ソーシャルブレインズ入門

4062880393 ソーシャルブレインズ入門――<社会脳>って何だろう (講談社現代新書)  ─ タイトルから、いわゆる「群集知」的な内容なのかなと想像して手にしたのですが、予想に反して本格的な「脳研究」の一分野をわかりやすく解説した本でした。想像してた内容とは違ってたものの、それは良い意味での裏切りで、内容は非常に興味深く面白い本でした。以下は本書の読書メモです。

今までのいわゆる脳研究が「脳」そのものだけを抽出して、それぞれの脳領域野を機能単位で研究(モジュール仮説)するものであったとするならば、ソーシャルブレインズの研究とはその名の通り脳をあらゆる社会、人間関係の中の1機能として捉える、より上位の視点から俯瞰的に現実環境に近い状況において脳を捉えてみる手法ということになるでしょうか。
脳の各分野は決して、ある特定の仕事を任せられて処理しているような機械的なものではなく、外的環境や状況、あるいは人間関係、社会状況や制約といった様々な要因に影響を受けているのです。
本書を読むと、脳がいかに脳単体や脳領野の各機能レベルでの機械的なルーチン処理を行っているのではなく、脳単体としても各機能は全体のネットワークの一部として相互連携しながら役割を変えたりして機能を担っているのか、またさらにそれだけではなく、自分自身に固有の1つの脳という単独の機能を超えて、社会や人間、文化といったより大きなネットワークの中の1つとしてもまた影響を受けているのかということが、よくわかります。

たとえば、他人のしぐさやふるまいを脳はどのように理解するのか、その一例として「ミラーニューロン」という神経システムの発見が説明されています。これは脳が「自分」だけの完結した世界で何かの機能を担っているのではないということのわかりやすい事例になっています。
ミラーニューロンとは、簡単に言うと、他人の行動も、自分の行動と同じように理解して把握する神経細胞のことです。

それはF5という腹側運動前野という場所で記録されました。
サルが目の前にある餌に自分自身で手を伸ばしたときには、F5が活動するのですが、そのF5は、実は他のヒトが手を動かして餌を取ったときにも同じような活動が記録されるのです。
この実験には色々突っ込みどこりがあったものの、非常に興味深いのは、ミラーニューロンが「他人の動きそのものに反応する」ことではなく、「他人の行動の目的に応じて反応する」ことでした。たとえば、実験者がボウルの中に入った果物に向かって手を伸ばした場合には、ミラーニューロンの活動は記録されるのに対して、何も入っていないボウルに手を伸ばした場合には反応を見せないのです。
このことはミラーニューロンが「単純な視覚刺激に対する反応ではなく、行動者の行動意図の内容を理解した反応」だということを意味します。
脳が「意図の共有」という働きを持つということは、感情の共有や共感へと拡張可能であり、私たちが人の痛みを理解できるのも、ここから説明可能にになるかもしれません。自閉症などもミラーニューロンの障害として捉えると、有効な療法の獲得へも繋がっていきます。

脳と社会や文化がどのような関係があるのか、ということを説明するために、著者は「認知コスト」という概念で説明しています。
「認知コスト」とは、脳内の認知操作に必要とされるエネルギーのことです。簡単に言うならば、この世界に何の制約もルールもなければ、あらゆる場面で何かの判断や決断を下すために脳は莫大なエネルギーが必要になるわけですが、そこに何かしらのルールやら決まりごとや道筋があれば、毎度毎度莫大なエネルギーを使うことなく、判断や決断の処理ができる。この脳がかけるエネルギーが「認知コスト」です。

脳は何かしらの行動規範を更新するには「認知コスト」を支払わなければならないのですが、脳はギリギリのエネルギー供給うしか受けていないので、可能なかぎり「認知コスト」をかけないでおこうとするのです。
人間が社会というものを形作り、そこで文化や規範みたいなものを生み出すのは、そのようにして作られた社会環境にのっとって生活することで可能な限り「認知コスト」をかけずないで済むからなのです。
僕らは法律やら文化的な規範やらしきたり、ルールやらといったものを、僕たちの与り知らぬところで生まれた、いわゆる「外部」から強制されて従っているものだと思い込んでいますが、実はそうではないと著者は言います。これれは「認知コスト」を可能なかぎり抑えたいからこそ、人間がルールを作り出すのです。

なので、世論といった漠然、曖昧としたものも「認知コスト」を極力かけないで済ませることができるかという脳の働きと言えます。しかし、一方でこのような脳の働きは有名な「ミグルラム実験」や「スタンフォード監獄実験」などからも明らかなように、うまく利用されると知らず知らずのうちの非常に危険な行動を行ってしまうということもまた事実です。
脳単体での機能や脳各分野での働きの研究のなかでは、このような世論と人との関係や、なぜ多くの善良な人たちが、そのような状況下では平気で人を人と思わぬような言動、行動を選択してしまえるのかということの理解にはなかなかたどり着くことはできなかったでしょう。
そういう意味では、ソーシャルブレインズ研究とは、本当の意味での「人間」や「社会」「文化」の新しい研究の切り口として考えられるのではないかと思います。著者の「つながる脳」に続けて読んでみたいなと思いました。

(なぜか、今回は久々に「です/ます」調で書いてみました。あまりこだわりがなくて、今回はなんとなく「です/ます」の方が書きやすそうだったというただそれだけです。得意不得意で言うと「です/ます」で書くのは苦手なんですが、書きたいと思う文章によっては「です/ます」のほうが書きやすそうに思えるというのはなんだか不思議です。)

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