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2005年02月21日

ポストモダンマーケティング

Axela生活も1週間が経ったわけですが、今日700kmを超えた。
来週は1,000km点検だなぁ。今日はなぜか淡路島にいってタコを食って帰ってきた。
行きは明石大橋帰りはフェリー。2年間海外を放浪してたSとも会えて、なかなか面白い1日でやした。

ポストモダン・マーケティング―「顧客志向」は捨ててしまえ!
スティーブン・ブラウン

ダイヤモンド社 2005-01
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異性の口説き方を考えてみると。。。
この世でもっとも不足しているものは『不足』である!
マーケティングに答えは無い。

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タイトルに惹かれて買った本。マーケティングまで「ポストモダン」か。著者のスティーブン・ブラウンはハーバードビジネスレビュー誌上でコトラーと論争などして有名。ドラッカーやレビット、コトラーといったマーケティンググルをからかい、捻くり、あざ笑う「異端者」だ。

内容はたいしたものとは思えない。「『顧客志向』は捨ててしまえ!」というサブタイトルがついているが、ブラウンが言ってるのは「他人と違うことをせよ」ということにつきるからだ。全員が顧客志向を唱えるなら、「顧客志向」を捨ててしまえというわけだ。
しかし、登場するさまざまな事例やトリビア、そして人を小馬鹿にしたような皮肉たっぷりの文章、レトリックは今までのお堅いマーケティング書とは明らかに違う。要はこの本自体が他と「違う」という意味で、彼の唱えるマーケティング論を具現化しているのだ。

ブラウンはマーケティングの目的を「消費者にモノを売ることです。それ以上でもそれ以下でもありえません。」(P.66)と言い切り、顧客志向というのはその手段の一つだけれども、顧客を無視したり、否定したり、拒んだりすることも有効だとする。つまり「顧客志向」が溢れ変えってるなら、「顧客志向」を捨ててしまうこともマーケティング目的を達する戦略の一つになりえるのだというわけだ。

「誰もが例外なく顧客第一主義を主張し顧客を甘やかすことでは一致団結している世界で、競合優位をどうやって達成することができるのでしょうか、そしてもっと重要なことは、それをどうやって維持することができるのでしょうか?」(P.2)

ブラウンはSTP(セグメント/ターゲティング/ポジショニング)や3C、4Pといったマーケティングの概念に変わる戦略としてTEASEを提唱する。(「TEASE」という言葉自体が「からかう」なのだけど)

TEASEとは、Trick(トリック)、Exclusivity(限定)、Amplification(増幅)、Secrecy(秘密)、Entertainment(娯楽)という言葉の頭文字を繋げたもの。マーケティングに必要なのは「顧客志向」ではなく、この5つだと言う。

トリック
真実を誇張した仕掛けで売る。
「トリック」の例としては今世紀最大の発明などと商品が明らかになる前に大量のパブリシティを生み出した「ジンジャー」の事例などがある。

限定
希少価値の戦略。まぁ「限定」するってのは古くからある手法だ。旧大阪球場前のスーツ屋は何十年間「店じまいセール、本日限り」をやり続けていた。
「希少性」をコントロールすることで大成功をおさめたのはダイヤモンドのデビアスだろう。ダイヤモンドは別に希少性の高いものでもない。地球のどこでも手に入る。デビアスはほんの10年前までダイアモンドの市場を事実上独占することによって、希少性を人工的に作り出してきたわけだ。「誰もが所有するようになれば、繁栄の終わりは近くなります」(P.129)は真実だろう。

増幅
ウワサになっていることをウワサにして売る。これまた古典的な手法だ。
過激な広告で物議を醸し出し、それによって大量のパブを獲得するベネトン。
「ピカソの名前を悪用したかどでフランス芸術体制派の怒りを買い、そのことが大きく宣伝されたおかげで一万台もの予約注文を受けた」(P.160)シトロエンの「ピカソ」。

秘密
そのまま。人々は「秘密」が好き。「秘密」で誘惑して人々に追い掛けさせようということ。ケンタッキーフライドチキンでお馴染みカーネルサンダース。秘密の材料の秘密は、秘密の材料が存在しなかったこと。KFCの「真の」秘密は、カーネル・サンダースが最高のショーマンであ」(P.183)ったことのようだ。秘密は不思議を誘い、不思議は誘惑を促進する。

