天才バスキアのドキュメント「バスキアのすべて」

バスキアのすべて [DVD]
ポニーキャニオン (2011-10-05)
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京都シネマで「バスキアのすべて」を観てきた。バスキアの軌跡/奇跡を友人や元恋人たち、美術評論家などの証言とともに辿るドキュメンタリーだ。生前に行われてお蔵入りになっていた本人へのインタビュー映像などもあり、バスキア好きなら観ておきたい作品だろう。

バスキアは天才だ。バスキアの作品は感性と直感で美術史の常識を軽々と乗り越えてしまう。ボクはこの映画を見ながら、ずっと現代アートのムーブメントと、バスキアの位置づけについて考えていた。現代アートが自己同一性の模索に躍起になった結果、ミニマルなど自分で自分の首を締めていき、限界を露呈してしまったのに対して、バスキアの作品は、そういったアート史とは異なる次元に位置しているように思える。ある意味自由なのだ。一部の批評家たちはその自由さをバスキアの無知として馬鹿にするのかもしれない。
しかし、それでもバスキアの作品は圧倒的に面白い。ボクなどはむしろ、バスキアのコンセプトのない、ほぼ直感にまかせて描かれた作品群のほうにこそ、アートがアートであることの同一性を強く感じる。



バスキアが凄いと思うのは、彼が作る作品が圧倒的なエンターテイメント性を兼ね備えてるというところだと思う。何もわからなくても、彼の作品はただ見てるだけで面白い。なにか愉しいのだ。
彼自身も「自分の絵のどこが面白いと聞かれてもわかるわけがない。マイルス・デイビスは、自分の音楽のどの部分が良いかなんて答えられないと思うよ。絵を描く時は、ほとんど自動化してるんだからわかるわけがないよ」というようなことを語っていた。
そう、彼本人も、なぜそんな風に描くのか、なぜ何度も何度も描いては塗りつぶしを繰り返すのか、なぜその文字を書くのか、なんて少しもわかっていない。シュールレアリスムの作家たちの自動筆記のように、バスキアの絵画も彼の本能や感性のまかせるままに描かれている。ボク自身は、シュールレアリスムの作家たちの自動筆記作品は必ずしも文学として面白いとは感じないけれど(時としてありえない言葉やフレーズの組み合わせによるポエジーみたいなものがないとは思わないけど、でも文学としては個人的にはどうかと思ってる)、バスキアの作品はどれも素晴らしい。これは絵画という手法だからこそなんだろうと思う。


キャンバスに踊る数々の線や、絶妙な配色や、何かのサインや印のように装飾される文字、表現されるものすべてを通じて、それは直截的に見る人の心に働きかける。そう、バスキアの作品って見てるだけで、なんだろう、なんかいいなと思えてくる。この作品にどんな意味があるかなんてどうでも良いではないか。その作品がなんか良いと思えるかどうか。かっこいいと思えるかどうか、それこそがすべてではないか。そんな風に思えてくるのだ。

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