2006年03月09日
東野圭吾「白夜行」と伊坂幸太郎「陽気なギャングが地球を回す」
どうも最近、小説はこの手の軽いものしか読めない。小説を読むことが、ほとんど時間つぶしや気晴らし以外のなにものでもなくなってしまってて、あまり重いものを受け付けられないカラダになってしまっているようだ。
東野圭吾は「容疑者Xの献身」だけでは、よくわからないので、TVドラマもやってるしということでミーハーまるだしで、「白夜行」も読んでみた。文庫本の解説で馳さんが書いてるように、主人公の内面が一切語られず、事件を基点として20年近い時を語るというのはすごい手腕だと思う。これには驚いた。しかも事件の最も重要なところはほとんど語られてもいない。主人公二人の事件の関与もまったくといっていいほど描写されていない。所謂「ミステリー小説」が差し出す謎のようなものさえもこの小説にはない。謎といえば、そもそもなぜ主人公たちがこのような人生を送るのか、二人の間にどのような盟約や絆が結ばれているのかというおよそ「ミステリー小説」らしからぬ謎があるだけだ。しかもこれらの謎はあくまでもこうだったのだろう、ということでしか解決しない。にもかかわらず、小説としてはすべてが納まるところに納まり、きちんとした決着がつける。このあたりは「謎」を仕掛けとしてしか考えられない多くのミステリー作家さん達には到底書けそうにもないだろう。
白夜行 | |
東野 圭吾 集英社 2002-05 売り上げランキング : 8,253 おすすめ平均 決して判りえない人間の心の闇の部分、 凄いですね。 圧倒的なボリュームの小説 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ついで、伊坂幸太郎も読んだ。大学時代の友人のD氏が伊坂幸太郎にはまってるということを聞いて、彼と話がしたいという理由だけで読んだ。
陽気なギャングが地球を回す | |
伊坂 幸太郎 祥伝社 2003-02 売り上げランキング : 1,051 おすすめ平均 最初から最後までトークが弾む いい感じの90分映画 面白い小説 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
伊坂幸太郎は軽快リズムと、ウィットに富む?会話などが特徴なんだろう。本作でもジャブの応酬というような感じで、彼のセンスが思う存分発揮されている。そして彼の最大の特徴はやはりなんといっても小説が映画的だということだろう。(これは小説の評価として喜ばしいものなのかどうかはわからないけれど)
本作もそのまますぐに映画化できそうなぐらいに映像的だ。前田哲さん監督で映画化されるようだけれども、個人的には石井克人さんか中野裕之さんあたりに監督してもらいたい素材だと思う。
2006年02月28日
上司のすごいしかけ
経営は悩みと課題の連続だと思う。この課題をクリアするために頑張ろうと突き進んで、その課題がおよそ解決できそうと思う頃には、また別の課題がわき出ている。そしてその課題は、元々課題だったものを解決したことによって起きているものだったりする。これがずっと続いてる。だからといって、それが嫌だというわけでもなく、課題の質は徐々に変わっていくし、より難しくなっていくので、さらに頑張らねばという気になる。
ボクはいつも課題にぶちあたってるときには、その課題に関係しそうな分野の本を片っ端から読んで、できそうなことやうまく行きそうなことをとりあえず試してみようと考える。もちろん失敗もかなりあるのだけれど、何もしないよりも少しでも前に進んだ気持ちになる。
上司の すごいしかけ | |
白潟 敏朗 中経出版 2006-03-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
2006年01月23日
東野 圭吾「容疑者Xの献身」
東野圭吾は実は読んだことがない。どうも今まで敬遠してきた。
ようやく直木賞をとったということもあるし、新幹線のなかで読む本もないし、ということで手にした。直木賞とか芥川賞とかっていういろいろある文学賞もそういう意味では価値があるのかもしれない。普通なら一生読まなかったかもしれない作家に触れさせるきっかけを与えてくれる。
容疑者Xの献身 東野 圭吾 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
他を読んだことがないので、これだけでなんとも言えないのだけど、いかにも読みやすい。文章にごつごつした感じがなく、すっと入っていける。赤川次郎っぽい。(というのは、別に貶してるわけではない)。「推理小説」が提供する謎解きとしては、かなりオーソドックスというか、たぶん推理小説をよく読む人だと中盤でトリックには目星がついてしまうかもしれない。
