品質改善のための言葉

日経産業新聞に「日産、品質悪化 克服急ぐ」という記事。
米国市場で新製品ラッシュにより、今年1-5月では前年同期比28.2%増の販売(約39万4700万台)と躍進をとげたものの、初期品質調査では惨憺たる結果を出してしまった日産。
原因は新製品が、新工場の新しく雇った従業員が新しく取引する部品メーカーと立ち上げたため、それぞれ連携などで十分なマネジメントができていなかった、ということらしい。

この記事自体よりも、この記事のなかの次の一節に出てくる言葉に興味を惹かれた。

米国では社員一人ひとりの職務範囲が決まっているため、それぞれの責任領域が交わるグレーな部分については責任があいまいになりがち。日本流の「すり合わせ」を持ち込み、開発から生産、部品メーカーまでの動きを一体化することに全力をあげている。


「すり合わせ」ってのが、品質改善の一つの手法として語られているのが面白いなと思った。僕らはよく「すり合わせ」って言葉を使う。あまり意味も考えずに。多分、そういった「すり合わせ」は何の意味もないだろう。しかし、こんな自動化されて、ほとんど意味を失ってしまったような言葉でも、その背景や意味をきちんと理解し、言葉にきちんと役割と意味をあたえ、それを共有すれば、それはメソッドになる。トヨタなんかまさにそうか。

トヨタ生産方式で使われる「ムダ」や「カンバン」「少人化」といった独特の言葉。これらの言葉のひとつひとつにもきちんとした意味があり、その言葉の背景も含めた深い理解が従業員に染み渡っている。これらの言葉がたんなる言葉の意味を超えて、会社内の哲学として生きるとき、それらの言葉は強力な規範の根拠となり、また手法となり、ツールとなる。

かなり脱線するが…

社内での取り組みのひとつに品質改善や、ワークフローの整備といったことがある。成果物、成果物にいたるまでのプロセスを洗練させ、顧客満足度を高めたいということが目的だが、これらの取り組みにとってより重要なのはもっともっと根本的な哲学や思想なのかもしれない。哲学や思想のもっとも根本は言葉だろう。ひとつの言葉を聞いたときに、すべての人がある同一の状況を志向できなければいけないだろう。単にプロセスがわかっているというよりも、個々のプロセスでどう考えなければいけないのか、何を念頭においておかなければならないのかという思想を持たなければならないのではないか。「すり合わせ」って言葉に価値を持たせられるかどうかは、その言葉がどのように共有化されているかに拠る。品質を改善するということであれば、まず品質とは何か、品質がどんな要素で組み立てられているかということをきちんと理解しなければならないだろう。それためには言葉にする必要があるだろう。
なんてことを記事を読みながら考えていた..

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