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2007年03月11日

"ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実" (ジェフ・エメリック, ハワード・マッセイ)


"ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実" (ジェフ・エメリック, ハワード・マッセイ)

本書の紹介そのままんま使うと、
「1966年「リボルバー」から1970年「アビィ・ロード」まで、ジョージ・マーティンと共に、ビートルズのレコーディング現場にいた唯一人のレコーディング・エンジニア「ジェフ・エメリック」
が語った真実がここにあるらしい。

んなこと言われてビートルズファンのボクが読まないわけにはいかない。

ボクはビートルズが大好きで、この好きというのは、単なる楽曲が好きというレベルを超えて、その楽曲が生まれてきた背景、そのアレンジや生み出される過程、そしてバンドメンバーの確執やらといった、ビートルズを構成する様々な断片的な物語も含めて好きであり、そしてまたそれをある意味、知り尽くしたいと思っているファンの一人だ。
なので、ビートルズに絡む本はかなりの数を読破してる。
そのなかでも特にサウンド研究本は好きなジャンルの一つだ。

そんなボクにとっては本書は涎ものの一冊。すでに別のところで読み聞きして知っていたことも多かったのだが、細かくまで把握できてなかったレコーディングの裏側を伺い知ることができ、かなり興奮した。

確かに、本書内では、ジョージ・マーティンをかなりバカにしてるし、ポールの持ち上げ方とは裏腹に、ジョンやジョージはかなり辛辣だ。ポールはすばらしいミュージシャンであり、センスも最高で、また人への気遣いなどもできてて、実質のビートルズのリーダーだった、みたいに褒めちぎってるのだが、他のメンバーへはかなり厳しい。
ジョージなどはこれだけを読んでいると、ギターリストとしてはどうしようもないし、性格的にも問題ある最悪の男になっている。ジョンの気まぐれさも、いろんなところで語られてはいるので、大方そうなのだろうとは思うけれども、本書で描かれるその傲慢ぶりにはちょっとあきれてしまう。

こういうメンバーなどの描写については、かなり主観的なところも入ってるのだろうとは思うし、読んでいてあまり気持ちのよいものではない。
が、しかし、それでも本書はビートルズの音楽の秘密を少しでも探りたいと思うものなら読んでおかなければならない。ビートルズのサウンドメイキングの秘密、あの魔法が生まれる瞬間が描かれてるからだ。「魔法」を描いた本も何冊も読んできてはいるけれども、レコーディング現場の生々しさでは、やはり本書が一番だ。

ちなみに、ビートルズのサウンド研究本としては、日本の偉大なるビートルズ研究家チャック近藤氏の「ビートルズサウンド大研究」はぜひとも読んでいただきたい。ビートルズの公式発曲213曲(214曲との説もあるが)+「ree As A Bird」と「RealLove」の計215曲の聞き所、弾きどころを解説している希有な本。


"ビートルズサウンド大研究(上)" (チャック近藤)


"ビートルズサウンド大研究(下)" (チャック近藤)

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2007/03/11 17:01

キミがこの本を買ったワケ


"キミがこの本を買ったワケ" (指南役)

タイトルからして自己言及の迷宮に誘い込む仕掛けになっている。
この本を買わないと、この本を買ったワケはわからないが、この本を買うのは「この本を買ったワケ」を知りたいからだ。そして表紙絵もそう。表紙絵でこの本を持っている男性。その本の中には、同じく男性がこの本を持っている。そしてその男性が持っている本にもこの男性が本を持っていて、、、という具合にエッシャー的な世界が続く。

一遍一遍は短く簡潔にまとめられたコラムのような構成なのだが、これが結構面白い。うん、うん、確かにそうだな。ははぁん、と言われてみれば確かにそうだよなぁということが満載だ。