娯楽
「想像を超えた驚きと変化の素早さで売る」
ラスヴェガスなんてその象徴みたいなところだろう。しかし、世の中にはエンターテイメントがありふれてるわけで、そのなかでさらに一枚上のエンターテイメントじゃなきゃならない。マドンナが事例としてとりあげられている。その過激さや過激さで増幅を勝ち取っていく功名さ、そして何よりもコロコロと時代にあわせて変わっていく節操のなさ。ここで書かれてることが本当ならマドンナってのはかなりのやり手だ。

最後に、「ハリーポッター」を昨今の事例のなかで最高のトリックスターとして分析している。「ハリーポッター」TEASEのすべてを兼ね備えている。本が手に入りにくい環境をつくりだしたり、トップシークレットのはずの発売前の本が「不可抗力」でウォルマートで販売され、それを購入した子供が「奇跡的にも」世界中のマスコミに発見・追跡され...と、このあたりの事例を著者は、明らかに「秘密」をつくりだそうとする、そしてそれを「増幅」させようとするハリーポッターマーケティングであり、意図的に生み出され、コントロールされているという立場にたっている。大袈裟に宣伝されるのを嫌っているという著者のJ・K・ローリングのウワサはマスコミにとりあげられ、それ自体が大きな宣伝にもなっていたり。

本書で言われてることを否定するわけではない。顧客志向を捨てよう、という過激な煽り自体が、「増幅」の役割を担っているのだろうし、「秘密」でもあるのだろう。ただ、この本をそのまま鵜呑みにするのもどうだろう(ってそんな奴はいないか)。取り上げられている事例はかなり偏ってるし、極端すぎるものが多い。でも、一旦立ち止まって「顧客志向」を疑ってみることは必要だろう。差別化や競争優位の戦略を「顧客志向」を強化していくという馬鹿の一つ覚えみたいな方法しか持ち得ないようなら、それはそれでかなり問題だろう。

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2005/02/21 01:00

2005年02月11日

マツダはなぜ、よみがえったのか?

水曜日の晩、帰宅後すぐに熱が出始める。と同時に激しい吐き気、目眩。

夜中は高熱にうなされ続け、結局、5回ほど吐く。胃の中のものが全部出た後も吐き気は止まらず、結局木曜日は会社にいけず。当然、納車予定だったアクセラもお預け。

木曜日中も高熱と吐き気が続く。体温計は39度、38度台をふらふら。トイレに行くにも立ち上がるのも辛く、何も食わず水だけを飲んでただひたすら寝ている。

同居人からは「必ず病院にいくように」といわれていたのだが、こんな状態で病院に行けるわけもない。同居人帰宅後、見かねて救急病院へ連絡をとり、つれてってくれた。
当初は食中毒かと思っていたのだけれど、そういうわけでもなくどうやら風邪。解熱剤やら吐き気止めやらの処方を受けて、一晩寝たらえらくすっきりしてた。熱は平熱になり、吐き気もおさまっている。薬ってすごいなとちょっと関心した。いちおう手元にあった市販の解熱剤やら風邪薬みたいなものは飲んでいたのだけど、木曜日はまったく効かなかったのに。病院にもいっとくものだなぁ。

まる1日何も食べていなかったのと、ひたすら寝ていたということもあり、足元がちとふらふらする。うどんを食べるが、まだ胃が受け付けず、仕方ないのでバナナで腹を満たす。
病み上がりながら、アクセラをとりにいくことを決意。そのままディーラーへ。手続きを済ませて乗って帰ってきた。体調がよければそのままドライブだが、まだ万全とは言えないので今日はとりあえずお預けだ。

マツダはなぜ、よみがえったのか?
宮本 喜一

日経BP社 2004-11-18
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マツダ・ロータリーが好きな方におすすめです
Zoom- Zoom
クルマに詳しくない人にこそ読んで欲しい

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たぶんアクセラを買わなきゃ読みもしなかっただろう。
JCBのOkiDokiポイントがかなり貯まってて、BK1で消化。そのうちの1冊。

