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2004年08月12日

EQリーダーシップ 成功する人の「こころの知能指数」の活かし方

EQリーダーシップ 成功する人の「こころの知能指数」の活かし方
ダニエル ゴールマン, リチャード ボヤツィス, アニー マッキー, 土屋 京子

久々に読み返してみた。大流行した本なのでいまさらという感じもするけれど。

EQとは本書のサブタイトルにもあるように「こころの知能指数」のこと。優れたリーダーシップにはEQが不可欠であるということ。いわばリーダー論だ。リーダーの影響力、組織をひっぱっていくリーダーの理想のタイプ、リーダーのEQを高めていくには?というようなことが、ちと怪しげな大脳生理学なんかの事例や著者らの調査データに絡めて語られる。が、述べられていることは至極まともなことで異論はない。科学的、客観的な裏づけがなくったってEQみたいなものが組織活動に与える影響が少なくないということは身をもって体験している。

企業風土(その企業で働くことについて社員がどう感じているか)は業績を二十から三十パーセント左右する力を持っている。
(略)
企業風土を左右するものは何か? 従業員が何から企業風土を感じ取るかを追跡してみると、五十ないし七十パーセントが「リーダー」という一人の人物の行動に起因していることがわかる。リーダーは、他の誰にもまして、従業員の働きぶりに直接的な影響を与える存在なのだ。(P.33)

これはかなり信憑性がある。駄目なリーダーによって何十人というスタッフがやる気をなくしていった様をマジかに見たことがあるからだ。みんな熱意を持って入社してきたにもかかわらず、数ヶ月もすると会社への不満しか出てこない状態になる。業績も思うようにあがらない。悪循環。

本書のなかでは6つのEQリーダーシップスタイルがあげられている。
ビジョン型、コーチ型、関係重視型、民主型、ペースセッター型、強制型だ。

78ページにそれぞれのスタイルの特徴が簡単にまとめられているのでそのまま掲載しておこう。自分はどのタイプに一番近いのか、どのタイプのスタイルを志すべきか。それぞれのリーダーシップスタイルには、必要なコンピテンシーがある。

ビジョン型
<<共鳴の起こし方>>共通の夢に向かって人々を動かす
<<風土へのインパクト>>最も前向き
<<適用すべき状況>>変革のための新ビジョンが必要なとき、または明確な方向性が必要なとき

コーチ型
<<共鳴の起こし方>>個々人の希望を組織の目標に結びつける
<<風土へのインパクト>>非常に前向き
従業員の長期的才能を伸ばし、パフォーマンス向上を援助するとき

関係重視型
<<共鳴の起こし方>>人々を互いに結びつけてハーモニーを作る
<<風土へのインパクト>>前向き
<<適用すべき状況>>亀裂を修復するとき、ストレスのかかる状況下でモチベーションを高めるとき、結束を強めるとき

民主型
<<共鳴の起こし方>>提案を歓迎し、参加を通じてコミットメントを得る
<<風土へのインパクト>>前向き
<<適用すべき状況>>賛同やコンセンサスを形成するとき、または従業員から貴重な提案を得たいとき

ペースセッター型
<<共鳴の起こし方>>難度が高くやりがいのある目標の達成をめざす
<<風土へのインパクト>>使い方が稚拙なケースが多いため、非常にマイナスの場合が多い
<<適用すべき状況>>モチベーションも能力も高いチームから高レベルの結果を引き出したいとき

強制型
<<共鳴の起こし方>>緊急時に明確な方向性を示すことによって恐怖を鎮める
<<風土へのインパクト>>使い方を誤るケースが多いため、非常にマイナス
<<適用すべき状況>>危機的状況下、または再建始動時、または問題のある従業員に対して、


うちの場合どうだろうか。組織としては「関係重視」から「民主型」に近いリーダーシップスタイルだろうか。部門やグループによって多少の違いはあるだろうが、全体としてはそうかもしれない。「関係重視型リーダーにとって、部下の感情面のニーズは仕事の目標以上に重要だ」。このリーダーシップスタイルにとって必要なEQコンピテンシーは「紛争解決」。意見の相違を解決する能力だ。関係重視型をとるリーダーの多くは、ビジョン型アプローチを併用する。この二つがあわさるとかなり強力だ。

社長は「民主型」を好む。上から一方的命令はしない。何をしていくにも同意と深い理解(うわべだけじゃない、背景も含めた理解)を大事にし、可能なかぎりスタッフの意見をとりいれようとするスタイルだ。デメリットもある。スピードだ。トップダウンによる決定ではないので、かなり回り道をする。回り道はするけれども、今のところ「こっち」のやり方のほうが強い組織になっていっているような気はする。