「実は口コミで買ったことがない理由」なんていう見出し。昨今のマーケティング業界じゃ「口コミ」「バイラル」が最も注目されている。それのまったく逆を行くようなこの意見。でもこれも言われてみれば確かになぁと思える。
友人が貸してくれた本なんて読まないでしょ、という最もな指摘や、アンケートやインタビューの際に答える側は、相手の意図を読み取った回答をするものだという考え方。身の回りのモノで友人に薦められて買ったものがありますか? うーん。確かに。マックも、車も、ケータイ電話も、冷蔵庫も、電子レンジも、机も、ガスヒーターも、、、 友達に薦められたから買ったものは一つもなかった。
なるほど。(でも、最終決定の前に、肩を押してもらったものはいくつかあるけどな)

さて、本書のなかで面白かった話を1つ。マジシャンのデビッド・ブレインの話。
以下の文章を読みながら、あなた自身も数字を思い浮かべてみて欲しい。

「1つお願いがある。50までの数字から1つ思い浮かべてほしい。あっ、難しい数字がいいな。2桁で。そうだ奇数だ、どちらの数字も奇数がいい。ゾロ目は駄目だよ。それに切りのいい数字もダメだ。とにかく難しい数字、割り切れない数字がいい。1の桁と10の桁が異なる奇数だ。いいかい? 思い浮かべた?」


その答えは。。。「37」だ。どうだろう? まんまと37を思い浮かべた人も多いのではないだろうか。
これをボクはこの前実際にやってみたのだが、1人はまんまとはまった。

確かに本書にでてくる「魔法のヴェール」というものはあるんじゃないかと思う。50までの難しい数字。奇数の並び、というと、多くの人がなぜか37を思い浮かべるそうだ。外人のマジックとして成立するということは、この感覚は万国共通ということか?

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2007/03/11 16:09

2007年02月17日

ある広告人の告白 デイヴィッド・オグルヴィ


"ある広告人の告白[新版]" (デイヴィッド・オグルヴィ)

広告界の巨人、デイビッド・オグルヴィ。この業界にいると、この本のことはちょくちょくは耳にする。一度は読んでみたいと思っていたところ、ようやく「新版」として再販されたので、さっそく手にしてみた。

1964年に出版されたとは思えないくらい、ここに書かれてあることは今でも通用することが多い。特に、インターネットの発達でダイレクトコミュニケーションを手軽に手がけられるようになった今、科学的なリサーチに基づき、常に「売れる」広告をつきつめた彼の一言一言は、当時よりもずっとリアルに迎え入れられるのではないか。
昨今はやった神田さん系のダイレクトマーケティングノウハウの大部分がすでに本書につまっている。

オグルヴィは「偉大な広告」をこう定義する。

よい広告とは「広告自体に関心を集めることなく」商品を売る広告である(中略)。見た人に「なんて気の利いた広告だろう」と言われるのではなく、「これは知らなかった。この商品を試しみなくちゃ」と言われるような広告だ。

広告はあくまでも商品やサービスに注目を集め、関心、興味を呼び起こすためのものだ。別のところでオグルヴィは賞をとるような広告が良い広告というわけではないというようなことも言ってる。今の広告業界では「賞」が一つの権威になっていたり、「クリエイティブ」という言葉が、アイデンティティ強化の合い言葉のようになってたりする向きもあるが、そんな状況を予見しているかのようでもある。
これは「ウェブサイト」でも同じようなことが言えるだろう。「ウェブサイト」のインターフェイスやデザインや機能面ばかりが前景化するものではなく、そのウェブサイトを通じて、商品やサービス、会社の魅力が伝わる、ボクらがつくりたいウェブサイトというのはそういうものだ。「評価者」が見ても、なんの面白いとこもない。でも、実際に利用者が、課題をかかえて使うと、なんの疑問やひっかかりもなく、その課題を解決できる。そんなウェブサイトをつくりたいと思っている。

さて、本書内には「効果的なヘッドラインの書き方」から「人を惹き付けるイラストレート法」まで、広告制作における作法、ルールなどが満載で、どれもこれも忘れずにメモしておきたいことばかりなのだが、すべては書ききれないのでこれだけを取り上げておこうと思う。