日産の復活劇ばかりが注目を浴びるがしかし、その影に隠れて実は青色吐息であったマツダはフォードの支援を受けつつ、確実に再生の道を進んでいる。本書はそんなマツダ復活劇を支えた経営陣と現場の葛藤と良い意味でのぶつかり合いを描いたドキュメンタリー本だ。大半はマツダ復活のシンボルともなったRX-8誕生までを描いたもので、RX-8開発過程を通じての現場と経営陣の攻防などが描かれる。後半は、フォードの経営陣が参画してからの復活のシナリオを財務体質改善、ブランド再構築、経営改革という3ステップで語っている。
RX-8は4シーター4ドアのスポーツカーという他に例を見ないクルマだけれども、これが生み出されたのは売れるクルマをつくれ、と号令するフォードから送り込まれた経営者と、ロータリーエンジン搭載のスポーツカーをつくりたいという熱い現場が正面からぶつかりあって昇華したものだったのですな。小型化可能であるというロータリーの最大メリットを充分に生かしつつ、2ドア2シーターのただのスポーツカーでは「売れない」と判断し、あくまでも4ドア4シーターの開発に拘った経営陣。
マーケットイン発想の経営陣とプロダクトアウト発想の開発陣。どちら一方だけが重要というわけでは決してなく、マーケットインとプロダクトアウトの両方がぶつかり合い、融合するところで、ブレークスルーが生まれるのだろう。RX-8はその良いお手本なのかもしれない。

マツダ復活シナリオを策定したフォードではあるが、しかしフォードは逆に今つらい立場にある。米国内でのシェア低下、ヨーロッパ市場展開も思惑通りに進んでいない模様で、グループ内でのマツダの地位はかなり高まっているだろう。なにせフォードグループ内2リッタークラスの主要エンジンはマツダのエンジン(MZR)なのだし。

徳大寺有恒はマツダがあまり好きではないようで、「間違いだらけのクルマ選び (05年冬版)」では、マツダはフォードの「安売り車」ポジションの戦略に組み込まれてるんだ、みたいなことが書かれてあった。
まぁ確かにまだマツダって安売り、値引率がすごいみたいなイメージはあるけども、単純にフォードグループ内の「安売り車」かどうかは、ちと違うんじゃないのかなぁと思う。

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2005/02/11 20:45

2005年02月06日

税金を払う人、もらう人

アクセラは明日納車できるってことだったけど、明日は東京だった。
今週は月~水まで東京の予定だったけれども、火曜日に京都で緊急の打ち合わせが入ったので、一旦火曜日に京都に戻り、水曜日にまた東京に行くというとても効率の悪い週になる。じゃぁ火曜日にクルマをとりに行くかと思ってたら、火曜日はディーラーが休み。ということで結局、木曜日までお預けとなった。金曜日ボード行くんかいね。いきなり新車でボードってのも嫌だなぁ。汚れるし。いろいろ調べてるとアクセラってタイヤのクリアランスが少ないから合うチェーンが少なさそう。スタッドレス履いてるから大丈夫だろうけど、年末はスタッドレスでも雪につかまって身動きとれなくなって、JAFに助けてもらうという失態を演じてるだけに、念のためチェーンも用意しておきたいのだが....

さて、久々に本を紹介。今村さんから頂いたこちらの本。

税金を払う人、もらう人―えっ!あなたは、どっち?
今村 仁

アスカ・エフ・プロダクツ 2005-01
売り上げランキング : 3,241

おすすめ平均
とてもわかりやすい本ですね。
すっきりしました
税金を払う人が立ち上がるべきに共感

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今村さんには独立される前からいろいろお世話になっている。今村さんの年齢を聞いたときの驚きは今も忘れない。自分より老けてる人に出会うこともめったにないので驚きよりも嬉しさのほうが先だったりしたけれど。

本書は今村さんのデビュー作。正直、大きな期待はしていなかった。(今村さんごめんなさい) でも、読んでびっくり。面白い。税金のカラクリやおかしい点、日本政府の思惑みたいなものをとてもわかりやすく説明してくれている。たとえ話もわかりやすい。あるときは市井の人々の納得を促し、政府への憤りを煽ったと思えば、別のところでは、合法的に税金の制度をもっとうまく活用する方法をこそっと教えてくれたり。会社経営に関わっている身としては税金については多分普通の人よりはいろいろと考えさせられることが多いわけだけれども、本書を読んでさらに一個人としても、日本国民としても税金についてもっと目を向けないとならないと考えさせられた。

ちなみに、今村さんは、マンション業界にも風穴を開けようと、「マンションってどうよ?」というサイトも運営されている。こちらは、マンション購入の情報格差の是正や流通の改革を目指した活動。マンション購入を検討されている方は覗いてみよう。

さて、ボクはかなりのヘビースモーカーなんだけれども、最近のJRの仕打ちにはどうかなぁと感じる。喫煙所が小さくなっていくのは世の常で仕方ないけれども、駅のそんな端にまで追い遣らなくていいんじゃないのと思うことが多々ある。京都駅の喫煙所は車両がとまる位置から随分と離れたホームの端っこにぽつんと置かれている。いくらなんでもそんな隅じゃなくても... 喫煙者の迷惑を考えるなら分煙所つくってくれりゃいいのに。(ドアの開き閉めのときに煙が外部に漏れるいから嫌だという話もあるかもしれないけど)
旧国鉄時代の借金って、タバコ特別税で返済してんじゃないのかい。それを考えるとJRの仕打ちってのは喫煙者にとっては納得できない仕打ちだ。

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2005/02/06 16:15

2004年12月06日

「性格」というのものはあるのか?