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2004/08/12 10:00

2004年07月08日

ペーパープロトタイピング

ペーパープロトタイピング 最適なユーザインタフェースを効率よくデザインする
Carolyn Snyder , 黒須 正明


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なんか本の紹介するの久々な気がする。
ペーパープロトタイピングってのは、うちの会社でも普通にやってたりするけど、この本に詰まってるノウハウは、今まで自分がやっていたペーパープロトタイピングの方法をもっと洗練させ、もっと効果的にしてくれるだろう。もっと早く知っときゃよかったと思うところがけっこうあった。

ちょうど1年ぐらい前か。大規模なイントラネット系のシステムのインターフェイス設計やらに関わったことがある。あの仕事のとき、この方法を知ってたらもっと楽になったんじゃないかと思う。
ペーパープロトタイピングをうまく使えば、スパイラル型の開発が行え、少ない投資で初期段階での設計ミスや穴を防ぐことができる。今、やっている案件でもさっそくこの手法を取り入れてやってみよう。

設計に従事する人にはオススメ。

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2004/07/08 20:05

2004年06月01日

「葉桜の季節に君を想うということ」

ミステリーでも特に推理小説と呼ばれるようなジャンルは、文学というカテゴリーではなぜか少し低いレベルで見られているんじゃないかと思うことがある。国語の教科書に推理小説が出てきたことはまずない(実は調べたことはないのでもしかしたらあるのかもしれないけど)。それは一部だけ切り取っても意味がないからという理由からだけではない。一部だけ切り取って意味があるのかないのかで言えば、普通に教科書に取り上げられる文学作品も一部を読んだり理解したりしたとしてもあまり意味はないのではないかと思う。せいぜいその小説に興味を持ったり、あまり必要もないレトリックを覚えたりするぐらいが関の山だろう。

推理小説がそのような扱いを受けるのはひとえに、その形式の特殊性ではないかと思う。推理小説においては事件の真相や真犯人といったものにすべての文学的な形式や環境が捧げられる。いかにして大胆なトリックを考え付くか。そのトリックを注意深い読者に気付かれずしのばせ、そして最後に華麗な解決につなげるか。これらがすべてといってもよく、主人公の内面や、作品におけるメッセージや意味といったものはほとんど無視される。(ちょっと語弊があるかもしれないけれど。もちろん推理小説にだってきちんと心情や内面や主義や主張を織り交ぜたものは多くある)

例えば、「純文学」では風景描写には、今の主人公の内面・心情が現されていたり、今後のストーリーの方向を示唆する気分的な意味が込められていたりするが(ってそういう小説の反動がポストモダン小説なんだろうけど)、推理小説では、それと同じような意味をもっている描写であっても、読み手からしてみればすべては何かしらのトリックの素材として機能しているのではないかという疑いの目で読まれる。当然ながら書き手もそういった読み手の自覚には神経を配り、何でもないことをさも意味ありげに書いて惑わせたり、あるいは物凄く重要なことを読者が見落とすように巧妙な策を講じたりということが繰り広げられる。

より重要そうな意味やメッセージみたいなものは、推理小説というジャンルでは「トリック」という大きな意味に格納されてしまいそこから抜け出せない。

というようなところが推理小説というジャンルが低くみられる要因なのではないか。しかし、考えてみれば、何か意味や真理みたなものが高尚なもので、それを文学という形式で表現することが価値あることだ、と考えること自体がおそろしく低俗だったりするのではないだろうか。
下手に「純文学」気取るよりは、推理小説という意味や真理を無効化するような制度と枠組みのなかで、書くことを真剣に考えている作家のほうが、かもすればよほど文学という表現形式であることに自覚的で意欲的かもしれない。

推理小説においては、文学という形式を選択することそのものが「トリック」を構成する要素になることがある。いや、ここ近年の本格派と呼ばれるような人達の書くものには、虚構内での環境・状況のみに依存したトリックから、小説であることや、小説としての手法や形式そのものをトリックとして利用するケースが多々見受けられるようになった。筒井康隆の「ロートレック荘殺人事件」、綾辻行人の「十角館の殺人」、貫井徳郎の「慟哭」など。また竹本健二をはじめとするメタ小説類なども推理小説という形式からの小説の存在根拠の問いかけをはらんでいると言えるだろう。これらの小説はおよそ映像化しようがない。小説であることそのものがトリックを構成する重要な要素となってしまっているからだ。

一人称で語るのか、三人称で語るのか、どのような語り口を選択するのか、会話文と地文の処理は? どう章を展開していくのかなどなど。小説におけるありとあらゆるものが、トリックのタネとして考察され利用される。それこそそのうち本に付く帯や表紙などもトリックの材料として使われだしかねない勢いだ(確か、綾辻の館シリーズの何かで、一部そういった実験的なトリックが使われていたものがあったことは記憶しているが、なんだったかは覚えていない)