成功する「広告キャンペーン」のために守らなければいけない11の掟というものだ。

  1. 重要なのは、「どう」言うかより「何を」言うかだ
  2. 素晴らしいアイデアを中心に構築されていないキャンペーンは失敗する
  3. 真実を述べよ
  4. 人を退屈させておいて、ものを買わせることはできない
  5. 礼儀をわきまえること、しかしおどけてはいけない
  6. 現代的な広告を作れ
  7. 委員会が広告を批判するのはかまわないが、広告を作らせてはいけない
  8. 運よくよい広告が作れたら、効果が薄れるまで繰り返せ
  9. 家族に読ませたくないような広告は絶対に書くな
  10. イメージとブランド
  11. 模倣者になるな

どの言葉もストレートに広告マンとしての矜持が伝わってくる一方、実は広告制作において非常に大事なことがコンパクトにつまっているコピーだ。特に、この1。「何を」言うかが大事という、この一言は重い。広告の形式や表現にとらわれる前に、まず「何を」言うべきか、「何を」伝えなければならないか、「何を」消費者に約束するのか。これもウェブ構築だって同じだ。どんな技術や表現や構造を採用するかというよりもまず、「何を」言うか、そこをしっかり考えなければならない。

あ。そうそう。ワンダーマンの本も新版として再販になってるようなので、こちらもあわせて読むと良いかもしれない。こちらも名著。ただ、こちらはより自伝著的側面が強いけど。ただ、ここで描かれた広告手法や考え方も今では定番になったものばかり。そのルーツを知ることができる。もちろんそれは今でも充分に通用する手法が多い。


"ワンダーマンの「売る広告」" (レスター・ワンダーマン)

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2007/02/17 10:55

2007年02月12日

ヒット率99%の超理論


"ヒット率99%の超理論" (五味 一男)

Amazonの書評ではやたらよかったので買ってみたのだが。
元来、ボクはこの手の本が嫌いだ。内容の大半が本書で提唱される「理論」を学ぶためのトレーニングのための設問と、考え方、回答例で占められている。回答といっても「正解」があるわけでもないので、設問に必死で考えた後に、答えをみたところで、なんとなく煮え切らない。いつもなら多分買わない本なのだが。

「五味理論」とは『1000万人以上に支持される新しい商品やサービス』を生むための理論である。
著者の五味さんは、数々のテレビ番組を当ててきた視聴率男。彼がなぜそれほど成功できてきたのか、たまたまが続いただけなのか? いや、違う。それはこの理論があったからだそうな。

という出だしを読めば、早くこの理論が知りたいと思うだろう。
では、その理論とは何か、それは「大衆の心の奥底に眠っている「こんなものがあったらいいな」という欲求」を形にしてやることだという。顕在的なニーズだけに目を向けるのではなく、潜在的なウォンツやニーズを探り当てよう、ということだ。この辺のことは何ら目新しさはない。よく言われることだ。ウォークマンが登場するまでは、誰も通勤や通学中に音楽を楽しみたいなどと思ってなかった。ウォークマンがそういうウォンツを生み出した。
著者はこれを「先取りマーケティング」という言葉で説明する。

そして、「先取りマーケティング」ができるようになるにはどうしたらいいか?