主人公への愛の深さだとか、タイトル通りの「献身」ってものは、序盤から終盤まではトリックの犠牲になってるような感じで、とりたてて訴えてくるものもないけれど、そのトリックが一気に明らかになるや濁流のように押し寄せて、読む人を深く感じ入らせる。トリック自体が主人公=石神の愛の表現になっているわけだ。この辺は小説の技という感じがして、作者も「どうだ」という感じなんではないか。
2006年01月14日
三浦 展「下流社会」と井上 尚登「T.R.Y」
連休もなかなかこれで忙しかったんである。仕事でもプライベートでも決めなきゃならないことや、やらなきゃいけないことが多くて気が滅入ってくる。
今週は東京だったが、結局、ホテルに帰っても朝方まで仕事の繰り返しで、かなり慢性的な寝不足。明日は土曜日だが、朝一で用事。そのあとは月曜日納品のための仕事... いつまでこんなのが続くのだ。
Amazonの書評でもさんざん叩かれてるけど、ビジネスを考える上では何かヒントになるようなものがあるのではないかと期待して「下流社会」を読んでみた。本書を読まなくても、消費の二極化なんて話は誰でも知ってることなのだが、おさらいの意味で最初のほうだけ囓っといてもいいかも。
ビジネスを考えるうえで、間もなく定年を迎えようとする団塊世代と、そして30~40代という最も家計支出が増える年齢に差し掛かった団塊ジュニアをどう捉えるか。
あとは調査結果をだらだら紹介してるだけで、確かにサンプルも少ない。かなり著者の偏見も混じってるのでカチンと来る人も多いだろう。
下流社会 新たな階層集団の出現 | |
三浦 展 光文社 2005-09-20 売り上げランキング : 362 おすすめ平均 分析に疑問 これがベストセラーになるというのがすでに… 作者は統計学、社会学を勉強した方がいい Amazonで詳しく見る by G-Tools |
一方、忙しくなればなるほど、本を読む時間がなくなるので、そういうときは便所だとか、ちょっとした移動だとかでとにかく活字にふれたくなる。隙間時間はほぼ読書にあてて、東京出張の間の息抜きに読んだのがこれ。
T.R.Y. 井上 尚登 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ボクは詐欺師の小説とかマンガは結構好きなのだ。騙し騙されに大どんでん返しと、決まり切ったパターンなのだけど惹かれてしまう。この手のストーリーのパターンは、騙してた人が実は騙されてて、と思ったら、さらにそれ自体も騙してて、みたいな入れ子構造になることがすごく多い。本書もそのパターンで、この手の小説が好きな人は、後半はこういうことなんだろうなぁと、そのネタに気づいてしまうだろう。史実のフィクションへの絡ませ方がうまい。でも文章はいまいち。だから町とか人とか時代が活き活きしない。勉強しましたー。勉強した知識をいっぱい盛り込みましたー。そんな感じが残ってしまう。
読んでてやたら映像的だなぁと思って、誰か映画化するんだろうなぁなんて考えてたら、とっくの昔に映画化されてたのね。大森一樹か。批評を見る限り、日本映画の一番ダメなパターンにはまったみたいなことらしいが。うまくやればかなり面白い映画になったのだろうに。それぐらいに映画向きの小説だ。著者はもしかしたら「映画」のことを考えてつくってんじゃないかと思うぐらいだ。最後のどんでん返しも、「羊たちの沈黙」ぐらいにうまくやれば、かなり映画でもはまるだろし。
2006年01月09日
岩井克人「会社はだれのものか」
会社はだれのものか | |
岩井 克人 平凡社 2005-06-25 売り上げランキング : おすすめ平均 カネよりも人間というけれど 資本主義は果たして社会を幸せにできるか? 会社は株主のものという原則を貫く大切さ Amazonで詳しく見る by G-Tools |
遅ればせながら読んだ「会社はこれからどうなるのか」があまりにも面白かったので、すぐさま読んだ続編。
基本的には前作で提唱された考え方のおさらい的な意味合いが強く、後半は小林陽太郎さん、原丈二さん、糸井重里さんらとの対談となっていて、前作をさらに深めたものを期待していたボクとしては、少し肩透かしを食らった感じがした。