ボクは血液型などの性格診断はあまり信じていない。
性格診断みたいなものをあまり信じないのは、それを信じても自身に有利にならないということもあるが、一番大きいのは岸田秀に影響を受けたからだろう。

岸田秀は中学生から高校にかけてもっとも熱心に読んだ心理学者だ。中学の時に誰が買ったのかはわからないが家にあった「ものぐさ精神分析」を手にした。筒井ファンだったボクは、筒井の影響でユングやフロイトも齧りかけていた頃だったのだけれど、「ものぐさ」にはハンマーで頭を殴られるぐらいの衝撃を受けた。

彼に出会わなければ、フロイトもレインもニーチェも読んでなかっただろう。(と、暗にこういうものが好きだと主張しているのだけど)
哲学や心理学の扉を開いてくれたのは、彼の著書に出会ったことが大きい。彼の書くものはかなり極端なので、全面的にすべて受け入れているわけでもないけれども、ロジックの明快さと、わかりやすさ、何よりもその視点、立ち位置が面白い。

さて、岸田さんの代表作「続・ものぐさ精神分析」のなかに「性格について」というとても面白い分析がある。「性格」についての彼の考え方も、彼がずっと唱え続けている「唯幻想論」が土台になっている。結論から言えば、岸田さんは「性格」なんていうものが、ある人に固有の特性や特質として何かしらの実体として備わっているようなものではないと語る。

岸田さんは「性格とは当人の内側にあるものではない」と言い、こんな譬え話を持ってくる。

AとBとの二人の人間がいる場合、Aが気がひけてとてもできないようなことをBは平気でやれるということはある。そういう場合を見て、Aは、自分は気が弱いがBは気が強いと判断するのであろうが、逆の場合、すなわち、Bが気がひけてとてもできないようなことをAは平気でやれるという場合もあるのである。この場合、Aは自分が平気でやれることなので、別に「気の強い」ふるまいとは思わず、当たり前の普通のことをしているという気持ちしかなく、その同じことを、Bもやりたかったのだが、気がひけてがまんしたという事実は、Bの心のなかのことだから、Aには見えず、したがって、この後者のような場合がいくらあっても、Aの「自分は気が弱いが、Bは気が強い」という判断は変わらない。逆に、Bには後者のような場合は見えるが、前者のような場合は見えないから、Bもまた「自分は気が弱いが、Aは気が強い」と思っていることであろう。AとBとがたがいに相手を自分と同じように「気が弱い」と思っている場合があるとすれば、それは、Aが気がひけてできないことと、Bが気がひけてできないことが共通している場合にかぎられる。

(中略)

AとBとの人間関係が、AとBとの関係のなかでのAの性格とBの性格とを規定する。したがって、BにとってのAの性格と、CにとってのAの性格とは異なっている。もし、両者が似通っているとすれば、それは、AとBとの人間関係と、AとCとの人間関係が、たとえばA、B、Cの三者が同じ集団に属しているなどの理由から、似通っているからにほかならない。誰にとっても同じであるような、そして、もし異なった見方をする者がいればその者を理解が浅いとか、誤解をしているとか決めつけることができるような、普遍妥当なAの性格なるものは存在しない。したがって、「客観的に」性格を検査しようとするあらゆる性格テストは無意味である。

血液型による性格診断などで「気が弱い」と書かれていたとする。
これは実は誰にでも当てはまってしまう。なぜなら「気が弱い」という性質を「他の人に気を遣って自分の言いたいことが充分言えない、やりたことが充分やれない」というものだと考えるとき、逆に「他の人びとに全然気を遣わずに、自分の言いたいことはすべて言い、やりたいことはすべてやるという人がいるわけない」からだ(そんな人がいたら社会的に抹殺されているだろうと、岸田は言う)。つまり「あなたは気が弱い」と言われれば、たいていの人は心の裡では「そうだ」と思ってしまう。

「あなたは気が弱い」といわれたときに、「絶対に違う」と言い切れる人は、おそらく周りから「気が強い」ということを言われてきて、そういった外的評価をセルフイメージとして消化している人だろう。