それは、「自分の頭の中に、1000万人以上の人びとが持っている普遍的な感情をイメージする」ことらしい。

がくっ、、、 え。「1000万人以上に支持される新しい商品やサービス」を生むために、「1000万人以上の人々が持っている普遍的な感情をイメージする」って、、、言い換えててるだけじゃないのだろうか。答えになっているのか、これは。

さて、中盤以降は、この「感覚」を身につけるための練習問題だ。
この設問がけっこう面白くて、ボクは風呂に入りながら考えを巡らせてみた。例えば、こんな感じだ。
「1000万人の「窮屈」を解消する、新しいサービスを考えなさい」もちろん、これを考える時も、「1000万人の人々」を意識して考えなければならない。

「窮屈」ですぐに思い浮かぶのは満員電車。満員電車を解消するにはどうしたらいいのか、二階立て電車、「めちゃ掛けハンガー」のロジックを利用して、社内に段差をつくる、というようなことを考えてみた。これだけだとあまりにも普通なので、別の「窮屈」を考えてみる。
居心地が悪い、靴のはきごこち、校則... 空間的、精神的、時間。。。窮屈なものはけっこうある。
こういう一人ブレストみたいなのは、普段はほとんどしないので、良いきっかけではある。

回答を見てみると、なんだ、「満員電車」「二階建て」がそのままでてた。別に模範解答というわけでもなく、1000万人ということを考えると、「満員電車」に行き当たるのは誰でもそうだろう。五味理論としては、突飛なアイディアを出すのではなく、1000万人の普通の人々が望むものを見つけるということを重視するので、こういうド直球のアイディアのほうがむしろ好ましいわけだ。

「今までありそうでなかったITビジネスのスタイルを考えなさい。」
この設問にはかなり悩んだ。全然思い浮かばないのだ。ただ突飛なアイディアなら浮かぶのだが、「1000万人」を考えると、どれも駄目。「スタイル」という言葉からも、ビジネスモデルじゃなくて、どうも「働き方」とか、そういうものをイメージしてしまう。

結局、何も思いつかず、回答例を見る。
回答例。
「欲しい情報がなんでも100%手に入る検索」ポイントは「なんでも100%」というところだ。
うーむ。確かに1000万人以上が欲しいだろうな、アイディアなので実現性は問わないのだが、、、しかし。。うーむ。これでいいのか。こういう単純なところが思いつかないから駄目なのか。。。

という感じの、どうもボクにとっては煮え切らない一冊であった。

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2007/02/12 18:47

2007年02月11日

レバレッジ・リーディング


"レバレッジ・リーディング" (本田 直之)

たくさんの本を読みたいというのは、多くの人が持つ欲求のようで、毎年のように新しい速読術の本が生まれている。やはりそれなりに売れるからなのだろう。 ただ、速読ってのは難しい。誰もができるわけではない。独自の視線の動かし方など、トレーニングが必要なものが殆どだ。誰もができるわけではない。(たいていの本は「誰にでもできる」と書いてあるのだが) しかし、本書の「レバレッジ・リーディング」は誰もができる。「レバレッジ・リーディング」は「速読」ではない。「多読」法だ。早く読むのではなく、必要な箇所だけを読む。読む場所を絞る。だからどんなに読むスピードが遅くてもできる。読む箇所を減らせばいいからだ。

確かにここで書かれているような読み方というのは、ビジネス書に限っていえば有効かもしれない。目的をしぼって、時間を決めて、とにかく自分が求めるものだけを拾って読んでいく。その時の自分にとって必要な箇所や重要と思えるところにはどんどん線を引き、折り目(「犬の耳」)を入れていく。読み終わったら、線を引いた箇所などをメモにまとめて、そのメモを何度も読み返す(「レバレッジ・メモ」と著者は呼ぶ)。

ビジネス書類というのは、読むことが目的ではなく、その内容から、自分に必要な知識やヒント、励ましなどを得るために読むことが殆どだろうし、その意味では、この方法は決して間違いではないとは思う。
著者は、本ぐらいに確実な投資はないと説き、可能なかぎりたくさんの本を読むべきだと主張する。この主張にはボクも全面賛成なのだが、しかし、ボクはビジネス書ばかりを読むというのもどうなのかとは思う。

いわゆる小説や詩、戯曲などの文学なども読むべきだろうし、自然科学系の本、哲学や思想、心理学などの本と
できるかぎり幅広いジャンルの本を読んだほうがいいのではないかとボクは考えている。やはり、ビジネス書というのはそれはそれで偏っていたりするのではないか。

