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2003年10月20日

通販勝ち組が教える! 売れるしくみはこうつくれ

通販勝ち組が教える! 売れるしくみはこうつくれ

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成功の鉄則9ヶ条は正直どうでも良いと思った。
Amazonのレビューではこれを絶賛している人もいたけど。

本のつくりからして、神田さん、アルマック系の臭いがするわけだけど、神田さんがダイレクトマーケティングの知識全般を、天才的な文章力と表現力でロジックを展開しているのに対して、本書はあくまでも、「通販」という限られた分野でのノウハウとポイントを解説している。

なるほどと思う部分は実はけっこうあって、
下手なマーケティング本よりもずっと実践的だ。

「1人のお客さまに広告を見てもらうためのコストの基準値が5円」この数字を基準にすると、20万部発行の週刊誌なら1ページあたりの広告代は「20万部×5円=100万円」。これがこの週刊誌における上限値です。

僕は雑誌広告なんかはよくわからないので、こんな風に言い切られると、「そういうもんか」と鵜呑みにしてしまう。

新規売上の50%を広告宣伝費に回す構造」をつくる

なるほど、つまり通販では新規売上の「50%も」広告宣伝費にまわしてでも、黒字になるようなモデルをつくらなきゃならないということで、それは商品原価や、在庫のリスクをどう軽減させるか、電話オペレーターの人件費をどうやって削減するか、といった考え方につながっていく。

なんにしても、こういう成功体験からもたらされた数値や公式というのは魅力があり、説得力がある。

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2003/10/20 00:28

2003年10月19日

慟哭

慟哭創元推理文庫

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この手の本は手っ取り早く読めるので、暇つぶしで買うことが多い。

北村薫が大絶賛ということで、とりあえず手にしてみた。
北村薫も初期の頃しか読んでないので、なんともいえないのだが。

率直に言うと、確かに仕掛けは面白いだろうし、読み終わるときには「おっ」と思わせられる。
しかし、この「おっ」のために、小説のすべてが捧げられているということに、ボクは読み終わって徒労感しか得られなかった。その文体、その構成、そのストーリー。この小説を構成しているもののほぼすべてが、最後のどんでん返しのために用意されているのだ。
これ以上はネタバレなんで、読もうという気の人は読まないほうがいいです。


この手のレトリック系トリックは、筒井の「ロートレック荘事件」や、綾辻行人の「十角館の殺人」でも使われていた手法だ。(他にもいろいろあるのだろうが、ボクはようしらん)
あるいは、竹本健二あたりのメタ小説系も同類といえるのではないかと思う。(「十角館」は厳密には違うかもしれんね)

いわゆる小説内での謎解きから、メタレベルでの謎解きを盛り込むという手法で、正統なミステリーだと思って読むと肩透かしを食らう。
この「慟哭」もまさにそうなのだけれど、新しかったのがやはり、文体をも意図的、戦略的にその「ミステリー」の設定に使われたということだろう。

でも、個人的にこの手のミステリーは嫌いなんだよね。
読んだあとに、その驚きだけがすべてだったという結果に、なんかむなしくなる。

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2003/10/19 19:55

2003年10月15日

真夜中のマーチ

真夜中のマーチ

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なんかこの人の書くものはどんどん軽くなっている気がする。
「軽さ」といっても別にそれが悪いわけではないのだけれど、「イン・ザ・プール」以降というのは、文体もテーマも含めて、えらく軽くなったなぁと。

ストーリーテーラーとしての才能は天才的なものがあると思うし、本書の展開の面白さ、スピード感も、関心させられるところは多いのだけれど、あまりにも軽すぎる。。。

イタロ・カルヴィーノは次代の小説に必要なものとして、確か、「軽さ」みたいなことを言ってたけど、カルヴィーノが言う「軽さ」と、文体とか構成とかの「軽さ」は根本的に違うんだと思う。

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2003/10/15 00:30

2003年10月12日

OUT

OUT 上 講談社文庫 き 32-3

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OUT 下 講談社文庫 き 32-4

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以前から読もうかな読もうかなと思ってて、なかなか手が出せてなかったのがこれ。でもとうとう手にしていまった。
手にするととまらなくなって、寝る間をおしんで一気に読んでしまった。(上が終わって、我慢しきれず、深夜に本屋を探し回って、下を手にいれた)

解説が松浦理恵子といのもいいね。
松浦理恵子ぐらい信頼のおける「読み手」はいないんじゃないかと、僕は勝手に思ってる。

感想はまた後ほど書くことにしようかな。

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2003/10/12 00:34

2003年10月01日

カンバセイション・ピース

カンバセイション・ピース

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保坂和志の書くものは、小説に限らず、コラム、思想書(まがいのもの?)、エッセイなど、ほとんどのものには目を通している。
最初の出会いは講談社文庫で読んだ「草の上の朝食/プレーンソング」(この文庫は絶版?)で、これを読んだときにはかなりたまげた。閉塞感があった現代文学に少し光明が差した気さえした、といえば大袈裟だけれど、ほんとにあぁこういう小説と出会えてよかったと心から思ったものだ。

保坂さんの書くものというのは、とにかく「考える」ということを休まない。それは小説でもそうで、小説の主人公はつねに考える。考えることさえ考える、というレベルで、徹底して考える。そんなのに意味あるのか?と問われれば、私たちが生きているそのほとんどのことは本質的に意味はない、というところから考えはじめる。
保坂さんの書くものを読むと、僕はいつも「考える」ことの素敵さを実感する。
ドラッカーが「重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。」というようなことを言っているけれども、保坂さんの書くものというのはつねに、「正しい問い」を探すプロセスそのものだったりする。
もちろん「正しい」ということについても、保坂さんなら考えはじめるわけだ。

さて、このカンバセーションピース。
これはもう保坂さんの現時点での集大成的な小説だろうと思う。おそらく保坂さんを知らない人が初めてこの小説を読むと面食らうだろうなとは思うけど、ずーっと保坂さんを読んでた人なら、ここまできちゃったか、と思うところもあるのではないだろうか。
いつものように特にストーリーらしきストーリーもなく、ただひたすら会話と日々のなんでもない情景を通じて「僕」が考えたことを、その考えるプロセスをひたすら克明に記録したような小説だ。エンターテイメント性などという言葉とは正反対に位置する小説だけれども、「考える」といことがこれほどまでにわくわくすることなのか、と感じさせてくれる意味では、実は下手な娯楽小説、大衆小説よりもずっとスリルで面白い。

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2003/10/01 00:37