2005年07月20日
梨木香歩「西の魔女が死んだ」
西の魔女が死んだ | |
梨木 香歩 新潮社 2001-07 売り上げランキング : 979 おすすめ平均 本で感じる自分の成長 感想文を書きたくなった本。 癒されました。 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
西の魔女ことおばあちゃんが魔女になるための「意志の力」のつけかたをまいに説く場面。
すべての物事に通じる一つの真実。日常の些細なことから自分で決めて自分で実行していくという習慣をつけていくことが「意志の力」につながるとおばあちゃんは言う。同意。
P.70
「~悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことをやり遂げる力です。」
」
「自分で朝起きる時間から寝る時間まで決めてごらんなさい。そして、それをきちんと紙に書いて壁に張って」
P.73
「ありがたいことに、生まれつき意志の力が弱くても、少しずつ強くなれますよ。少しずつ、長い時間をかけて、だんだんに強くしていけばね。生まれつき、体力のあまりない人でも、そうやって体力をつけていくようにね。最初は何にも変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久になにも変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。そしてもまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、それの繰り返しです。」
2005年07月13日
禁煙セラピーで禁煙成功?
久しぶりの更新だ。なんとタバコをやめた。といっても禁煙開始からまだ1週間ちょいだが。今のところ吸いたい気分も起きない。
きっかけは、トミーズの雅や月亭八方が禁煙に成功したということを知ったこと。なにやら「禁煙セラピー」なる本を読んで止められたらしい。
別に禁煙する気などまったくなかったのだけど、トミーズ雅があまりにも力説するので、どんな本だと気になり、早速購入してしまった。
禁煙セラピー―読むだけで絶対やめられる | |
アレン カー Allen Carr 阪本 章子 ロングセラーズ 1996-05 売り上げランキング : 22 おすすめ平均 とにかく、素直によめばやめられるね やめました。 絶対おすすめです Amazonで詳しく見る by G-Tools |
まず著者自身が超ヘビースモーカーであり、何度も何度も禁煙には失敗してきたということが語られる。神田系手法と同じ。自分も失敗した、だめだった、と読者と同じ視点に立つ。そして成功したのは能力や実力などではなく、たまたま他の多くの人が気づいてなかったあることに気づけたからだ...というようなロジックを展開させる。神田系マーケティング本とほぼ同じ構成だ。なるほどな。人はこういう構成に弱いのだ。
著者はタバコの中毒性ってのは、そんなに強いものではない、といことを力説する。
ここがポイントなのだ。肉体的な中毒性はそれこそ3日もあれば抜ける(2週間あれば完璧に抜ける)。問題は精神的な部分での中毒性。ここを力説することで、タバコをやめるときに「身体が欲していてどうしようもない」という言い訳が利かないようにされているわけだ。そして、精神的な中毒がどのように起きているのか、どのように洗脳されているのか、精神的な部分でタバコを求めるというのがどういうことなのかということが語られていく。なーんだ、ボクらは洗脳を受けていたのかー!と気づかされるわけだ。洗脳を解くには、洗脳のカラクリを知ることが重要。本書ではタバコが精神的なよりどころになってしまう洗脳過程をいろいろな事例から解き明かす。そして、実は、洗脳を解くプロセスそのものが、洗脳するタイミングには一番よかったりするわけで、このタイミングで「タバコのない生活」がいかに快適か、すばらしいかということの洗脳を開始するわけだ。
著者はタバコを吸ってることのマイナス側面よりも、タバコをやめたときのメリットを多く語っている。「喫煙」というつらい状態、時期を捉えるのではなく、タバコから解放された世界、生活を語るのだ。