ここでとりあげた話はさすがに少し極端すぎるところはあると思う。

例えば、ボクは猫を飼っているが、その猫の振る舞いや態度は明らかに今までボクが接してきた他の猫とは違っていて、それはその猫の「性格」というやつではないかと思う。岸田さんに言わせれば、それは性格ではなく本能に直結した「特性」なんてことを言うかもしれないし、飼い主側が猫にそういう性格を投影しているのだと言うかもしれない。でも、やはり性格のすべてが相手との関係で決定されるというのは、少し無理があるとは思う。人間の赤ちゃんでも自我が芽生え始める頃には明らかに一人一人違いがある。それは性格というものに起因している。すべて外部環境や他者によって規定されているとはどうしても思えない。

とは思いつつも、ボクは概ね岸田さんの考え方を受け入れる。

性格とか気質みたいなものが人間の特性としてまったくないとは思えないけど、しかし、それだけがすべてではない。むしろ岸田さんが言うように、実は大部分が他人との関係や、その関係を通じて共有された認識やら、そういったものによっていかにも類型的な性格があるように見えてしまうのではないか。

性格を何かしらのタイプでわけたり、分類したりすることが悪いことではない。岸田さんのように考えなければならないというものではなく、岸田さんは単に視座を提供しているにすぎない。しかしその視座を得られるとき、人や事物にたいしての接し方、考え方のは、ただ類型的な性格に基づいて人を判断するよりもずっと大きなものを得られる可能性がある。そこが重要だろう。「彼は気が弱い」とか「自分は気が強い」「怒りっぽい」と考える前に、その視点をずらしてみる。自身ではまったく気づいていないが、他者にとって自分の行動がとてつもなく大胆な行動に映っているものもあるかもしれない。逆に、ボクが気づいてないだけで「気が強い」と決め付けていたある人は、内心では自身のことを「気弱」だと考えているかもしれない。こんな風に考える視点を得られるだけで充分だと思う。

岸田さんのテクストは、安易に「客観的な性格」みたいなものを基準としてしまうような思考のあり方そのものを疑ってみよ、という警笛みたいなものとして受け入れるのが良いのではないか。たとえ岸田さんのテクストが本当だとしても、ボクらは人それぞれの多様性を多様性のままに受け入れることには耐えられない。「性格」というものがあたかも存在するものかのように扱い、類型化したくなるのは、そうしないと不具合があるからだろう。あの人の性格は温厚だ、とかあいつは怒りっぽいとか、そういう性格判断を行っておくこと、コミュニティの共同幻想としておくことが、「人づきあい」の潤滑油みたいに作用しているのだろう。

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2004/12/06 00:08

2004年12月04日

続・初めてのPerl - Perlオブジェクト、リファレンス、モジュール

久々にPerlをやってみることにした。
7、8年まともに書いたこと覚えがない。
創業当時はプログラムを書く人がいなかったということもあったし、個人的な興味もあったので、自分で1から書くってことも少なくはなかったけれども、いつしかまったくやらなくなった。

もう一度やってみようと思ったのは、「SPIDERING HACKS」や「BLOG HACKS」などのHACKSシリーズを手にしたからだ。
乗ってるサンプルコードをきちんと理解したいし、ちょっと手を入れたい。MTのプラグインも書いてみたい。あと、何かしらのテキスト処理なんかはPerl使えば随分楽になったりする。
たとえば、何百ページもあるサイトのTITLEやパンくず、Metaタグなんかは、別にテキストデータでこれらのリストをつくっておいて、最後に一気に入れ込んでしまったほうがミスは少ない。今は、VBSなんかでつくってもらったスクリプトで処理してたりするけど、僕はVBSがよくわからないので、改良するのも大変だ。Perlのほうが手を入れやすい。テキスト操作、処理はすぐれてるし、HTMLパーサ系のモジュールも豊富にそろってるから、サイトのデータを直接拾ってきてごにょごにょやるというにも楽だろうし。

しかし、なんかえらく進化してるなぁと。モジュール関連の充実度はすごい。

当時はモジュールなんて使うことはほとんどなかったんで、このあたりの知識はまったくない。ということで...
さっそく「続・初めてのPerl - Perlオブジェクト、リファレンス、モジュール」を購入。
効率が悪いことは百も承知で頭からとりあえず読む。いきなりようわからんことだらけだ。
8年の遅れを取り戻したし!

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2004/12/04 23:10