そして言うならば、文学や哲学書などは、まったくこのような読書方法には向いていない。というか、そんな風に読んでしまったらなんの意味もなくなってしまう。文学は「読む」ことそのもの、その体験そのものの中にも価値がある(とボクは思っている)。哲学書なども、読むことが考えることに直結している。だからこれらの本を「必要な箇所だけを選びとって読んでみたところで、それには意味がない。そういう読み方がしたいのであれば、小説ならストーリーの要約本や、哲学ならその哲学者の解説、研究本を読めばいい。(ボクはそういう要約本類はそれはそれで別の価値があるのだろうとは思うが、基本的にはあまり好きではない。)

さて、ボクにはボクなりの「レバレッジ・リーディング」法というのがある。ボク自身もビジネス書に限って言うとだいたい2日に1冊ぐらいのペースでは何かしらの本を読んでいる。読み方は、ここで著者が言う方法と大きく変わるところはない。本は借りたりせず、とにかく買う。きれいに扱おうなんて思わず、ガンガン線を引く。折り目をつける。

しかし、大きく違うところがある。

著者はまずしっかり目的を持って読書に挑もうと言う。しかし、いちいち目的を考えて本を手にとるのは面倒なのだ。なんとなく面白そうとか、これはちょっと読んでおきたいな、ぐらいの軽い気持ちで手にとる本だって決して少なくない。

では、どうするか?

ボクはビジネス書などを読むときは、まず、人に教えたり、自慢したりしたくなる箇所か自分の仕事ですぐに使えそうな箇所を探す。これが「目的」だ。毎回本ごとに目的を決めたりはしない。とにかく人に言いたくなるか、自分が使いたくなる処を探して読む。(もちろん「目的」があるなら、その目的をかなえる箇所を探していけば良い) 該当箇所を読んでいるときには、人に話しているイメージや、それを利用しているイメージを思い浮かべながら読む。

読み終わったら、忘れないうちに人に話す。最初はうまく話せないけど、話しているうちにだんだんと自分のものになっていく。ボクは面倒くさがりなので、メモを起こすなんてことはなかなかできない。だから、人に話す。人に話せば、結構覚えていくものだ。メモに比べれば、取りこぼしは多いだろうけれども、手間もかからないし、人に話すということで徐々にその知識やノウハウが「使える」ものになっていく。

そういえば最近ブログで書評なども書いてなかった。紹介する本はかなり気まぐれ。選ぶ基準も曖昧で、気分が乗ったら書くという軽い気持ちでやっている。これはこれでなんの問題もないのだろうけれど、でもブログを「レバレッジ・メモ」代わりに使うという方法もあるなぁとふと思った。
どうもブログで本を紹介するとなると、それはそれできちんとした文章にしなければならないので(なっていないことが多いのだけれど)、やはり気を使う。時間もかかるし、面倒くさい。なのでなかなか全部の本を取り上げられない。
でも「レバレッジ・メモ」なら、ただ本のなかで線を引いた箇所などを書き写すだけだし、自分にだけ理解できればそれで充分なのだから、「書評」なんかよりは圧倒的に楽だろう。

わざわざ、ブログに書かなくてもいいのではないかという意見もあるだろうが、ブログに書くとどこの環境からでも見られるし、検索もできる。あと、このブログを読んでる人のほとんどが社員なので、本に興味を持つてもらえるというのもメリットだ。わざわざメールでこの本が面白かったよ、と全員に語るわけにもいかないし。

が、しかし、そうはいってもやはり「レバレッジ・メモ」みたいなことをやり続けるのはかなり大変だと思うし、続けていく自信はない。なので、気がむいたら「レバレッジ・メモ」という形式でブログにアップすることもあるだろう、ぐらいの軽いノリで始めようかなと思っている。

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2007/02/11 07:13