そして読者自身に具体的なメリットを何度も考えさせる。これによってそのメリットがどんどん魅力的に思えてくるのだ。
確かにタバコをやめると良いことが多い。東京などは外ではほとんどタバコが吸えない状況で、会社からお得意先までいく間はもちろん、お得意先でも吸えない。吸えない状態が何時間も続いて、後半には吸えないことに苛立ちを覚える。タバコを止めるとこんな苛立ちはなくなる。
お客さんと飲みに行って、前に座った方がタバコを吸わない人だと、タバコを吸うのは気がひける。煙が相手にかからないかどうか冷や冷やしながら、タバコを吸わなきゃならい。そんなこともなくなる。夜中にタバコが切れて、タバコが置いてるコンビニを探しもとめて彷徨うなんてこともなくなる。
実は、タバコを吸うためにイライラしたり、窮屈な思いをしていることも多い。喫煙者自身に考えさせることで、タバコを吸わないこともなかなか良いものだなと思わせる。喫煙者自身がそのメリットを享受することの喜びを感じられれば、ニコチンの精神的依存からの脱却も遠くはない。このあたりに禁煙が成功するかどうかがかかっているのだ。
もちろん、そんなメリットより、タバコが与えてくれる安心感やリフレッシュ、気分転換、暇つぶし、みたいな要素を重要視するということも選択肢の一つだろうし、ボクは喫煙を否定はしない。今も止めてるけど、またいずれ吸う可能性だって否定できないし。
2005年05月16日
私の嫌いな10の言葉
金曜日から東京出張。今回は火曜日まで東京なので週末を久しぶりに東京で過ごすことになった。土曜日は会社。今日は友達の誕生日ということでお祝いに。
書籍類は何冊かは京都にも持ってきているが、大部分は東京の家に置いたままにしている。
東京に何日かいるときにはうれしくなって、京都では読めない本を片っ端から読む。すでに読んだことがある本は、ぱらぱらめくって読みたいところを流し読む。
今回は、中島義道の本を何冊か読み返していた。
中島義道の本は好んで読んでいる。彼の偏執狂的な思考や言葉への拘りや、社会、世界への立ち回り方すべてが理解できるわけでもないし、理解したいとも思わないが、少なくとも彼の書くものを読むことで、自分が知らずうちにマジョリティの立場を利用して、マイノリティを蔑んでいることを理解する。自身の言動や態度の方向修正をするのに、彼の本の過激さ(といってもそれほど過激でもないけど)は有用な処方箋なのだ。
本書はそんな中島義道の本のなかでも比較的わかりやすく穏やかな本だろう。
彼自身が大嫌いな言葉を10個ピックアップして、それぞれの言葉が持つ恐ろしさや、その言葉が成り立つ気持ち悪い思想や背景、その言葉を語る人々が善意と信じてはいるがその実は恐ろしく悪意ある思想を解き明かしてくれる。
私の嫌いな10の言葉 | |
中島 義道 新潮社 2003-02 売り上げランキング : 21,472 おすすめ平均 私も嫌いな10の言葉 これは買い キレイな暴力? Amazonで詳しく見る by G-Tools |
中島義道は変な人だ。その変な人さ加減というのは徹底している。
よく「個性的でありたい」「他の人と同じじゃ嫌」なんてことを言う人がいるけれども、そういう人たちの発言はたいてい個性的であることや、他の人と同じじゃないことのつらさを直視したものではない。都合の良いときは「みんなしている」というような乱暴な理由を用意してたりする。
しかし、中島義道はまちがいなく「個性的」であり、そして「個性的」であることがどれほど今の日本で生き難いことかということを経験を持って知り尽くしている。「個性的」である人に対して向けられる様々な言葉の暴力に恐るべき感受性を持って立ち向かう。
相手の気持ちを考えろよ!
この言葉を彼は虫酸が走るほど嫌だと言う。
その理由を、この言葉が前提とする世界が、都合の良いときだけ相手の気持ちを大事にしていて、実はこの言葉が突きつける過酷な要求というものを想定していないからだと語る。
相手の気持ちを考えるならいじめる者の「楽しさ」も考えなければならない。暴走族に睡眠を妨害される者は相手の気持ちを考えるのなら、暴走族の「愉快さ」も考えなければならない。わが子が誘拐されて殺害された者、妻を目の前で強姦されたあげく殺された者が、相手の気持ちを「考える」とはどういうことか?
