「未来ちゃん」は何度でも見てニヤケてしまう写真集

490429209X 「未来ちゃん」 ここ最近買った写真集の中ではずば抜けてなんどもなんども繰り返し見ている、というかついつい見てしまう写真集だ。買ってしばらくはほぼ毎夜と言っていいほど、妻とボクは、未来ちゃんを眺めて幸せになる時間というものを持っていた。今は、妻は冷蔵庫のいつでも目にはいるところに、今度HEPで開催される未来ちゃん展のフライヤーを貼っている。冷蔵庫の開け閉めでいつも未来ちゃんのこの一心不乱の表情がボクらを出迎えてくれる。何度見ても気を抜けば吹き出してしまいそうになる。この表情。


未来ちゃん展
この写真集は、すでに十分有名、話題になってしまっているけれども、どうしても一人でも多くの人にこの写真集の魅力、というよりこの未来ちゃんという女の子の魅力を知ってもらいたいという気持ちにさせるものがある。

この写真集は、もともとは川島小鳥さんが自費出版されたものだが、じわじわと人気に火がつき、ついに今年の3月18日、新たな写真も追加、祖父江慎さんがブックデザインで全国発売されることになった。人気に火をつけたのは、なんといって昨年12月に発売されたBRUTUSの写真特集の表紙だろう。この写真のインパクトは一瞬で多くの人を未来ちゃんの虜にしてしまったのではないだろうか。

「未来ちゃん」は佐渡で暮らす、いわゆる田舎の女の子だ。一瞬見たときには、「昔」の女の子かなと思うが、実は、今、この時代を生きる女の子だ。写真集の中には、もう都会ではなかなか見かけることができなくなった昔懐かしい子供の姿、子供の暮らしが納められている。コンピューターゲームやインターネットや携帯電話やら、そういったものがなくても、生活を便利するとか豊かにするとか言われている様々な生活器具や装置、サービスがなくても、世界は十分に驚きに満ちているし、自然や動物、そして季節。子供の目に映るものはすべてが新鮮で愉しいものだ。写真集にはそんな愉しさに満ちている。

未来ちゃん
「未来」という名前は川島小鳥さんがつけた架空の名前だそうで、小鳥さんが「未来ちゃん」という女の子のイメージを作り、そのイメージに合う写真を撮っていって出来たということらしい。なので、ある種、この写真集には演出や写真家の意図が込められているといえる。(もちろん、どんな写真、写真集でも写真家の意図や演出が込められているには違いないが。)
が、しかし、なんだろう。ボクがこの写真集を見て思うのは、この未来ちゃんという女の子が、そういった写真家の演出や意図みたいなものを超えてしまうというか、演出とか意図とかそういう次元とは別の次元に連れていってしまう力というか、そういうものを感じてしまう。逆説的には、意図や演出を超えていくように意図して作ってる写真集ということだろうか。

未来ちゃん
なんといっても未来ちゃんの表情だ。子供の純真さとか無垢さとか、そういうものだけを引き出された写真というのはよく見るけれども、未来ちゃんの表情というのはそういうものとは違う。ほとんど何を考えてるのかよくわからない。「だから何でそんな顔しとんねん」とツッコミたくなるのだ。でも、子供とか餓鬼って本来そういうものなのかもしれない。(だから、奈良美智が描く、「悪い子供」に心惹かれるのか。)
かといって、梅佳代のようにある時期の子供、男の子が女の子に見せる懸命なバカさ、下らなさみたいなものを切り取ったわけでもない。
未来ちゃんはの表情や姿は、生きていることの延長にある。
そして、その「生きる」ということの意味は、決してソフィスティケートされた世界でのことではなく、例えば、じっとしてても汗が滲み出してくるような日本特有の湿気の多い夏の暑さや、冬の身を切り裂くような寒さみたいな自然のいやらしい部分とそのままに向きあって、それそのものを「自然」として受け止めていくことを意味している。だから未来ちゃんは、普通に汗だくになり、なんの恥ずかしげもなく鼻水を垂らし、頬を赤らめる。
ボクらが都会の暮らしや、あるいは大人としての分別や割り切りなどで見えなくなってしまった、あるいは見たくなくなってしまった「生の生活」みたいなものを、未来ちゃんは、そのまま受け止め、その自然のなかで、それが特別なこととも思わずに愉しんでいるのだ。

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コメント

  1. […] 特集記事は、『未来ちゃん』を撮影した 川島小鳥さんの最新写真集『明星』を一 緒に制作した印刷会社さんに、編集長が インタヴュー。縦横変形写真集の話。 ↓こちらから直接、無 […]

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