ただ、糸井重里さんとの対談のなかの最後のほうで、岩井さんが「私が伝統的な経済学を批判しても、経済学全体に大きなインパクトを与えることは望めません。ですから、「正しい」と思ってることをくどくてもいいから、何度も言い続け、それがほんとうに正しければ、徐々にインパクトが広がっていくであろうことを祈るしかない」と語ってて、ここでボクは、ここであぁなるほどなぁとこの本の意図を理解した。「会社はこれからどうなるのか」が売れ、その勢いを借りてそのまま続編を出せばある程度売れるだろうって算段で、とにかく体裁をととのえるために枚数を対談でごまかしてありあわせたんじゃないか。
読み進めながらそんな風に思っていたのだけれど、どうも違うようで、岩井さんとしては、ライブドア&ニッポン放送の問題が持ち上がり、市井の人々にまで会社は誰のものか、という話題が持ち上がるような状況だからこそ、自身が「正しい」と思えることを、もっと多くの人に知ってもらいたいという思いから本書を上梓したのだろう。
ロジックは同じなのだが、前作の紹介の際には、考え方ははしょったので、こちらで少し整理してみよう。
岩井さんのロジックは、そもそも「会社」という存在そのものの二重性に注目するところから始まる。今、叫ばれている「会社は株主のものなのか」というような議論や、昨今注目を浴びるようになった「コーポレート・ガバナンス」、あるいは「CSR」といったものすべてが、「会社」という存在の不思議さをしっかりと理解しなければ、間違った結論というか考え方に行き着くのだと警笛を鳴らす。
では、岩井さんが考える「会社」とはどういうものか。それは、一言で言うなら「モノでありヒトである」存在ということだ。ヒトとモノの関係というは近代の私的所有制度の根本をなす。ヒトはモノを所有する。モノはヒトに所有される。ヒトはヒトを所有できない。ヒトとはモノを所有しゅる主体であり、モノはヒトによって所有される客体だ。
近代のもっとも一般的な会社の1形態としての「株式会社」を例に考えてみよう。
株式会社の株主(ヒト)はその会社の資産(モノ)の所有者ではない。会社の資産(モノ)を支配しているのは「法人」なのだ。ここにヒトとモノの関係の捻れがある。「法人」を支配しているのは「株主」なので、「法人」には支配される客体としての「モノ」の性質があるのだが、その「法人」は会社を支配しているという意味で「ヒト」である。つまり「法人」はヒトでもあり、モノでもあるという二重性を持つ存在だということだ。(「法人」は法律上でも「ヒト」としての性質を持つ。なので、普通に「法人」は個人や会社からも訴えられるし、訴訟においては法人が原告になってたりする。確かに。)
まずこの二重性を持った構造が根本にある。
「会社は株主のものである」という株主主権論は、この「会社」という構造の「モノ」的な階層のみに焦点を合わせたものだ。会社資産を所有する主体としての「ヒト」的な側面を一切無視したロジックであり、ここには問題がある。ライブドアとニッポン放送の問題は、「会社」の二重性を理解していれば、何が問題になっているのが容易に理解出来る問題であったわけだ。
コーポレート・ガバナンスとは何か。これも会社の二重性によって説明がつく。
会社はヒト的な側面(=法人)を持っている。しかし法人は喋ることも、従業員に指示することも、顧客と契約することも出来ない。法人はあくまでも法制上認められた擬似的な「ヒト」である。だから「代表取締役」という存在が必要となる。つまり代表取締役とは、法人が現実のなかでヒトに代わって活躍するために会社から信任を受け、法人の代理人として法人のために働く存在なのだ。
しかし、代表取締役と会社の関係は言わば自己契約だ。法人は契約書の内容をチェックしたり、覆したりすることもできない。悪意を持てば、法人にとってどんな不利な契約でも代表取締役は結んでしまうことができる。本来、代表取締役は私利私欲よりも、法人の利益を目指さなければならない。しかし、自己契約である以上、経営者は自身の利益だけのために、法人をいかようにも利用できてしまう。エンロン事件を見てもわかるように、経営者が自身のことだけを考えれば、いとも簡単に会社はそれに使われてしまう。
経営者が法人からの信任に背くというのは、単なる倫理的な問題では済まされず、当然、会社法などでも罰せられることではあるのだが、しかし、法律ギリギリのところで、「倫理」をないがしろにする経営者も少なくはないはずだ。
だからこそ法人の代理人としての代表取締役には、「倫理的」な行動が求められることになる。これが「コーポレート・ガバナンス」という言葉の意味だ。
コーポレート・ガバナンスとは「大ざっぱにいえば、会社の望ましい経営のためには、経営者の行動をどのようにコントロールしていけばよいかという問題のことです。」
コーポレート・ガバナンスの説明で、これほど明快な説明をボクは知らない。