの犯人、五反田君はマセラティを所有する。現実の庄司薫の「ぼくの車は確かマセラーティのエンジンをつんでいてその気になれば相当猛烈にはしるが」(『僕が猫語を話せるわけ』)
「薫くん」の靴はラバーソールである。ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」が『1973年のピンボール』にでてくるし、「ノルウェーの森」が収録されている。ワタナベトオルが緑の家に初めて訪れた時に近所で火事がおこる。庄司薫が中村紘子のマンションを初めて訪れた時も階下で火事がおこる(『ぼくが猫語を話せるわけ』解説)。
ワタナベトオルは日曜は基本的に休む。「薫くん」にとっても「安息日」である。『羊をめぐる冒険』の星形の斑紋の羊と『僕の大好きな青髭』のリンゴ印と星印の女の子。「飼っていた犬は僕が中学校に上がった年に雨に打たれて肺炎で死んだ。それ以来は犬は一匹も飼っていない」(『ダンスダンスダンス』)は、そのまま「薫くん」の飼っているドンという犬である(『赤頭巾ちゃんに気をつけて』)。「僕」の<やれやれ>と「薫くん」の<マイッタマイッタ>。
いくらなんでも「ラバーソウル」はこじつけだろう…なんて思いつつも、よく見つけてきたなぁと関心してしまう。
(ところで、『1973年のピンボール』は、大江健三郎の『万延元年のフットボール』のタイトルのパロディなんでしょうか?)
コメント
庄司薫:赤頭巾ちゃん気をつけて
「赤頭巾ちゃん気をつけて」を「人生という兵学校」の大先輩に教えられて初めて読んだのが、多分1年半ぐらい前。それから何回読んだかわかりません。相当猛烈、好きな作品です。60年代の学生運動とか、それに伴う東大入試の中止とか、はっきりいって全然わからないこと、...
びっくりしました。この一致、偶然だはないようですね。明らかに村上春樹が庄治薫の影響を受けた足跡ですね。このサイトは、村上春樹。comをやっているヨウヘイさんの個人サイトから知ったのですが、とても読みごたえ、というか、為になる記事でした。わたしはまだ、「赤頭巾ちゃん、気をつけて」しか読んでいないのですが、ますます全部の本を読んでみたくなりました。
ハートフィールドについて調べようと思って、
検索して見つけました。
とても面白かったです。
しかし、春樹さんは、細かい所まで懲り過ぎていて、
調べていて、時々疲れて、ふぅふぅします。
(単なる勘ぐりなのかなぁ?)
デレク・ハートフィールドをめぐる冒険 下
デレク・ハートフィールドをめぐる冒険を終わらせるために僕は、トラックバックを連発しようか?それとも文中リンクを沢山しようか?と、しばらく考えたが、それは不毛であることに気がついた。
冒険に道先案内人なんていらない。デレク・ハートフィールドをめぐる冒険...
村上春樹と庄司薫、ありそうでなかったおもしろい指摘ですね。この手の推理は多少強引だったとしても、数字が関連しているだけになんだかワクワクします。数字とはまったく逆ですが、「風の歌」「赤頭巾ちゃん」とも思わぬところで泣きそうになるのが似ているなあと思ったりもします。
花村満月を検索していて出会ったサイトでこんなもの見つけてびっくり。
「赤頭巾ちゃん」は30年前からの愛読書。庄司さんの講演にも行きました。もう書かないでしょうね。(大人の薫君に出会いたいな)
そしてデビュー当時から大好きな村上春樹さん・・・。
私てきにはライ麦畑で・・・が二人の共通点と昔から思っていたのですが。
村上さんが翻訳したときはやっぱりなと思いました。
あまり沢山の本を読んでいるわけではありませんがいいサイト見つけられてうれしいです。時々お邪魔させていただきます。
今日、「風のうたをきけ」を読んでハートフィールドのついて検索してたところでした。
おもしろい解釈がいろいろあって楽しませて
もらってます。
初めて聞く話で、面白く読ませて頂きました。
ところで『1973年のピンボール』と、『万延元年のフットボール』の関係ですが、
ムック本か何かで村上さん本人が「あとから気付いた」旨のことを言っていたと
記憶しております。
参考までに。