推理小説はこういったある一点の真理のために全てが捧げられてしまうというそ特殊性が備わった文学だ。ある意味推理小説には「無駄」がまったくない。「無駄」もトリックの一要素として意味を持ち始める。これはすごく特殊な形式だなぁと思う。

葉桜の季節に君を想うということ
歌野 晶午

おすすめ平均
絶対にだまされます。
私もやられてしまいました!
素直な心で読めばダマされますが、「大仕掛け」以外の部分をむしろ評価したい

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歌野晶午のこの小説はミステリーファンからはかなり高い評価を受けた作品のようだけれども、まさしく推理小説というジャンルの特殊性を全面的にトリックとして使ってしまおうという貪欲さが伺える作品だ。

歌野晶午という作家は実はデビュー作からの三部作しか読んでいない。少なくともデビューから三作品はいわゆる「新本格」の作品だったと思う。大胆なトリックを仕掛けること。読者との純粋な推理ゲーム。実は「長い家」も「白い家」もそんなに強い印象は残ってなくて、同時期に読んだものとしては綾辻の「館シリーズ」や、法月倫太郎の密室シリーズのほうがよほど面白かった印象がある。どうも歌野昌午は文章が下手という強い印象が残っていたりして、特に推理小説マニアでもないので追いかけてこなかった。
ここ最近のものを読んでいないのでなんともいえないけれども、この小説では明らかに小説が小説たらんとする前提を大きなトリックの素材として使っている。
これが「本格」なのか「邪道」なのかは置いておくとしても意欲的な試みであることは確かだろう。

ただ、正直読み終わっても「やられた」という感情は残るけれども、それ以上に強い空しさが残る。「犯人探し」=「真相探し」に費やされた読書体験・時間がほとんど意味のなきものとして貶められてしまう感覚を覚えるのだ。

「慟哭」を読み終わったときにも感じたことだけれども、これらレトリック・トリックは、確かに小説でしかできないことを突き詰めてはいるけれども、でもこれは小説ではなくもしかするとマジックとか、そういう違うジャンルのものと比べられるものになってしまってるんじゃないかという気がした。
もともと推理小説というジャンルが背負う閉塞感。それを打開しようという試みの一つとして生まれてきたのではないかと思われるレトリック・トリック。しかし、レトリック・トリックはますます推理小説の閉塞感を強めたような気がする。

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2004/06/01 22:52

2004年05月16日

7つの習慣:相互依存のパラダイム

「7つの習慣」を読み返していて、ふと、ニーチェの「運命愛」という言葉を思い出した。ニーチェは人生を他人や環境や状況のせいにせず、自身が創り出したかのように受け入れよと言った。それが「運命愛」であると。

第一の習慣に「自己責任の原則」があったり、「7つの習慣」は多分に禁欲的な道徳規範を説いているようではある。ニーチェは道徳を弱者の思想として批判しているけれども、ニーチェが批判した道徳と、「7つの習慣」で語られる原則や倫理といったものは全然違うものだ。初めて「7つの習慣」を読んだときに僕が感じていた違和感とか、胡散臭さとかそいういうものは、どうもここで語られることがルサンチマン(遡及すればルサンチマンに行き着くキリスト教的な道徳規範として)でしかないんじゃないかということだったのかもしれない。でも、それはかなり大きな誤解だったのではないか。 「7つの習慣」はどちらかといえば意志と力の問題を扱っている。弱者の抜け道ではなく、ニーチェに習って言うならば超人への道を語っているのかもしれない。まだ自分でもよくわかってないけど。

さて.... 第一から第三までは私的な成功を築くための習慣だった。第四の習慣からは私的成功の土台の上になりたつ「公的成功」がテーマとなる。 さて、私的な成功は「自立」という基盤になりたっていた。まずは「自立」。では「公的成功」とはどのような基盤になりたつか。「自立」より高次のパライダムとして著者は「相互依存」という概念を考えている。「自立」の次は「相互依存」だ。

第四の習慣に入る前に、著者はあえて「相互依存」ということについてより詳しく説明を置いている。それはこの考え方が第四以降の習慣のベースとなる思考法だからだ。

「相互依存」という新しいパラダイムを得るためのキーワードとして登場してくるのが「信用残高」という言葉だ。この言葉も後半に頻繁に出てくる言葉なので記憶しておかなければならない。

信用残高とは、ある関係において築かれた信頼のレベルを表す比喩表現であり、言い換えれば、その人に接する安心感ともいえるだろう。(P.270)

私たちは日々の生活、人々との関係において「信用残高」の預け入れを心がけておかなければならない。人と人との関係において魔法は存在しない。地道に残高を積み立てていく努力しかないのだ。