(略)
相手の気持ちを考えろとは、これほど過酷な要求なのです。
(略)
往々にして「相手の気持ちを考えろ」という叫び声はマイノリティ(少数派)の信条や感受性を潰しマジョリティ(多数派)の信条や感受性を擁護する機能をもってしまう。それで社会的には一つの有効な機能を果たしているとも言えますが、少なくともこう語る人は、暴力的な側面をもつことを意識してこの言葉を発する必要があります。
もちろん、「たいていの人は」「普通の人は」そうしてもらえればうれしい、楽しいなんてことはあるわけだけれど、こういった乱暴の言葉は、中島が言うような「マジョリティの信条や感受性」には目を瞑ってしまうという恐ろしさがある。
キリスト教的な思想では汝は自身に施して欲しいことを隣人に施せ、となるが、これはいわば第二次自己中心主義だと岸田秀も語っている。自分が徹底的に全知全能で他人のことをまったく何も考えない幼児が第一次自己中心主義だとするなら、「相手の気持ちを考えろ」というのも、実は自己中心的な世界観の延長でしかない。
他人が自分と同じことがうれしいとどうして言えるのか。
自分が施して欲しいことが必ずしも他人にもあてはまるとは言えない。
たとえば、みんなといることが楽しい人には、独りのほうが気楽な人の気持ちがわからなかったりする。あいつも寂しいだろうから呼んであげろよ、という余計なお節介が持ち込まれたりすることは屡々ある。ボク自身こうした第二次自己中心主義の被害者になったことは何度もあるし、また加害者になったこともある。
中島義道や岸田秀やらを読むようになってから、ボクは可能な限り、こういう安易に他人の立場を尊重するような言葉を発しないように注意してはいるつもりだ。そういう言葉を発してしまう時でも、それがいかに自分に都合のよい方便として使ってしまっているかということを考えるようにはしている。
が、しかし、それでもふとした折には、マジョリティの立場や主義を前提として物事を考えてしまっていたり、ものを語っていたりする。気をつけてどうにかなるものではないが、この手の感受性が鈍ってしまうことは恐ろしいことだと思う。
2005年04月25日
三崎亜記「となり町戦争」
となり町戦争 | |
三崎 亜記 集英社 2004-12 売り上げランキング : 1,235 おすすめ平均 傑作です! あらゆる人に読んでほしい 誰にでもお勧めできますが・・ だれもがうすうす感じていたのに Amazonで詳しく見る by G-Tools |
今年最大の話題作なんて騒がれている?ようだけれども、正直そんなに面白いとも思えなかった。丁寧に書かれていて、非常によくできた小説だとは思うけれど、それだけだ。驚きや発見はボクにはなかった。
ボクは小説は、小説とう形式上、その読んでいる時間や、読む体験を通じて、簡単な言葉ではまとめられないような「問題」を用意するものだと思っていて、決して「解答」を導き出すものではないと思っている。小説が一言の「解答」で済まされるならそれは小説でなくても良いのではないか。
誰が読んでも同じような感想にしか吐き得ないような「解答」を用意している小説ってのは陳腐だと思う。
島田雅彦は「未確認尾行物体」で「エイズ」そのものを小説にしたのだけれど、文庫本のあとがきの浅田彰の解説のほうがよっぽど面白くて、エイズを知るなら解説を読めば済むなんてことを誰かに言われていた。本書もそれと同じようなものだ。本書はたしかに「現代の戦争」や「戦争とリアリティ」みたいなものを描いていて、それなりには成功しているのだとは思うけれども、それならばチョムスキーを読めば充分な気がする。
2005年04月02日
大森荘蔵「時間と自我」
大森荘蔵の「時間と自我」を読み続けている。なかなか読み終わらないのは、よくわからなくて何度も何度も読み返しつつだからだ。
時間の性質といのは物理学的な時間からはいくら遡及してもわからないだろう。点の集合は決して時間にはならないし、時間は物理学の法則上だけに存在しているものではない。ボクらは普通に「今」なんて言うけれどもこの「今」にはもちろん空間や場所がしっかりと結びついている。大森さんは、時間の原初的な性質みたいなものを探ることで、時間とは何か、という問いに少しでも近づこうとしている。
保坂和志の「季節の記憶」という小説のなかで、幼い息子が主人公のパパに「時間って何?」という質問を投げかけ、パパが悩みながら説明する場面があった。手元に本がないのでうろ覚えだけれども、パパは確か時間を空間的な広がりを持った概念として絵で説明していたと思う。ある点がもやもやとどんどん広がっていってすべてがそれに飲み込まれていくようなイメージだったのではないか。ベルクソンも時間を物理的な時間と空間的な時間とに分けて語っているけれども、このパパが考える時間は明らかに後者の空間的な時間だろう。
この小説のなかでパパはクイちゃんに積極的に言葉を覚えてもらいたくない、というような態度をとる。言葉を覚えることによって、混沌とした世界そのものが整理される。それによってクイちゃんが見ている世界が平凡で単純化された世界になることをパパは嫌うのだ。その態度や考え方と、この時間の説明は結びついている。パパは(保坂さん)はおそらくすでに当たり前のものとして受け止められてしまっている物理学的なリニアな時間を疑っているということだろう。クイちゃんにはまだ時間の概念がない。時間を単純に時計のメタファで点の集合による以前から今、そして未来へとつがなるような直線的なも霧消のとして説明することは簡単だれども、そういう規定の概念に支配されることで、クイちゃんが今、接している原初的な時間(それはすでに「時間」ではないのだろうけど)は霧消してしまうだろう。