さて、信用残高を増やすためには、ということで著者は以下の6つをあげている。

(1)相手を理解する
ここに「人は自叙伝に照らしてみて、自分は他人のニーズや欲求が分かっていると思い込むことが多い。つまり、他人の行動を自分の考えやパラダイムを通して解釈するのだ」(P.276)という一節があって、身につまされるものを感じた。

ついつい自分の都合の良い状況や昔の自分に重ね合わせて解釈してしまうってのはよくあることだ。ニーチェだったかヴィトゲンシュタインだったか忘れたが「事実はない。あるのは解釈だけだ」というようなことを言ってたけれども、私たちはまず、自分達の解釈が偏ったものであることを認めないといけないのではないか。

安易に、自身の解釈を拡張して、その解釈のなかで人を解釈した気になるのではなく、まずもって私の見ている、感じている、考えていることと、他人のそれとは違うのだということを前提として意識しなければならない。それでも相互理解に達する道はあるのだという強い意志をもってコミュニケーションに望まなければならないのではないだろうか。

(2)小さなことを大切にする

(3)約束を守る

(4)期待を明確にする
「人間関係におけるほとんどの問題は、役割目標を取り巻くあいまいな気体、あるいはお互いの期待像に端を発している」(P.281)

(5)誠実さを示す
「「正直」とは真実を語ることである。つまり、言葉を現実に合わせることである。それに対して「誠実さ」とは、現実を言葉に合わせることである。つまり、約束を守り、気体に応えることなのだ」(P.233)

(6)(信用残高の)引き出しをしてしまったときは、誠意をもって謝る
「人は間違いを許してくれる。なぜなら、間違いは往々にして判断を誤ったために発生するものだからである。しかし、人は心のあり方の間違いを容易に許そうとはしない。不正な動機や最初の間違いを正当化しようとし、それを隠そうとする傲慢さっは、全く違う次元の間違いなのである」(P.289)

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2004/05/16 22:59

2004年05月13日

マネジメントの正体

マネジメントの正体―組織マネジメントを成功させる63の「人の活かし方」
スティーブン・P. ロビンズ, Stephen P. Robbins, 清川 幸美



おすすめ平均
使える一冊
世間一般のマネジャー向けの本ととらえれば、充分いい本なのでは
読みやすく、堅くない

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このブログのコメントで教えてもらった「マネジメントの正体」を新幹線の中で読んだ。本書は63の短い章で構成されている。さらに章は大きく10の領域に分類されている。

1.採用
2.モチベーション
3.リーダーシップ
4.コミュニケーション
5.チーム作り
6.衝突の処理
7.職務設計
8.業績評価
9.変化への対応
10.行動

この10の領域を見ても、本書がマネジメントという問題を俯瞰的に、総合的に扱っていることがわかる。これがMECEかどうかはわからないが、少なくともマネジメントについて課題なりえるほぼすべての領域がカバーされているとは思う。

頭から読み進めても良いだろうし、この10の中から今関心のある領域のところだけを読むのも良いだろう。ページをめくっていって気になるタイトルの章だけを拾っていくのでも良いかもしれない。とにかくどんな読み方でもいいけれどもマネジメントという問題、課題に直面している人はぜひ手元に置いておきたい。そして何度も読み返したい。そんな本である。

コメントの中で例としてあげて頂いた「ほとんどの場合、生産性の高い従業員が充実感を抱くのであり、その逆ではない」という言葉はCase13「部下が仕事に満足しない理由」に登場する。この考え方にははっとさせられた。

多くの企業が従業員の仕事に対する満足感を高めようと努力している。福利厚生やフレックスやらと働き安い環境、魅力的な環境を提供しようと務めている。しかし、満足度を高めても生産性が向上するという相関性はない。

生産性が高まるから満足するのであって、その逆ではないらしい」というのが真実のようだ。生産性が高ければ褒められる機会が増え、給与レベルも上がり、仕事に対する充実感も抱ける。これが満足度につながるのだ。

この考え方は、形を変えて何度か本書のなかに登場する重要な考え方だ。
例えば、Case22「認めてあげると人はやる気を出す(おまけにお金もかからない!)」や、Case40「行動は言葉に勝る」、Case60「感情が行動を導くのか、行動が感情を導くのか」といったところで語られることにも関連していることだだろう。

満足度を高める方法に注力するのではなく、生産性を高めることに力を注ぐ。たとえば、「訓練にもっと費用をかける、職務設計を改善する、もっとよい設備を用意する。そして、優れた能力を持つ従業員にとって何か障害があればそれを取り除く。」

1章1章はものすごく短いけれども、マネージャーにとっては珠玉の言葉がつまっている本だ。

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2004/05/13 09:46